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14話 雨と秒針

 時間という概念から切り離されたような自室。いつきはベッドに横になり雨の音を聞いている。雨の日は暗くなるのが早いから、時間の感覚が狂う。夜が長く感じる。

 しとしと、静かな雨の音に何となく心が体ごと沈んでいくような感覚に襲われた。いつきはこの感覚が好きである。可笑しい、と思われるかもしれない。でもそう思ってしまうのだから、いつきはこの感情を肯定する。誰が否定しようとも、いつきだけは否定してはいけない気がした。元来、頑固な性格である。

 今は一体何時なのか。一階から音がするから、きっと両親はまだ起きている。テーブルに並べておいた夕飯は無事両親の胃袋に収まっただろうか。透明人間でも料理は出来るし、出来上がったものは普通の人にも見えるし食べられるらしい。

「見えないのは、私だけ」

 独り言がついて出る。何ともやるせなかった。両親は、勝手に用意されている食事をどう捉えているのだろう。もしかしたら上手く辻褄が合うように、世界が弄られているのかもしれない。そんな事があるのだろうか。疑問に思うのだが、聞く事は叶わない。

 これ以上考えても仕方ないと、いつきは最近仲良くなった男性の事を考える事にする。魔法使いの、彼。彼はたまに不思議な事を言う。それは魔法使いが故なのだろうと、いつきは疑わなかった。

「おれは魔法使いなんだよ」

 最初に会った時、そう言われた時のいつきの衝撃は、自身でもびっくりするものだった。すぐ受け入れる事が出来たのは、自分も普通の人間でない自覚があったからだと思う。普通の人は、きっと知らない男の人がいきなり自分は魔法使いだ、なんて言ったら不審がって距離を置くだろう。そういう面でも、いつきは少し変わった女の子だった。

 迅と過ごす時間を、いつきは純粋に楽しんでいた。家でも学校でも、誰とも話さない、話せない。だから専ら、いつきの話し相手は迅だったし、それを不満だ、なんて一切思っていなかった。迅が、魔法使いさんが居てくれたらそれでいいのかもしれない、とまで思うようになっていた。
 それは憧れなのか、はたまた違う感情なのか。そこまで深く考えた事はなかったけれど。

 今日、いつきは雨の中公園のベンチに座っていた。体を濡らす雨に、少し救われたような気がした。
 その時間は、迅が傘を傾けた事によって終わりを告げたわけだが。いつきは透明人間だ。迅以外には見えていないのだ。濡れていても、誰も気にしない。気にするのは、迅だけ。

「……あれ」

 ふと一つの疑問に至った。それは日常生活にとって何でもない事で、でもいつきにとっては不思議な事。
 先日、いつきは迅の為にコンビニでホットスナックを買った。という事は、コンビニの店員にいつきが見えていた、という事になる。姿も見えるし、声も聞こえていたはずだ。でないと目的のものは手に入らないのだから。買い物にだって行くこともある。何の問題もなく、買い物をする事が出来ていた。

 それを当たり前と感じていた自分に、大きな違和感を感じた。自然ととった行動であったが、透明でない事が当たり前であるなら、自分が透明人間であるという認識は間違っている事になる。それはあってはいけない事だ。

「何故?」

 何故あってはいけない事なのか。疑問はそこに行きつく。何故自分は透明人間だと思っているのか。何故自分は透明人間でないといけないのか。わからない。いつから、何故。何もわからない。この違和感は何だ。

“あなたは透明”

 誰かが脳裏で囁く。やめて、やめてといつきは耳を塞ぐが、そんな動作何の効果もなかった。聴覚を無視して、脳内に直接声が響いてくる。頭の中がどんどん混乱していく。処理能力が思考に追いつかない。

“あなたは透明”

 違う。透明なんかじゃない。頭の上から布団を被った。何をしても無駄で、それが分かっていても抗わずにはいられなかった。認めてしまえ、楽になれ。囁きは暗にそう言っているようで、やがて無意識のうちに脳内が支配されていく。

“あなたは透明”

 そうじゃない。そうじゃないのに。ああでも、そうかもしれない。いつの間にかぎゅっと握っていた拳を、ゆっくりシーツに出来た皺に沿わせた。
 そうだ、私は透明だった。いつきの頭を支配するのは、ただの空虚になってしまっている。声が透明だというのだから、きっと透明なのだ。考える事を、いつの間にか放棄してしまっていた。

「私は……透明」

 声に出して言ってしまえば、すうっと、何だか気持ちが楽になる。このまま寝てしまおうと、いつきは目を閉じた。

 透明。そう、透明。難しい事は何もない。ただ透明である事だけが現実で、真実。それ以上でも以下でもない。もし誰かがこの一連の流れを見ていたら、いつきの心は壊れてしまったのではないかと思うかもしれない。いつき本人にも、どうであるか分からない。ただ今は、もう何も考えたくなかった。寝逃げ、というのは便利な手段だと思う。

 しばらくして規則的な寝息と時計の針が進む音だけが、静かな部屋に飽和する。
 眠りにおちたいつきの目から、つうっと一筋の涙が流れ出た。


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