逃走



これの続き




あれからどれくらいの日数が経ったのだろう。怒りにまかせて投げて返した指輪は彼にもらった唯一の物だったのに。もう一度渡しに来てくれる気配すらないというのはやはり俺は彼にとってどうでもいい存在だったという事なのだろうか。ただのご機嫌取りで贈ってくれただけだったんだろう…ペアになっていたのもたまたまなんだろうな…。いや、それ以前に探すなと強く怒鳴ったのは俺なんだから、別にアッシュが探しにこなくても自然な事なんじゃないか。なんであんな事を言ってしまったんだろう。

「寂しいなんて…馬鹿だな、俺」

そろそろ帰ってしまおうか。だが、もしそこに己の居場所がなかったら?アッシュにもうお前はいらないと言われたら?…耐えられるわけがない。今度こそ乖離しきって消えてしまいそうだ。

ベッドサイドに置いてあるテーブルの上には昨日眠る前に書いていた日記帳がある。ペラリと捲ったページの数と日付とを頭の中で数えながらあの日を辿ってみると、今日を合わせてもう二週間が経とうとしている直前だった。

「さすがに二週間経てばマイナス思考になってくるよなー…」

こればかりは卑屈ではないと思う。愛おしい人のあんな姿と事実を見て聞いてすれば、落ち込んでしまうものだろう。落ち込んでるのと裏腹に燃え滾る嫉妬心は今も沈まずに蝕んでくる、俺だってまだ怒ってるんだぞ。でもアッシュはナタリアとの約束を大事にしていたんだから…。それに触るなと怒鳴った時のアッシュの顔は恐くて見れなかった。よほど大事だったんだろう。アッシュがルークであったときの唯一の思い出であろう小さな指輪にはきっと沢山の思いが詰まっているに違いない。

「やっぱり、俺は生まれてくるべきじゃなかったのか…」

ガイのあの話を聞いた途端に頭の中が真っ白になった。その後嫉妬に駆られてあの様な行動に出てしまったけれど。きっとこれでよかったんだ、なんて考えている自分がいるのはアッシュの幸せを願っての事なのか自分のただの諦めの心からか。

「もう一眠り…しますか」

滲んできた視界が鬱陶しくて瞼を閉じた。





『もう一度俺に受け取って欲しかったらよーく考えろ!!それまで俺に触るんじゃねぇ!!!!あと探すな近づくな!!!!』

俺の頭に当たった後にカシャンと音を立てて落ちたそれは愛おしい半身に贈ったシルバーリングだった。お互いの首に掛け合ったあのリングを投げつけられた方に目を向ければ、きつく此方を睨みつける翡翠の瞳に憎悪にも似た嫉妬と溢れんばかりに滲んだ涙を浮かべる半身の姿があった。踵を返し走り去るその背中を慌てて追いかけたがどういう事か一向に追いつけない状態で屋敷の外に出るとアルビオールに乗り込む金と朱が見えた。此方にちらりと目を向けた金髪の元使用人は困ったように眉を下げ薄く口元に笑みを浮かべると何も言わずに再び顔を背け、手をひらひらと振って見せた。それは挑発なのか呆れからなのかその時の俺には考える余裕もなく、飛び去っていくアルビオールを見送る形となってしまった。きっとあの金髪の元使用人がルークに教えたんだろうあの指輪の意味。アルビオールが見えなくなってから、酷い喪失感に襲われた。
なんで逃げたんだとか、なんでそんなに逃げ足ばかり早いんだとか…そもそも俺はあの時ルークを本気で追いかけていたのだろうか?追いつけなかったのではなく追いつく気が無かったのかもしれない。なんて事だ…。一瞬でも己があの愛おしい半身を見捨てるような行動をとってしまっただなんて。

再びルークの部屋へと戻り、あの指輪に向かい合う。ナタリアと約束をした際交換した小さな指輪はルークのクローゼットの中に密かに隠れていたらしい。今までの年月の中で出てこずに今になって出てくるとは、一体どこに入り込んでいたのやら。
あの時の自分はナタリアと必ず国を変えていくんだと幸せで…思わず緩んだ顔を見たガイにものすごく嫌そうな顔をされたのを覚えている。

「小さい、な」

当然だろう。当時十歳だった子供の指に合う指輪だ。傷を増やさないようゆっくりと拾い上げて手の平に乗せてみる。小さなエメラルドのはめられたそれを、貴方の瞳の色によく似ていますわ、と撫でていた幼い指を思い出した。

