37.ノンスイート
結希と五条は打ち合わせ通り、二人で街へやってきていた。急な任務が入らなくて良かったと双方思っている。決して口にはしないが。
さて問題は何処に行くかだ。五条はそこの所は本当に何も考えていなかった。よって言葉通り、行き当たりばったりになる。
「悟さん」
「祓うぞ」
「ごめんなさい悟くん」
そんな五条に結希が話しかける。結希にさん付けされるのは何となく苦手だった。周りから言われ慣れていない、というのもあるかもしれないが、それでけではないような気がして。でもそれを級友の誰にも言った事はない。勿論、結希にもだ。
だからぶっきらぼうを装えば、結希はあっさり引いてくる。何だかんだ先日から始まったばかりのこのやり取りも、嫌いではなかった。ただ夏油あたりは五条の心境に聡そうで、なるだけなら夏油の前で呼ばないで欲しいとそれだけ思っている。別にそれならそれで認めてしまえばいいだけの話なのだが、やられっぱなしは性に合わないので何か反攻に転じる事ができるネタが欲しかった。
「何だよ」
それはさておき結希が話しかけている。無視する事は出来ない。二人しか居ないのだから当然なのだが、結希の言葉は真っすぐ五条に向けられている。
「行きたい所がある」
「どこ」
「新しく出来たカフェ」
本屋、と言われると思っていたのでそこは拍子抜けだ。結希の口からカフェなんて言葉が出てくると思わなかった、なんて言えば結希がへそを曲げかねないので言わないでおく。そんな事で機嫌を損ねる結希ではないのだが、五条は結希の何たるかを掴みかねている節がある。だからこそ、惹かれているのかもしれないとも思う。
「別にいいけど」
「……反論何もないと気持ち悪いんですけど」
結局煮え切らない回答になってしまった。そうしたら結希が失礼な事を言ってくるので、五条としても少し意地悪したくなってくる。素直に喜べよ、とは言わない。
「行きたいのか行きたくないのかどっちなんだよ」
「すみません、行きたいです」
少し責めてみれば素直に謝る。本当に行きたいのだ。結希とて街のあれこれに詳しい方ではない。誘われた日の夜、どんな所がいいか慣れない携帯端末を使って調べた。それでも分からず恥を忍んで硝子に聞いてみれば、そういえば新しく出来たカフェが人気らしいよ、とアドバイスされて今に至る。
珈琲の種類が豊富らしい。結希は珈琲が好きだ。故に行ってみたいと思った。
「……目立つ」
「ああ?」
実際行ってみたら流石人気らしく混んでいて、二人は外で暫く待つ事になった。並んで列になって、結希が持ったのがこの感情である。
五条は列から頭一つ抜けている。待ち合わせする時なんかはいい目印だが、こうして並ぶとなると話が違ってくる。
「身長縮めよ」
「理不尽だな」
「いつもの悟くんに比べたら」
「俺そんな難題突きつけてねえよ」
喧嘩したいのではないが、不満がぽつぽつ零れ落ちる。結希とて無理な話を吹っかけている自覚はあるのだが、思ってしまったのだから仕方ない。
ただ、会話をする二人は傍から見れば完全に痴話喧嘩をしているようにしか見えないだろう。五条は薄々気づいている。知らないのは結希ばかりだ。そういう所に、鈍感な結希が顔を出す。
「くっそ腹立つ。私もモデル体型になりたい」
「諦めろ、後で絶望すんの自分だぞ」
「腹立つ」
真顔で一蹴されて、ぐうの音も出ない結希。現実そうなのだから反論しようがない。高望みは思い止めるだけにしておくのが丁度良い。これからぐんと身長が伸びて足が長くなって、なんて事は残念ながらないだろう。ただ悔しいものは悔しいので、慰み程度の愚痴は口にしておいた。
「やっと入れた。悟くんが待つの平気な人でよかった」
「別に、そんな事気にしねえよ。傑とかと並ぶのは勘弁だけど」
