昔々あるところに、大きくはありませんが美しく平和な国がありました。
国王はとても勇ましく聡明な人柄で、家来達の信頼篤く、しかし頭髪は薄く、民にも慕われておりました。お后も優しく美しい、素晴らしい方でした。
ある時、お后に赤子ができた事が分かりました。子供がいなかった二人の喜びはたいへんなものでした。しかし、幸福な時間は長くは続きませんでした。もともと体が丈夫ではなかったお后が、玉のような女の子を産んだのと引き換えに亡くなってしまったのです。
息を引き取る前、お后は「雪のように白い肌と血のように赤い唇を持った、男達がグラッとするような美しい姫に育ちますように」と願いを込めて、最初で最後の子供に「グラ雪姫」と名づけました。
お后を心から愛していた国王は嘆き悲しみましたが、忘れ形見である姫はきっと守り抜いて立派に育てて見せると誓いました。
グラ雪姫が生まれて数年後、国王は再婚しました。幼い姫には母親が必要だろうと考えてのことでした。
新しいお后はまだ若い上に、亡くなったお后に負けないほどの美しさがありました。ところが、彼女は魔女の娘だったのです。
お后は国王の夕食に毒を盛りました。翌朝、国王の残り少なかった髪はすべて抜け落ちていました。動揺し、悲観した国王は行方をくらませてしまいました。
そして、魔女であるお后が、女王として玉座に座ることになったのです。
☆☆☆
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰かしら?」
お后は毎日必ず、魔法の鏡にこう尋ねます。すると鏡の精は決まって「それはあなたです」と答えました。自分より美しい者がいるのが許せないお后は、この返事に満足していました。今日も――
「世界で一番美しいのは……それは私よ!」
鏡の精がヒステリックに叫びました。
「でも……でもっ、あの人の前では私、ただの薄汚いメス豚なの!どんなイイ男に囲まれても平然と美しくいられる私が、あの人の前でだけは醜い奴隷に成り下がるのよ!ああっ、銀さん……!」
身悶えながらも、鏡の精は言葉を続けます。
「だからお妙さん、世界一の美女の称号はあなたにあげる。私、銀さん以外の男にとって美しくても嬉しくないもの!ああでも、結局銀さんの前では醜い女に……」
鏡の精の独り言はまだまだ続きますが、肝心要の部分を再確認したお后は全く聞いていません。始めに必ず「世界一美しいのは私よ!」と叫ぶのにも慣れました。妄想癖があると分かったからです。
ところがある日、いつものように質問したお后に、鏡の精はさんざん妄想を垂れ流した後言いました。
「世界で一番美しいのはね、グラ雪姫よ。あなたじゃないわ」
「何ですって?!それはどういう事なのよ!」
お后は驚き、そして怒りをあらわにして問い詰めます。
「どういう事もクソも、グラ雪姫が一番美しい!それだけの事よ。私は誰が一番美しいかなんて興味ないの、なぜなら……!」
しれっとして答えた鏡の精は再び妄想の世界へと入ってゆきました。
お后は急いで、鏡の精の言葉を確認する為に窓へと駆け寄りました。グラ雪姫はたいてい、城の中庭で巨大な犬と戯れています。
走り回る姫を見て、お后は驚きました。まだまだ子供だと思っていた姫は、いつのまにか愛らしい少女に成長していました。毎日、日の大半を外で過ごしているにも関わらず、その肌は透き通るようです。唇は紅をさしたように赤く、大きな瞳は綺麗に澄んだ青。亡き母親の願いはしっかり叶っていました。
お后は、グラ雪姫が自分より美しいと認めざるを得ませんでした。
「ゴリラを……今すぐあのゴリラを呼びなさい!」
認めたからといって納得できるわけではありません。どうしても自分が一番美しくないと我慢がならないお后は、手っ取り早く確実な手段に訴えることにしました。
消すのです――グラ雪姫を。
その実行者として、限りなくゴリラっぽい狩人は最適です。腕はそこそこ立ちますし、何よりお后の言う事には決して逆らいません。お后は侍従に、狩人を呼ぶよう言いつけました。
程なくしてバタバタと足音が聞こえ、お后が待つ部屋に狩人が飛び込んできました。
「お妙さァァァん!とうとう俺の想いを受け入れる決意うををッ?!」
狩人が叫びながら走り寄ってきたのを見て、お后は手元の紐を引きました。すると天井から箱型の鉄柵が落ちてきて、狩人を中に閉じ込めました。
「おっ、お妙さ〜ん……」
狩人は鉄柵に縋って情けない声を上げました。まさしく檻の中のゴリラです。
お后はニタァッと笑って言いました。
「出して欲しかったら、今から私の言う事を完璧にやってちょうだい」
