Reversi小説 | ナノ



2-1

 《 鏡界 きょうかい 》という異世界に来て二日目の早朝。 光一 こういち はまだ覚醒していない頭で、ぼんやりと今の状況を振り返っていた。

 光一たちは今、長く続く道を歩いていた。そこは左右に草木の生い茂った 土道 つちみち で、周りに建物の類は見当たらない。舗装されている様子もなく、黄色味を帯びた土がまっすぐに伸びているだけだ。

 歩いているのは光一の他に二人。右前方を歩くのは、光一の親友によく似た顔をした茶髪の少年、光一の左隣を歩くのは、褐色の肌に白金の髪を持つ少女だ。

 彼ら三人は鏡界の管理人であるイリアの命令で、鏡界の中心都である《グラス・ミロワール》という街を目指していた。現在はそこに向かう一本道を進んでいるのだが、光一は異様な居心地の悪さを感じていた。周りを流れる空気が硬い。その理由もわかってはいるが、光一にはどうすることもできなかった。それでもなんとか場の空気を和ませようと、光一はおそるおそる口を開いた。

「なぁ、グラス……なんちゃらとかいう街にはまだつかへんの?」

 その声に反応し、親友にそっくりな少年が茶髪を揺らし振り向いた。

「《グラス・ミロワール》だ。まだ出たばかりだろ、なんだもう疲れたのか?」

 するとそれに対抗するように、褐色肌の少女も光一に言葉をかける。

「転移魔法が使えないから不便だよね、あと二十分もすれば門が見えてくると思うからがんばろ!」

 問いに答えると、二人は光一を挟んでお互いを睨むように目つきを鋭くさせる。少女は茶髪の少年に対し叱るような声色で言葉を投げた。

「ほんと王子って感じ悪〜い。光一はこっちの世界のこと知らないんだから、そんなきつく当たらなくてもいいじゃん」

 そう言われた少年も冷たい口調で言い返した。

「うるせーな、いちいちつっかかってくんじゃねーよ。世話焼きババァなのは昔から変わんねーな」
「なっ……ちょっと、今なんて言った?」

 これを皮切りに、二人はぎゃあぎゃあと口喧嘩を始めた。また始まった、と光一は口の端をひくつかせる。城を出てからずっとこの調子で、ここに来るまでに同じ光景を四度は見た。歩き始めて小一時間ほど経つが、目的地はまだ先らしい。到着するまでに一体何度言い合いをしたら気が済むのだろうか。

 光一は前に出て、睨み合う二人を制するように間に割って入った。

「あーもォやかましい! さっきからなんやねんお前ら低血糖か! カルシウム足りてへんのか!?」

 褐色肌の少女がむすっとした表情で二人から目をそらす。右の少年は大きく舌打ちをし、ずかずかと先へ行ってしまった。光一はため息をつき、空を眺める。見上げた空は、自分のいた世界でいつも見ていたものと同じ様子で、朝の薄い光が降り注いでいた。

(オレこーゆう役回りちゃうねんけど……)

 時は光一が鏡界に来た直後、約十四時間前にさかのぼる。



 光一が興味本位で入ってしまった扉の向こうには、 賢斗 けんと そっくりな少年がいた。
 彼自身『ヒモリ ケント』と名乗っていたため、彼は賢斗の《リバーシ》と呼ばれる存在なのだろう。しかし言動は本人と似ても似つかない。目の前にいる"ケント"はあろうことか、人の顔めがけて斧を投げつけてきたのだ。

 毎日ふざけあい、笑いあっていた親友に今、軽蔑の目を向けられている。光一はその状況についていけず、普段なら爆発するであろう怒りの感情さえ湧いてこなかった。

 刃がかすったため血の流れる頬を光一が擦るのと同時に、後ろの壁に突き刺さった斧は青い光を放った。光はケントの右手首に収束し、元のバングルへと形を変えた。

 ケントはフン、と鼻を鳴らし、慌てて飛び込んできたミチルを見た。ニヤリとわざとらしく口角を上げる。

「心配しなくても、本気で当てるわけないじゃないっすか。ビビりすぎっすよ、副管理人様」
「……そういう問題じゃないだろう、城内でむやみに 魔具 まぐ を発動させるな」

 煽るようなケントの口調に、ミチルは無表情で言い返した。ケントはそれにも「はいはい、すみませんね」と全く反省の色を見せずに呟く。光一は彼を睨みつけ口を開いた。

「お前が賢斗のリバーシ? ゆうヤツか」

 それを聞くとケントは、氷のように冷たい視線を光一に向けた。

「……聞こえなかったのか? 俺様はこの国の次期国王だ、剣士風情が気安く話しかけるな。口の利き方に気をつけろ」
「時期国王? 剣士? お前なに言うてんのか全ッ然わからんねやけど……」