カシャン、とまた軽い金属音がして足元を覗き込むと、いつの間に握りしめていたのか手から滑り落ちた愛おしい半身のリングが落ちてしまっていた。その様がルークの姿とかぶり、全身から血の気が引いていく。まるで浮気を見られた恋人のような反応をする自分に思わず嘲笑が漏れた。

「屑は俺の方だ…」

早く追いかけたいのに、思い出に浸っている己はもうルークに相応しくないのかもしれない。とんだ屑野郎な俺をルークが許してくれるとは思わなかった。もう一度受け取ってほしい気持ちは勿論ある。でも今追いかけて「すまなかった」とリングを渡しても受け取ってもらえない気がしてこわい。

「よく考えろ…か」

ナタリアと約束した"ルーク"はもういない。俺はアッシュだ。そしてアッシュである俺の心を救ってくれた愛おしい人は己の完全同位体のルークただ一人。そう、ルークだけなのだ。どちらを選ぶんだと問われれば迷いなくルークと答えるだろう。それでも、ナタリアの事が気がかりではないわけではなかった。現にこの指輪に触れようとしたルークを咄嗟に怒鳴ってしまったのも一つ。

「屑が…」
「アッシュ様、公爵様がお呼びです」
「…わかった。すぐに行く、下がれ」
「はっ」

部屋に響くノックの音で現実に引き戻されたはいいものの、相変わらず心は置いて来たかのようについてきていなかった。



あれからもう二週間が経とうとしている。心ではルークだと決めているのにもかかわらず相変わらずルークを迎えにいけない小心者の俺を誰か嘲ってやってくれ。

「アッシュ様。マルクトからお客様が見えておられます」
「客…?」
「はい。ガイラルディア・ガラン・ガルディオス様です」
「…ちっ、通せ」
「承知いたしました」

だがこの親馬鹿に嘲われるのはごめんだ。
メイドが一礼して一歩下がるのと同時にその後ろから一歩出てきた、かつての使用人はルークに向ける表情とは全く違う表情をして俺の部屋に足を踏み入れた。

「アッシュ。元気そうだな」
「はっ、そう見えるのかよ?」
「見た目的には」
「……」

相変わらず俺に対しては厳しい態度でいらっしゃることだ。一つ溜息を零しながらに髪をぐしゃぐしゃと掻き回す様は呆れからきているんだろうが。

「ルークを迎えに行かないのか?俺といたんだからどこにいるのかは予想がつくだろ?」
「グランコクマだろう。お前の屋敷にいるのかまでは知らんがな」
「そこまでは教えられないな。お前がルークを本気で迎えに行きたがらないままじゃ」
「迎えに行きたいに決まっているだろうが!」
「じゃあ何で行かないんだよ」
「…お前には関係ない」
「はー…お前って奴は…」

もう一度溜息をついたガイはドカリと近くにあった椅子に乱暴に腰かけて目の前のテーブルに置いていた二つの指輪付近で神経質そうに何度も指でテーブルを叩く。らしくない行動だ。そこまで呆れているのか機嫌が悪いのか、額を手で覆って再び大きなため息をつく。

「で、お前はどっちを選ぶんだ?」
「あ?」
「これだよ、これ!どっちの指輪を選んでどっちに渡すんだよって言ってるんだ!!」

指差された先にはエメラルドの嵌められた小さな指輪とシンプルなシルバーリング。途中、視線が小さな指輪に行ってしまっていたが、伸びた手はシルバーリングを掴んでいた。

「どっちもクソもない。ルークだ」
「本当だな」
「…ああ」
「ナタリアはいいんだな」
「それは…もう昔の事だ。あの時約束した"ルーク"はもういない。今でもナタリアの事は気がかりだが、それはきっと昔の俺への罪悪感なんだろう」
「…そうか、なら早く行ってやれ。あいつはグランコクマに宿を借りて世話になってる。アルビオールもそこに待たせてあるから」
「ああ。すまない」
「はいはい。まったく困った坊ちゃんたちだ」

ひらひらと面倒くさそうに手を振るガイに背を向けて駆け出す。屋敷の前に止めてあったアルビオールに乗り込むと同時にギンジの「グランコクマですねー」というやけに楽しそうな声が聞こえた。久し振りに聞いたその声に懐かしさを感じつつ、旅をしていた時の癖か、反射的にでたのは