「そんな条件などつけずとも、俺はお妙さんの命令にならなんだって従います!」
「あら、じゃあそこから出さなくてもやってくれるのかしら?嬉しいわ」
「う……いやっ、それはちょっと」
「だったらつべこべ言わずに黙って聞けゴリラ」
「ハ、ハイッ!」
いきなり下がったトーンにビクッとした狩人は、裏返った声で返事をしました。
「グラ雪姫を森に連れ出して殺してしまいなさい。間違いなく殺った証拠に心臓を持って帰るのを忘れないでね!アーッハハハハハ!」
「おいゴリラ、あの木は何ていうアルカ?」
「おう、あの白い花の咲いてる木か?」
「違うネ、あっちのピンクの花の方ヨ」
「ああ、アレな……知らん」
「ったく、クソの役にも立たないゴリアルナ」
「ひどっ!」
というわけでグラ雪姫を森へ連れ出した狩人ですが、いくらお后に心酔している彼とはいえ、今回の仕事にはあまり乗り気ではありませんでした。彼の理論で言えば、グラ雪姫ほどの美少女を殺してしまうなんて社会的な大損失です。
しばし逡巡したのち、狩人は意を決してグラ雪姫に話しかけました。
「グラ雪姫、実はな……」
「何アルカ、ゴリ?」
「いやいい加減そのゴリってのは……まあいい。実はな、俺はお前を殺すようある方から命じられて」
「何ィィィ?!それは本当アルカゴリ?!」
狩人の単細胞な性格が災いしました。もう少し遠回しに言った方が良かったのでしょうが、言い方がストレートすぎました。
「ちょっと待ってまだ続きがあるの!命じられちゃって、それで」
「こんないたいけな乙女をどうにかしようなんて最低アル!」
「イヤちょっと聞いて!それでその、俺は……!」
必死で弁解する狩人ですが、グラ雪姫は聞く耳持ちません。
「ほぁぁちゃあぁぁぁ!!」
「ぐはァァァ!!」
グラ雪姫の日傘が、見事に狩人の脳天にヒットしました。
昏倒した狩人を捨て置き、グラ雪姫はさっさと森の奥へと逃げて行くのでした。
狩人から逃げてきたはいいものの、グラ雪姫に行くあてなどありません。とりあえず薄暗い森から抜け出そうとしましたが、歩けば歩くほど森は深くなっていくようでした。
早い話が、グラ雪姫は迷子でした。
日が暮れてきました。朝食を城で食べたきりのグラ雪姫は、もうお腹ペコペコです。足が乾いた草を踏む音に混じって、時折グウ〜ッという間抜けな音がします。
このままでは森で一夜を明かさなければならないかと思い始めた時、前方にかすかな灯りが見えました。どうやら家があるようです。
人家があると分かって、グラ雪姫の歩みは少し速くなりました。うまく行けば食べ物と寝床を提供してくれるかもしれません。
辿り着いたのは随分小さな家でした。小柄なグラ雪姫でも、扉をくぐるには少しかがまなければならない程です。
グラ雪姫は、慎重に扉を開けました。
「誰かいるアルカ……?」
中は真っ暗です。住人は留守なのでしょうか。グラ雪姫はひさしに吊るされていたランタンを(森の中で見た灯りはこれだったようです)取って、家の中に入りました。
小ぢんまりした部屋には、小さなテーブルと小さな椅子。椅子は七脚あるので、ここに暮らしているのは七人なのでしょう。しかし、何よりグラ雪姫の目を引いたのは、テーブルの上の料理でした。
グラ雪姫の空腹は限界に来ていました。手近な椅子に腰掛けると、「いただきます!」と行儀良く手を合わせ、行儀悪く料理をかき込み始めました。
一日の仕事を終えた七人の小人達は、賑やかに家路についていました。
彼らは洞窟で宝石を採り、それを売って暮らしています。が、リーダー格である「先生」をはじめ、「ねぼすけ」や「ごきげん」にはサボリ癖がある上、最年長の「てれすけ」は何をやらせても効率が悪く、「おとぼけ」は仕事は出来るものの目を離したスキに奇行を繰り返します。従って生活はかつかつ、先生に代わって仕事を取り仕切る「怒りんぼう」だけが苦労する毎日です。怒りんぼうを労ってくれるのは「くしゃみ」だけですが、慰めの言葉と一緒にくしゃみも引っ掛けてしまうのでウザがられています。
とにかく、家に向かって歩いていた小人達ですが、先頭の先生が突然足を止めました。
「止まれ!」
止まれと言われていきなり止まれるわけがありません。先生の後ろにいた怒りんぼう以下、全員が前の人にぶつかりました。
「ってェな!急に立ち止まってんじゃ……」
「シーッ!静かにしろ!」
怒鳴りかけた怒りんぼうを先生が制しました。そして見えてきた自宅を指差します。
「ほれ、ウチを見てみろ」
全員、まじまじと家を見ました。ややあってごきげんが言いました。
「明るい……ですね」
「その通りだ。明るい。さてこれは一体どーゆー事だ?」
