初めてスザクへの恋を自覚したのは高校三年の夏。 気付けばスザクを追ってしまう視線、スザクの彼女が変わる度に感じる胸のもやもや、声を聞くだけで笑顔を見るだけでふわふわした心地になるその感情は、気付いてしまえばストンとすんなり胸の中に落ちてきた。 ああ、俺はスザクが好きなのか。 自分でも驚く程抵抗無くその感情を受け入れられたのは、先が無いのが解っていたからだろう。 その時にはお互いのこれからの進路を知っていて大学は別々である事はわかっていたし、何より男同士だ。 明らかに女好きであるスザクに、男同士で愛だの恋だの言い寄るつもりは毛頭無かった。 好きだからといって、それを伝えるのが最良だとは思わない。 居心地の良いこの関係が崩れてしまうリスクを、俺は恐れた。 この気持ちを伝えて、一体どうする?スザクが受け入れてくれる確証もない。 むしろ、男の、親友である俺に好意を向けられて、嫌悪を覚えるかもしれない。 面と向かって拒絶されたら。 『君が僕をそんな風に見てるなんて知らなかったよ。気持ち悪い。もう話し掛けないでくれるかな』 シミュレートした可能性に、聞こえもしないスザクの言葉の幻聴に、腹の奥がキュッと苦しくなって頭からサァッと血の気が引くのを感じた。 そんな事には耐えられない。 スザクに嫌われて、気持ちを全否定されたら。 友達としても傍に居ることを許されなくなる位なら、いっそ。 そうして俺は、小さく芽生えていた恋心を心の奥深くに閉じ込めて、蓋をした。 ◇ あの日、動揺したままスザクの腕を振り切って店を後にした。 真っ直ぐに見詰められた事が怖かった。 告げられた言葉に、身体が震える程の歓喜を覚えた。 そんな自分が許せなかった。 すっかり過去の思い出になっていると思っていた恋心は、全く思い出なんかになっていなかった。 無理矢理蓋をした気持ちが、スザクから告げられた言葉で、あっさり箱から飛び出す。 でも、だからなんなのだろう。 スザクへの気持ちを再び自覚したとしても、俺にもスザクにも既に家族がいる。 何よりも大事に大切に育むべき家庭がある。 過去の気持ちに振り回されて、疎かには出来る筈もない。 俺は俺なりに妻も子供も愛しているし、その責任もある。 スザクだって、あの場では熱に浮かされた様に雰囲気に呑まれていただけで家庭は大切な筈だ。 あれでは、…あの発言にはあまりにも責任感が無さすぎる。 スザクはそんな人間じゃ無い。 そうだ。 あれは、昔馴染みと顔を合わせたせいで古い感情が呼び覚まされただけで深い意味なんか無いんだ。きっと。 むしろ、当時スザクも俺を想ってくれていた、その事実だけでほろ苦かった思い出が甘く美しいものに変わる気がする。 スザクから告げられた言葉の真意を考え続けて自分なりに思い至った結論に、少し胸が軽くなった。 スザクから『謝りたいことがある。』その一文だけでメールが送られて来たのは、それから数日後の事だった。 ◇ スザクのマンションを訪れるのは2回目だ。 俺の自宅からもそう遠い所では無いけれど、ここに引っ越した時に1度祝いを置きに来たきり、新婚家庭にお邪魔するのはなんとなく気が引けて訪ねる機会が無かった。 「ゴメンね、わざわざうちまで来てもらって」 「いや、それはいいんだが…」 リビングに通されソファーに座る様に言い置いてキッチンに飲み物を取りに行ったスザクを待つ間にぐるりと室内を眺めた。 スザクの趣味と少し違う内装に、ここは『スザクとその家族のホーム』だということを改めて意識させられて少しの居心地の悪さを感じる。 そうしている内に、スザクが申し訳無さそうな顔ををしながらマグにコーヒーを入れて戻ってきた。 顔を見るまで上手く平静を保てるか不安でいっそ帰ってしまおうかとも思ったものの、実際顔を合わせると馴染んだ空気にどこかホッとする。 よかった。 スザクの様子におかしな所は無い。 内心安堵しながらも、3人掛けのソファに少し間を開けて隣に座ったスザクに思わず反射的に距離を取ってしまう。 俺の反応に気付いたスザクは小さく苦笑した。 