「ああ、頼む」

あの時のような硬い声だった。







「この宿に朱色の髪をした青年が世話になっていると聞いたんだが」
「ああ、あんたか。ガイが言っていたお客って」
「ん?」
「もし赤い長髪の男が来たらその子に会わせてやってくれって言われててさ。ほれ、これがその子の部屋の鍵だ。最近ずっと籠りっぱなしでね、よろしく頼むよ」
「ああ」

受け取った鍵を使って開いたドアの先には久方ぶりに見る朱色がベッドに腰掛けていた。その翡翠の瞳を大きく見開いてこちらを見るその顔に思わず口元を緩ませてしまう。茫然とこちらを見つめていたかと思えば、はっとしたように慌てて視線をそらし、か細く震えた声で何かを言っているのだが聞き取れず一歩前へと踏み出せば、その肩が小さく震えた。

「なんできたんだよ…」
「お前を愛しているからだ」
「嘘つけ」
「嘘じゃない」
「だったらなんで…もっと早く来てくれなかったんだよ」
「すまない。お前に拒絶されると思うと苦しくてたまらなかったんだ」
「そんなの、俺だって同じだ。もし、アッシュがもう俺の事いらないなんて思ってたらどうしようって…」
「結局似たもの同士だな」
「だって俺、お前のレプリカだもん」

ゆっくりと顔をそっぽを向いたままのルークを抱きしめる。きゅ、としがみついてきた手に何とも言えない愛おしさを感じた。

「こっちを向け」
「嫌だ。俺、まだ怒ってるんだからな」
「だから、すまなかったと言っているだろう?」
「だーめ。ゆるさない」
「ふぅ…仕方のない奴だ」

ゆっくりと、抱きしめていた腕を離してポケットを探る。なくなった体温に不安を感じたらしいルークの体が微かに震えるのをあやす様に朱色の髪に口付けながら、リングに通してあるチェーンをルークの首にかけた。

「えっ…?」
「お前に、もう一度これを受け取ってほしい」
「いいの…?」
「ああ。お前じゃないとダメなんだ」
「本当に?」
「何度も言わせるな…ルーク」「…アッシュ!!」

涙を浮かべながら微笑む顔をようやく此方に向けたルークの頬をゆっくりと挟み込む。幸せそうに笑みを浮かべる唇に軽く啄むようなキスを一つ。ふふ、と嬉しそうに笑いながら頬を覆っている俺の手にルークが手を重ね、ゆっくりと瞳を閉じた。それに小さく笑った後に、今度は薄く開いた唇から口内へと舌を忍ばせる。いつもより積極的に差し出された舌を絡めとり吸いたててやるとくぐもった喘ぎが漏れた。ルークの弱い箇所を下でくすぐってやれば、鼻から甘い吐息が零れ、力の抜けた手が滑り落ちて俺の服を掴む。絶え間なく喘ぎを漏らす口の端からは飲みきれない唾液が溢れ、首筋までも妖艶に伝っている。

その唾液を辿るように首筋から項にかけて指を這わすと、ルークがビクンッと体を震わせる。そのまま髪の中に手を差し入れて貪るように口付を続けた。ゆっくりとルークを押し倒しながら唇を放せば、頬を紅潮させて喘ぐように空気を肺に取り込もうと肩で息をしていた。唾液で濡れた唇がてらてらと光に反射しており、俺の目にはとてもいやらしく映る。ゆっくりとルークの服を剥ぎ取ってやると恥ずかしげに小さく抵抗を示した。いつまでたっても慣れないルークに愛おしさを感じながら肌蹴た胸元にシルバーリングが転がっているのを見て、やけに安心した

「ルーク…好きだ」
「おれだって、負けてな…あっ!」
「お前は本当にどうしようもないくらい愛おしくてたまらない」
「ひぁっ…ばか、」
「馬鹿で結構。愛している、ルーク」
「あ、もうっ、こんな時に名前で呼ぶとか…せこいよお前」
「もう黙れ」
「んんっ!」

謝罪も含め、今は何よりこの愛おしい半身を安心させてやりたかった。

重なり合った祭に、互いの首からかけていたリングがぶつかり合ってカシャンと静かに音を立てた。




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一応終わりです。ssに置いてある脱走の続きが見たいというご要望をいただきましていそいそと書いていましたが、なんだかまとまりのない終わり方になってしまいました。アッシュさんはなんだかんだ言ってもルークが大事なんだよ。でも嫉妬が酷いのはきっとアッシュの方でしょう。ルークは嫉妬というよりも卑屈に走りそうなので。小さな指輪という表現には今では過ぎ去ってしまった過去という事を込めたつもりです。ナタリアには申し訳ありませんが…




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