 ミチルが盛大にため息をつくと、目頭を押さえて光一の肩に手を置いた。光一は怪訝な表情でミチルを見返す。

「すまない光一、僕の説明不足だった。確かにここにいる彼が、君の親友である 氷森 ひもり 賢斗のリバーシだ」
「ホンマに言うてんの? 賢斗とコイツ全然ちゃうねんけど」
「リバーシというのはあくまでも鏡合わせの存在であって、同一人物なわけじゃない。目の前の彼は鏡界の中心地、首都《グラス・ミロワール》を治める国王の息子……つまりこの国の王子なんだ。この世界では生活も文化も、光一達がいたところとは全く違う。混乱するかもしれないが、君の知る賢斗とは別の人物だと思ったほうがいい」

 ミチルが必死に説明するが、光一は納得のいかない顔で再びケントを見た。

 ここへ来る前には、リバーシとは『理想と本性を映し出す鏡』だとミチルは言っていた。つまりこの、いかにも性格の悪そうな人物が賢斗の理想だというのか。どうもそうとは思えない。

 ミチルはその場の空気を切り替えるようにトーンを上げて声を発した。

「とにかく顔を合わせてしまったものは仕方ない。どのみち一緒に話を聞くわけだしね。多少予定は狂ったけど、このまま全員でイリア様の元へ向かおう」

 ミチルが言い終える前にケントが部屋から出ていく。それに続くようにミチルも扉をくぐり、最後に光一は後ろからケントの背中を睨みつつ廊下を進んだ。


 少し歩くと、ひときわ大きな扉が見えた。廊下や今まで見てきた扉同様、装飾のないシンプルなつくりだ。しかし今までのが片開きのものだったのに対して、この扉だけは二枚構成の両開きになっていた。前を歩くミチルが立ち止まり、くるりと振り向くと光一とケントの顔を交互に見た。

「この扉の向こうに、鏡界の管理人であるイリア様がいる。二人とも絶対に無礼な行動、言動は慎めよ」

 その言葉を聞きケントが腕を組みながら、光一は肩に大剣をかけながら、「はいはい」とやる気のない声を返した。ミチルの表情が一層鋭くなったが、言っても無駄だと思ったのか扉に向き直る。三回軽くノックすると、扉の奥から「入れ」と低い女性の声が短く響いた。

「失礼します」

 ミチルが扉に手をかけるとギィ、という重い音が響き、扉が左右に開いた。途端、光一の目に飛び込んできたのは大理石のような物質に囲まれた白い空間だった。全体が白と寒色系の色味で統一されていて、ひんやりとうすら寒い印象を受ける。廊下は薄暗かったが、この広間は部屋全体に十分な照明が行き届いていた。

 中央に設置されているネイビーの大きなソファに、一人の女性が足を組んで座っていた。ミチルがその姿を見るなり、深々と一礼する。

「お待たせいたしました、イリア様。光の剣士のリバーシである 緋山 ひやま 光一と、ケント王子をお連れしました」

 光一はミチルの言葉を聞き、目の前に座る女性の姿を見る。腰ほどまであるだろう透き通るような銀髪を揺らし、女性は首を傾げた。彼女がミチルの言う鏡界の管理人であり、助けたい人物であるイリアという女性だろうか。

 イリアは傾けていた首をまっすぐに戻すと、深い青の瞳を細めて光一を指さした。

「こいつがか? ふむ……なんか思ってたより弱そうだな」
「なっ……!」

 唐突に浴びせられた暴言により、光一の頭には瞬時に血が昇る。今にも噛みつきそうな勢いで前に出るが、ミチルが小声で「光一!」と制した。

「まぁ立ち話もなんだろう、座れ」

 イリアは光一の様子に目もくれず、自分の向かい側にあるソファを指で示した。ミチルもそれに合わせ、光一とケントに座るよう促す。光一は煮え切らない気持ちを抑え、ソファにドカッと腰を下ろした。持っていた大剣は邪魔だったので、自分側のひじ掛けに立てかける。ケントも言われた通り、光一の隣に座った。ミチルはハラハラした様子で光一たちの様子を見守りながら、二人が座るソファの横に立った。

