2-5
「あっ、おじさーん! このエメラルドのネックレス下さーい!」
「まだ買うん!?」
《鏡界》の首都というだけあって、《グラス・ミロワール》の城下町は多くの市場と行き交う人々で活気づいていた。街の中心にそびえ立つ巨大な城も、こうして遠くから見れば素人目にも素晴らしい建物だと思わされる。
この世界の政治がどのような仕組みになっているのかは分からないが(そもそも光一は自分の世界の政治すらよく分かっていないが)、この大都市の中心で王子として暮らすケントがかなりの権力者であることは想像がついた。あの偉そうな態度にも多少納得がいく。
街にはところどころ小さな噴水や小川があり、その周りを子どもたちがはしゃぎ回っている。これほどの人口密度にも関わらず、全体的に白味を帯びた石造りの街並みはどこを見ても手入れが行き届いており、ゴミひとつ落ちていなかった。
光一が周りの景色を眺めている間に、ニーナは次々と買い物を進め荷物を増やしていた。両手に大量の紙袋を抱えた光一は思わずため息をつく。買い物を始めると止まらなくなるのは、どこの世界の女子も一緒らしい。
店主からネックレスを受け取ったニーナは晴れ晴れとした表情で光一のもとに戻ってきた。
「あは、ごめんごめん! 街に来たのなんて久しぶりだからたくさん買っちゃったー」
あまり悪びれる様子もなくカラカラと笑うニーナは、たった今買ったばかりのネックレスを太陽にかざしうっとりと眺めていた。
「いや、まぁええけど。よう買ったなァホンマ」
光一は荷物で塞がった両手を見返し、その量に改めて驚いた。ニーナはくりんと首を光一に向け、無邪気な声で答えた。
「まぁねー。これは一族みんなへのお土産なんだ。アタシ達の村ではね、エメラルドは特別な石なの」
「エメラルド……ってこの緑のか?」
そう言われてみれば、ニーナが買った物には全てどこかしらに緑色の石がついていた。光一は首を傾げてニーナを見る。
「ふーん、なんでなん?」
「エメラルドってね、よく見たら中にたくさん傷がついてて、硬い割には衝撃を与えたらすぐ割れちゃうくらい脆いんだよ。でも、自分の身と引き換えに主人を悪い魔力から護ってくれる、とっても健気な石なの!」
言い終えるとニーナは、緑色に輝くネックレスを光一が持つ買い物袋にすっと滑りこませた。ニーナが軽い足取りのまま商店街から少し外れた道を歩き始めたので、光一もそれに続く。
「ドラゴン使いの一族は、元々《護る力》を使う民族なんだ。昔から人とドラゴンは争ってばっかりで、戦いの度にどちらもすごく傷付いた。それをなんとかしたくて、アタシ達のご先祖様が自らの魔力を捧げて必死にドラゴン達を説得したの。ドラゴン使いは、人とドラゴンの中立を保つ優しい一族なんだよ」
「へー、やっぱすごいんやなぁニーナの一族は!」
「……うん」
明るい口調で話していたニーナだが、商店街から遠ざかると共に少しずつ声のトーンが暗くなる。路地裏のような細い道で、街のざわめきが遠くに聞こえた。
「だから、その護る力を使ってアタシ達の一族は王族の護衛として生きてきたの。族長の子孫が国王の子孫を護る役目を任され、王族はドラゴン使いに土地と豊かな暮らしを保証する。そうやって代々助けあって生きてきた。……アタシと、ケントの代まではね」
その言葉に光一が眉をしかめる。グラスに着く前、ニーナは自分を族長の一人娘だと言っていた。つまり今の説明でいくと、ニーナが今の王子であるケントの護衛役になるはずだ。振り返らずに早足で歩くニーナの背中に、光一が疑問を投げた。
「あの様子やと今はちゃうみたいやな。なんかあったん?」
「……理由は分からないんだ。二年くらい前だったかな、突然王族側が、ドラゴン使いの護衛制度を廃止するって言い始めて……。情けない話、今まで城からの収入で成り立ってきたような小さな民族だったからさ、途端にドラゴン使いは衰退した。そのまま街に留まるのもみじめだったし、今は森の中に小さな集落を作って暮らしてる」
「……そやったんか」
光一は、ニーナにかける言葉が見つからなかった。無邪気に笑っていた目の前の少女は、一族の生活を背負いたくさんの苦悩を抱え込んで来たのだろう。ケントとの仲が気まずく見えたのも納得がいった。光一と同い年の彼らは、光一の想像以上に色々な事を考えてこの世界で生きていたのだ。