一瞬シンとしました。そしてくしゃみが震える声で発言しました。
「まさか……っくしゅ、ドロボウですかね……?」
「ハッ、んなわけねーだろ。誰が好き好んであんなボロ小屋に盗みに入るかってんだ」
怒りんぼうは煙草の煙を吐き出しながら、バカにしたように言いました。自宅を「ボロ小屋」と形容することに何の抵抗もないようです。
てれすけが控えめに反論しました。
「いやあでも、分かんないよ。売り残した宝石とか残ってるかも知れないしさあ」
「とにかく、ここでウダウダしてても始まらねェや。さっさと行きやせんかィ、旦那」
のんびりした調子で言ったねぼすけに、先生は頷きました。
「つーわけで、行くぞオメーら。ハイ、全速前進!」
その頃グラ雪姫は、二階の寝室でぐっすり眠り込んでいました。満腹になれば眠くなるのは自然の摂理です。
横一列に並んだ七つのベッドを全て占領して夢の中を旅していたグラ雪姫ですが、ヒソヒソと話し声が聞こえてきて意識が覚醒し始めました。
「結構可愛いっスね、この娘」
「あァ?まだガキじゃねーか」
「そーそー。銀さんの好みはもっとこう、キツイ感じで、なおかつ」
「アンタの好みなんか誰も聞いてやせんぜィ」
「確かにカワイイのは認めるんだけどさあ、ホラよだれが」
「それに寝相もちょっと……ハ、ハ、ハーックシュ!」
大きなくしゃみの音に、グラ雪姫はハッキリ目が覚めました。むくりと起き上がると、七対の瞳が彼女を見上げています。
「……誰アルカ、お前ら」
「イヤこっちの台詞だよね、それは確実にこっちの台詞だよね」
サングラスをかけた小人のツッコミはもっともだったので、グラ雪姫は自己紹介しました。
「私はグラ雪姫アル」
「姫だァ?そのオ姫サマがどうしてこんなとこにいんだよ」
「ゴリラに殺されそうになって逃げてきたヨ」
「でもこの森ゴリラいませんよ」
「本物じゃなくて、ゴリラっぽい狩人ネ」
「ふーん。で、そのゴリラはなんでお前を殺そうとしたんだ?」
銀髪の小人に鼻をほじりながら聞かれて、グラ雪姫は考え込みました。
「……そういえばなんでだろ?」
「知らねーのかよ!」
「あ、確か『命じられて』とかほざいてたネ」
「……それじゃ、お前を殺そうとしてる奴がいるってことか」
銜え煙草の小人は何か考えている風でしたが、銀髪の方の小人が口を開きました。
「お前、これからどうするつもりだ?行くあてはあんのか?」
「全然考えてないアル」
グラ雪姫は正直に言いました。すると小人達は額を寄せ合って何やら話し合い始めました。激しい議論が展開されたようですが、最終的に銀髪が言いました。
「お前がここにいたいってんなら、そうさせてやってもいい」
「本当アルカ!」
グラ雪姫はホッとして叫びました。銜え煙草の小人が「ただし」と付け加えます。
「お前、俺たちの夕飯勝手に食ったな?それも含めて自分の食い扶持分くらいは働いてもらうからな」
「分かったアル」
グラ雪姫はその場しのぎの返事をしました。
「ま、そーゆー事だ。っと、まだ名乗ってなかったな」
自己紹介しようとした小人たちを、グラ雪姫は止めました。
「待つアル。私、当ててみせるヨ!お皿に名前書いてあったネ」
グラ雪姫は腕組みをして、七人の顔をじっくり見回します。そして左から順に、
「天パ!」 「……は?」
「マヨ!」 「ってちょっと待てオイ」
「ジミー!」 「え……えぇぇぇ……」
「ドS!」 「……」
「マダオ!」 「はっ!なぜそれを!」
「ダメガネ!」 「うわ、ひどっ!」
「ヅラ!」 「ヅラじゃない、桂だ!」
グラ雪姫は見事七人の――先生、怒りんぼう、ごきげん、ねぼすけ、てれすけ、くしゃみ、おとぼけの、それぞれの渾名を当ててみせました。
「いや待て待て、間違っちゃいねーよ?でも皿に書いてあるのはその名前じゃねえ」
「第一印象ネ」
「皿関係ねーだろ!つーか第一印象マヨって意味わかんねーし」
「フン、いい度胸でさァ。しかしコイツが地味キャラと見抜くたあたいしたもんだ」
「どういう意味っスかそれ」
「ハッ、どうせ俺なんかどこからどう見てもマダオなんだ!そうなんだろ?!」
「まあまあ長谷川さん、僕なんかダメガネですよ?っくしゅ」
ツッコミと嘆きが渦巻く中、おとぼけは手に持った白い人形に熱心に話しかけています。彼の台詞がほとんどないのは喋らないせいではありません。自分の世界に入り込みすぎていて、「ヅラじゃない桂だ!」という言葉以外で他人と会話が噛み合った事がないのです。
とにかく、グラ雪姫は小人達の家にかくまわれることになりました。
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