しまった、失態だ。 これじゃ逆に意識してると言ってる様なものじゃないか。 「はい」 「あ…悪い、」 差し出されたマグを受け取って、何を言ったらいいか悩む。 謝った方がいいんだろうか。 いや、でもそもそもの原因はスザクが…。 というか。 そうだ、今日来たのはスザクから謝りたい事があるという話だったはずで。 「折角の休日にゴメン」 「それはお互い様だろ」 「でも、休みは家族サービスしなきゃ駄目なんじゃない?」 「逆に俺がいない方が実家に顔を出しやすいんじゃないか」 「そういうものかな?」 そんなものさ。と、一言呟いてマグに口を付ける。 芳ばしい香りと苦味が口の中に広がった。 「ねぇ、ルルーシュ」 「うん?」 「この間は、ごめん」 唐突に本題に入られて、一瞬身体が強張る。 それを悟られ無い様に自然を装って小さく呼吸を整えた。 「いや…、俺もいきなり帰って悪かった」 「ううん。あれは僕が悪かったんだ。場所を弁えるべきだった」 ごめん…。と、いつになく殊勝に謝る様子が主人に怒られた犬の様で、思わず笑みが零れる。 「もういいよ。過去の事なんだからそんなに気にする事は無いさ」 「…過去?」 「実を言うと俺もお前の事を気に入ってたんだ」 「………」 「だから嬉しかったよ、ありがとう」 一息に告げた言葉に照れ臭さを感じて誤魔化す為にコーヒーを一口啜る。 顔が、熱い。 「ルルーシュにとったら過去の事なの」 隣から思いの外低い声が聞こえてきて、不思議に思ってスザクを窺い見るとこちらを見詰める真っ直ぐな視線とぶつかる。 あの日、バーで向かい合った時の様に。 「スザク…?」 「僕が謝ったのはTPOを弁えて無かった事にだ」 「?スザク?」 「君を愛してるって言った言葉は、撤回しない」 「何を、」 スザクの言っている事が頭に入ってこない。 まるで異国の言葉を聞いたように脳の表層を滑って理解出来ない。 言われた台詞に対して言い淀む俺を見てどう思ったのか、スザクはふっと表情を緩ませた。 「別に君に応えて欲しい訳じゃないんだ」 「………」 「僕が勝手にそう思ってるだけだから」 「…お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか」 「え?」 余りに自分勝手なスザクの言い分に、今この場に居ないスザクの奥さんに申し訳無くて居たたまれない。 「応える応えない以前の問題だろ、こんな…」 「…?」 「お前、自分の立場を考えろ」 「立場?」 「お前は、…俺だって既婚者だ」 言葉を吐き出すと、鉛を飲み込んだように胸の中がずしっと重くなる。 「そうだね」 「…わかってるなら、なんで」 「別にこれは家庭なんか関係無い話だろ」 「は…?」 「僕と君…いや、僕の問題だ」 「………」 極めて一方的な発言に、比喩では無く開いた口が塞がらない。 俺の間の抜けた反応に反して、当のスザクは平然とした顔でコーヒーに口を付けていた。 「さっきも言ったけど、君に何かを求めてる訳じゃないから気にしないで」 「…なら、どうして…」 黙ってさえいればお互いなんの蟠りも生まれずに今まで通りいられるっていうのに。 今、お互いが別々の幸せを掴んでいるこのタイミングで、スザクがこんな事を言い出す理由が解らない。 何も求めていない、思いに応えて欲しい訳じゃない、そう言うのであればこのスザクの言動は矛盾しているのでは無いのか。 色んな思いが頭を駆け巡って、答えが出ないまま沈んでいく。 思考に飲み込まれたまま視線を感じて顔を上げると、透き通った翡翠の瞳と視線が絡み合った。 「愛してるよルルーシュ」 ふわり、と眼を細めて蕩けそうな表情で告げられる言葉は、無責任で自分勝手で独り善がりでしか無いのに。 自分の妻が存在を明らかに主張している自宅で俺に愛を囁ける神経はとてもじゃないが理解出来ない。 考えるまでも無く非常識で馬鹿げている。 なのに、 甘く発せられた言葉は毒の様に胸に染み渡り、俺は何故か泣きたくなった。 ← end? じこちゅーるぎ |