「きっとアタシが弱いから、族長の血を引くアタシが女だったから悪いの。だから今の国王に見放されちゃったんだと思う。ケントが悪いわけじゃないってことも分かってるの。いくらきつく当たったって、ただの当てつけだって分かってる。……でもさ、アタシとケントは、物心ついた頃からずっと一緒にいたんだよ。それなのにあの時、何も言ってくれなかった。責め立てるアタシに、言い訳も否定も一切しなかった」
「アタシはケントを責められる立場じゃないし、別に謝罪が欲しいわけでもないよ。ただ……」
休まず歩を進めていたニーナの足がぴたりと止まる。細い通路に入り込んだ風が、ニーナの束ねた長い髪を揺らした。
「幼なじみなのに……どうして何も言ってくれなかったのかなぁ?」
そう呟くニーナの横顔は寂しそうだった。そして光一も、なんとなくニーナの気持ちが分かる気がした。賢斗はきっと、自分の気持ちを誰かに話したりしない。何を思っていても、たとえ大きな悩みがあったとしても、いつもの笑顔でへらへらしているに違いない。ケントのことはよく分からないが、少なくとも光一が今まで見てきた賢斗はそういう人間だった。
光一は言葉を選んで、ニーナに声をかけた。
「せやな……多分あいつも色々考えてお前に気ィ遣って……」
「どうして? 何に対して気を遣うの? やっぱりアタシが弱いから?」
「いや、そうやなくて……あーもォそんなんオレにも分からんわ!」
光一は必死に丁度いい言葉を探したが、上手く出て来なかった。がしがしと後頭部をかきながら、再び口を開く。
「ようはケントの気持ちを知りたいだけやろ? なら回りくどいことせんと直接アイツに聞いたらええやん! 待っとっても多分、アイツは死んでも本音なんか言わへんで!」
「ケントの……気持ち?」
ニーナの声色が少しだけ変化した。わずかに聞こえていた街のざわめきも、風の音にかき消されている。
光一は少しの間をおいて続けた。
「どっちも意地はっとったらずっとこのままやで! お前はどーしたいん? ケントと仲直りしたいんちゃうの?」
「アタシは……」
ニーナが、俯いていた顔を上げる。その目には先程よりも少しだけ、光が宿っているように見えた。
ニーナはそのままくるりと体ごと振り向き、控えめな笑顔を光一に見せた。
「うん……そうだよね。ありがとう光一。アタシ、ちゃんとケントと向きあってみることにする!」
「おう、その意気やで!」
光一がぐっと前に突き出した右拳に、ニーナも自分の拳を合わせた。
二人が歩いていた細い通路を抜けると、辺りは小さな広場になっていた。ここがケントとの待ち合わせ場所である《西の広場》らしい。ニーナが近くのベンチに腰掛けたので、光一も少しスペースを空けて同じように座った。
広場と行っても少し開けたスペースに木で出来たベンチが二つと、子どもの背丈ほどの噴水が一つあるくらいだ。人通りはほとんど無かった。道に沿って等間隔に植えられている木々の隙間から、夕方の木漏れ日が差し込んでいた。
光一が荷物をベンチに下ろし一息ついていると、どこからか大きな鐘の音が響いてきた。驚いた光一がきょろきょろしていると、隣のニーナが笑い声を上げる。
「この鐘はさっきの商店街にあった、一番大きな噴水から鳴らしてるんだよ。夕方の五時を知らせる鐘。ケントもそろそろ来るかなぁ」
「おぉ、もう五時か……早いなァ」
グラスの色々な所を巡っていたおかげで、あっという間に夕方になっていたらしい。朝が早かったのを思い出し、急激な眠気が光一を襲う。大きなあくびをして、目を閉じかけた。
しかし、その時周りの木々が不自然に揺れた。ニーナがバッと立ち上がり、警戒した目で木を見つめる。光一も閉じかけた目を開き辺りを見回した。
「……なんや今の?」
「風向きが変わった……何か来るよ、光一!」
光一が立ち上がった瞬間、木の隙間からいくつかの影が飛び出す。木々をすり抜けて目の前に現れたのは、真っ黒な身体に鳥のような翼を持つ、数体のドラゴンだった。
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