「違いないや。てかナンパされ……いや怪しまれそう。捕まるんじゃない」
夏油と五条が二人で並んでいる所を思い浮かべ、結希は少しだけにやける。二人のなんたるかを少しは知っている結希からしたら明らかに不審者だ。けれど二人とも見てくれはいいし、黙っていたら声をかけられたりもするのだろうか。そうしたら五条はどんな反応をするのだろうか。
最近、五条の事を考える事が本当に多くなった。いつの間にか結希の心に入り込んできた五条は、頑なに心の中に胡坐をかいている。結希本人どうしたらいいのか分からずに、変わらない日常を続けている。
「覚えてろよ今度任務一緒になったら全部結希に押し付けてやる」
「すみません言い過ぎました」
「で、何頼むの」
席についてそんなやり取りをしながらメニューを広げる。確かに珈琲の種類が多い。結希は表には出していない心算だが明らかに目が輝いているので、気持ちが高ぶっているのが丸わかりだ。
「プレミアムブレンド、ブラックで」
「ブラックって。もう少し可愛げのあるもの頼めよ」
「ブラックコーヒーが好きなんです。そういう悟くんは何頼むの」
五条の問に結希が答える。桃が好きだったりブラックコーヒーが好きだったり、五条が知らない結希はまだ沢山居る。それを少しずつ知っていくのは楽しいと思う、もっと知りたいと思う。けれどそれを結希に聞かせる心算はない。こうした気にも留めない日常の中で、少しずつ知って行けばいいのだ。
「お勧めとかあんの」
「マンデリンとかどうですか」
「じゃあそれ」
と言っても珈琲に詳しくはない五条は、結希のお勧めをそのまま頼んでみる事にした。結希は「ブラックでいいの」と確認してくる。
「俺がブラック飲めないとでも?」
「悟くん大人」
「嫌味にしか聞こえねえんだよ」
そうして二人はブラックコーヒーとそれに合った甘味を満喫し、その後はやっぱり本屋にも行きたがった結希に付き添って、なんだかんだ街を歩いていればもういい時間だった。
そして一日を早めに切り上げた五条と結希、寮にて。
「はあ、満足」
「そりゃ良かった」
結希は五条の部屋でベッドに背を預けて座っている。手元には、まだ手を付けられていない新しく買ってきた本が二冊。夜寝る前に読む用だ。
本が好きだと言っても読むのはそんなに早くなく、じっくり見返しながら読むのが結希の本の読み方なので、二冊あれば暫く持つであろう。
「結果私に付き合わせたみたいになったけど良かったの」
「予定はなかったしな」
「ふうん」
今日の五条は何だか優しかった、とは言わない。甘やかしてくれたのだろうか、自分はそれ程の感情を持って貰える人間なのだろうか。不意に負の心が顔を出す。自分に自信を持てないのは癖のようなものだ。
「何だよ」
「いや、何でもない」
「じゃあ一個だけ俺の欲しいもの貰うわ」
「何?」
それまでベッドの上に座って結希の頭を見ながら会話をしていた五条だが、その場所を降りて結希の隣に座りなおす。そうして前を見ている結希の顔に自分の顔を被せるようにして、軽い口づけを落とした。
「っは、あ?」
不意を突かれた結希は真っ赤な顔で口をぱくぱくさせているので、五条はどうにも面白くなって。もう一度唇を塞いで、今度は腔内まで侵食してやろうと思ったのだがしっかりと閉じられた結希の口にそれは叶う事はなかった。
「顔赤すぎんだろ、バーカ」
「卑怯!」
「なんとでも」
まあこんな顔を見れただけでも良しとしよう。五条はそう思ってまだ真っ赤な結希を眺める。見ないで、なんて言葉は聞こえない振りをした。
振り回しているようで振り回されているようで、この関係が心地いいと思っているのは、きっと自分だけじゃない。二人とも、心の奥でそう思っていた。