サーチライト
手を繋ぐ時、指を絡めとるようにする彼が、苦手だ。手と共に、心まで全て彼の思うままに支配されてしまいそうな感覚になる。
彼、犬飼くんには、果たして私のこの気持ちは伝わっているだろうか。心が落ち着かない、どうしようもなくもどかしいこの気持ちが。
「何処行こっか」
二人で映画を観た後、犬飼くんはそういって手を差し出す。ああ、またこの時間がやってくる。恥ずかしい、とか、そんなのではない。恋人なのだし、何の問題もないと思う。けれどやっぱり、心は落ち着かない。
「私、買いたいCDがあって」
内心を読まれないように、隣に並ぶ。そっと合わせた手は、触れるより早くするりと指を絡めとられた。
ああ、やっぱり、とか。上手だよなあ、とか。そんな思いが頭を過る。犬飼くんは器用なんだと思う。だからこんなに、スマートで。
「じゃあ買いに行こう」
そう言って歩きだす。私に歩幅を合わせてくれているのが伝わって、やっぱりスマートだなあなんて頭の隅で考えた。
歩くのに合わせて繋いだ手が前後に揺れる。じんわりと温もりが伝わってきて、気恥ずかしいはずなのに幸福感を覚えた。
私は犬飼くんにとって、特別なんだと。自惚れとも取れる感情に支配される。
「何のCD買うの?」
「洋楽なんだけど。置いてるかなあ」
求めているものはあまりメジャーなものではない。店によっては置いていない事もある。一人であれば梯子するのだが今日はデートだ。あまり私用に犬飼くんを連れまわしたくない。故に、行った所にあればいいか、位の感覚だった。
「んー……」
「ない?」
二人で入った店には入荷していないようで、いくら並べられたCDを確認しても目当てのものは見つけられなかった。仕方ないなと溜息をつく。注文する程でもないし、また今度違う店にでも探しに行こう、そう諦めた。
「違う所にも行ってみる?」
「ううん、大丈夫。今度にするよ」
「別に梯子する位いいよ?」
「急いでないから」
そう言って笑ったら、犬飼くんは何だか微妙な顔をして、「まあ、香菜がそれでいいなら」と納得したようだった。CDを探す旅も楽しいかもしれないけれど、やっぱり自分の都合に犬飼くんを振り回すのは申し訳ない。
「じゃあ、はい」
店を出ると共にまた差し出される手。どうしても一瞬緊張してしまう。犬飼くんと付き合って暫く、こればかりはいつまで経っても慣れない。
犬飼くんは、どんな気持ちで手を繋いでいるのだろう。どんな気持ちで、指を絡めとるのだろう。
聞いてみたいなんて思ったり、でも気恥ずかしくてそんな事言いだせないやと思ったり。私に犬飼くんの意図する所を想像する力はない。
するりと私の手を掠め取った犬飼くんは、こちらの心境など何も気にしていないように歩きだした。
「香菜はさ、あんまり自己主張しないよね」
無言だった犬飼くんが急にそんな事を言うものだから、どうかしたのかと身構えてしまう。自分ではそれなり主張はしている心算なので、言葉の内容にもびっくりした。一体彼の心境に何があったというのだろう。でも犬飼くんの顔は笑っているから、深刻なものではないだろう、と思いたい。
「どうしてそんな事言うの」
「手」
「手?」
オウム返しに問えば、「あんまり好きじゃないでしょ」と言葉が返ってきた。違う、そうじゃないんだと言いたいのだが、自分の気持ちをどう伝えたらいいか分からなくて戸惑う。苦手なだけで、好きじゃない訳じゃないんだ。この微妙な思いを伝える言葉を、私は持っていない。
「ごめんごめん、気にしなくていいよ」
迷っていたら、犬飼くんは私が何かを言うより早く自分の発言をなかった事にしようとするから。これじゃ駄目だ、と思った。ここで何も言わなかったら、もう犬飼くんに手を繋いで貰えないんじゃないかと思ったのだ。
「あのね、聞いて」
私は思い切って犬飼くんに切り出した。ここは、私が自発的に発言しなければならない場面だ。
「嫌じゃないの。ただちょっと、苦手だとは思ってる。でも嫌いじゃない。好きだよ。犬飼くんの温もりが伝わってきて、好き」
何を言うか考えてしまったら何も言えなくなる気がして、口が動くままに言葉にした。言わないと通じない、でも犬飼くんは言葉足らずでもきっとわかってくれる。そう思って。
案の定、「そっか」と笑ってくれた。
「いつも、手が強張ってるから。一向に慣れる気配ないし」
「それは……ごめん」
「いいよ、香菜の気持ちはわかった」
良かったよ、と犬飼くんは繋いだ手に少しだけ力を込めた。嫌いって言われたらどうしようかと思って、と続けて。いつも余裕そうだったけれど、彼も不安にお思う所はあったらしい。申し訳なかったな、という気持ちになる。
「ごめんね」
「香菜は謝らなくていいの」
にっこりと笑う。どこまでもスマートだ。私なんかに勿体ないな、なんて思ったら犬飼くんは「香菜はおれには勿体ない」なんて言うものだからびっくりしてしまった。
「私も同じ事考えてた」
どうして? とか、そんな事ないよ、とか言いたい事は沢山あったけれど、口をついて出たのは違う言葉だった。反射に近い。
犬飼くんは「それは嬉しい」と目を細めた。
「ここが街中じゃなかったらキスしてた所」
「へ? もう……そんな事」
「いや、本当に」
いきなりキスなんてされたら心臓がもたないと思うので、ひとまずここが街中である事に感謝する。キスが嫌いな訳じゃない。ただちょっと、キスも苦手。理由は、手を繋ぐのと同じ。
きっとずっと慣れる事はないんだろう。けれど犬飼くんとはずっと一緒に居たいと思う。
繋がれた手の体温を感じながら、私たちはあてもなくふらふらと歩いた。いつまでも、この平凡な日々が続きますように。
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