 全員が場所に落ち着いたのを確認すると、イリアは長い脚を組みなおした。その場で、最初に本題へ切り込んだのはケントだった。

「……で、鏡界の最高権力者様がこの俺まで呼び出して、一体何の用ですか?」

 声色からは若干の面倒くささが感じられる。どうやら彼も、これからする話の内容までは知らされていないらしい。イリアは顔をぴくりとも動かさず答えた。

「うむ、次期国王様までわざわざお呼び立てしてすまなかった。なにせこの件は現国王の耳にもあまり触れてほしくなかったものでな」
「父……国王にも、だと? 一体どんな機密事項だ? このアホ面も一緒に聞いてしまって大丈夫なのか?」

 ケントの言う『アホ面』が自分のことだと気付くまでに、光一は少しの時間を要した。光一の怒りが再び沸点に達しそうだったが、それが爆発する前にイリアが声を上げた。

「今回、人間界にドラゴンが現れるという事件が発生した。それはミチルから聞いたな? で、偶然その場にいた人間が襲われたわけだが……その人間というのが、貴様のリバーシである氷森賢斗だった」
「……ほぅ?」

 ケントの瞳がスッと鋭くなる。光一も怒りを忘れ、話を聞く体制をとった。イリアは目を細め、笑うようにケントを見た。

「ここまで言えば、頭の良い王子様なら理解できるだろう? このことが貴様の父である、現国王の耳に入ったらどうなるか」
「なるほど、いい性格してますねぇ管理人様は。つまり弱みを握って、この俺をコマとして使おうってわけですか」
「ははは、人聞きの悪い。性格がいいだなんて、王族の皆さまほどではないさ」

 イリアとケントの間に、乾いた空気が流れた。光一ただ一人が状況をのみ込めず、隣に立つミチルに耳打ちした。

「なに、どーゆうことなん?」
「さっきも言っただろう、ここにいるケントはこの国の王子なんだ。そのリバーシがドラゴンに襲われ意識不明となると……光一が王ならどう思う?」
「なんや想像しずらい状況やけど……とりあえず心配やな、色んな意味で。リバーシ同士っちゅーのはどっちかが死んだらもう片方も死ぬんやろ、確か」
「そう、その通りだ。ましてや一国の王子がそのような状況に陥ってしまうようなことがあれば、国を挙げての大問題だ。現国王の性格からして、リバーシが完全に目覚めるまでは王子とそのリバーシ共々、城の地下にでも幽閉しておくだろうな」
「ゆーへーって、閉じ込めるっちゅーことか? 大変なんやな、王族って」

 ケントが親指で光一を指さし、重ねてイリアに尋ねた。

「で、それとコイツと、なんの関係があるんだ?」
「ん、そいつはその場に居合わせていただけだ」

 イリアの答えを聞いた途端、ケントはあからさまに怪訝な顔をした。今まで他人事のように聞いていた光一も自分の話題になったと気付き、わからないながらもイリアに顔を向けた。

「その場にいたぁ? あんたたちはそれだけの理由で、人間なんかを鏡界に入れたのか? 記憶を消して放っとけばよかったのに……」
「理由は他にもある。が、それを今説明する必要はない。話を戻すぞ」
「ちょ、ちょォ待て! 記憶を消すとか……そんなんできんの?」

 なにやらとんでもないことを聞いてしまった気がした光一が話に割り込んだが、それに応えてくれるものはいなかった。

「さてミチル、氷森賢斗を襲ったドラゴンについての報告を頼む」
「はい」

 光一の言葉など聞こえなかったかのように、イリアはミチルに指示を飛ばした。返事をしたミチルが言葉を続ける。

「人間界に現れた例のドラゴンですが、少し妙な点がありまして」
「……というと?」
「属性はこちらで確認した通り『氷』だったのですが、どうも途中で自己再生をしたようなんです。それも切り落とした翼がまるごと復活する程の、目に見える異常な回復量でした。おそらくドラゴンを仕向けた何者かが特殊な仕掛けをしていたのではないかと」
「なるほど、たしかにそれは妙だな……ここのところ鏡界(こっち)にもやたらと闇属性のドラゴンが頻出しているし、やはり近いうちに『あの森』に調査を入れる必要があるな」

 イリアが片眉を上げ、怪訝な顔を見せた。光一は、ふと浮かんだ疑問を口にする。

「なぁ、やっぱりあのドラゴンは、誰かがわざと連れてきたんか?」

 イリアとミチルが同時に光一を見る。そして妙に納得したように、イリアが口を開いた。

「あぁそうか、お前はこの世界についてなにも知らないんだったな」

 イリアはやれやれというような表情を見せ、続けた。

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