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26.サイレントクライ

「私は呪術師にはなりません。すみません」

 数日後、呪術高専を訪れた郁はそう言った。夜蛾と、五条の前。力になれる時があれば手伝う。それでは駄目かと。夜蛾も五条も別段驚いた様子はなかった。想定していた答えなのかもしれない。きっと郁の考える事なんて、この大人たちには筒抜けなのだ。人生経験に於いて郁は圧倒的に負けている。当たり前の事だが。二人は顔を合せる。頷いた五条が郁に視線を戻す。

「そうだね。どうなるかは分からないけれど、呪術師という職業がある事を覚えてくれていたらいいかな」

 郁は分かりました、と答える。続いて五条は、これからも呪霊が寄ってきやすい性質は変わらない事、それ故顔を合わす機会もあるだろうという事を説明した。最後に「よろしくね」と言って締めくくる。郁はそれにも分かりましたと答えた。すまないな、と夜蛾。何を謝るがあるのだろうと郁は思う。寧ろ感謝の念を抱いているのに。だから郁は有難うございますと言った。夜蛾は動じない。ただ五条の名を呼んだ。呼ばれた五条は「恵が部屋の外に居るよ」とこちらも表情を崩さずに。帰っていいという事なのだろうと郁は判断する。一つ礼をして二人に背を向けた。扉を開ければ確かに伏黒がそこに居て、郁に行くぞと声をかける。郁は促されるまま伏黒について行く事にした。

「上への弁明が大変だな」
「仕方ないじゃないですか。郁の未来は奪えませんよ」

 部屋の中、夜蛾と五条の会話だ。大変、と言いながらその口ぶりは重くはない。大人として子供の未来を守る。その点で二人の意見は一致している。弁明などいくらでもしよう、郁が郁らしく生きられるのなら。それが二人が郁に接してきて至った結論だった。
 一方、帰るのかと思いきやグラウンド傍の階段に連れて来られた郁。座り込んだ伏黒に倣って、郁もその隣に腰掛ける。暫く風の音を聴いた。木々の香りがする。このまま風に乗って流れていけたら楽しいだろうに。郁はそんな事を思った。沈黙。気まずくはない。伏黒と居て沈黙になる事は多々あっても、郁はそれを不快に思った事は一度もなかった。今も同じだ。
 呪術師になる事を、郁は断った。伏黒には五条たちに言う前に既に話していた事だ。だが断ったなら断ったで、不安は拭えない。自分の判断が正しいのか間違っているのか、郁は分からずにいる。言ってしまったからには、進むしかないのだけれど。

「大丈だろ」

 郁の不安を分かっているかのように伏黒が言った。視線はグラウンドに向けられたままだ。郁はちらりと伏黒を見て、自分もグラウンドに視線を戻す。言葉は発しない。伏黒は少し間をおいた後「何かあったら呪力貸してやるよ」と続けた。郁は頼もしいねと笑う。それしか出来なかった。頭の中がごちゃごちゃしている。道は決めたはずなのに、全くすっきりしなかった。ああそうか、郁はある結論に至る。頼りきりなのだ。皆に、伏黒に。高専での日々は郁にとって日常になっていた。その中でも伏黒と過ごす時間は特別。自覚している事だ。伝えようという決意はもうついている。この際だ、伏黒にもっと荷を背負わせてやろうと思った。随分自分に良いように考えているなと思いながら。自分がすっきりする為に、思いを伝えようなんて。
 伏黒くん。郁は言葉を発する。

「私伏黒くんが好きよ」
「は?」

 伏黒の反応は思った通りだった。今の状況で言う事ではなかったかもしれない。でも郁は今伝えたかったのだ。随分積極的になっている自覚はある。いつもと変わらない様子で、郁は続ける。世間話でもしているかのような雰囲気で。

「例え伏黒くんが私の事どうとも思ってなくても、私は伏黒くんが好き。それだけ伝えたかった。じゃあね」

 言いたい事だけを一気に言って立ち上がる郁。伝えたい事は伝えた。答えは貰わなくとも満足だった。伏黒の一番に、自分はなれない。ただ想いを知って貰いたかたのだ。そうして、少しだけ意識すればいいと思った。郁の目的は達せられたのである。心は晴れやかだった。さて帰るかと思ったところで伏黒に腕を掴まれる。

「勝手に言いたい事言って逃げようとすんじゃねえよ。俺だって」
「無理しなくていいよ」

 郁は伏黒の言葉を遮った。続きを聞くのが怖かった。もし両想いだったら、そんなに悲しい事はない。優しい伏黒が好きだ、大好きだ。独占したくない。けれど独り占めにしたい。ちぐはぐな想いが郁の心の中で渦巻く。

「多分、伏黒くんの好きと私の好きは釣り合わない」

 郁の言葉を受けて伏黒は考える。そんな事、と言いかけたら「あるよ」と否定された。好きだというのにこちらの意見は聞きたがらない郁に、伏黒はもやもやする。何も言わせて貰えない。郁と居ると感じる事がある感情。その意味が、分かった気がした。分かってしまったら、無視するわけにはいかない。
 郁が、一歩踏み出す。伏黒の手は、いつの間にか離れている。郁の表情は伏黒からは見えない。

「伏黒くん、これから私の事好きになってくれる?」
「……お前がそれを望むなら」

 郁は伏黒を見ずに言う。貰った答えは、郁にとっては十分すぎるものだった。
 伏黒は伏黒で、最善だと思う事を言ったまでだ。とっくに好きでいるとは言わない。価値観は違うものだし、好き嫌いで論争する心算はない。
 郁の横に並ぶために伏黒も立ち上がる。

「帰るぞ、郁」

 声をかける。郁は驚いたような表情で立ち尽くしている。

「どうした」
「……何でもない!」

 伏黒が見た郁の表情は、いままで見たどれよりも輝いていた。


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