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 人類滅亡の三日前となった。結局、昨日はどれだけ考えてもアンゴルモアの大王が何を指すのかは分からなかった。
 しかし、最終的に、人類滅亡の先には文明の崩壊があると予測し、再び微生物時代に戻るだろう、という話で収まった。大体、地球の年齢は四十五億年を超えているのだから、何度か文明が創られては崩れを経験していても変ではないし、どうせまた歴史は繰り返されるはずなのだから、今回人類が滅亡したって別に良いじゃないか。

「薄情な奴だねぇ。君にも家族や大切な人がいるだろう。それに死ぬのは怖くないのかい」
「そうですね、死という感覚が漠然としすぎてよく分からないんです。父が亡くなった時もあまり何も思わなかったし。家族が死んで悲しくないと言えば嘘になりますけど……」

 父は僕が八歳の時に交通事故で亡くなった。雨の中バイクを飛ばす父の横から、急にトラックが突っ込んで来たそうだ。父は衝撃に吹っ飛ばされ、落ちた先は川の中。急な流れに飲み込まれて、翌日、下流付近で近隣の住民によって見るも無残な姿で発見された。享年四十歳だった。

 離婚して出て行った母に代わり、休みの日には、父はよく絵本を読んでくれた。勇者がお姫様を助けるために冒険する話や、悪さをするドラゴンを倒す話。中には女の子が好きそうなプリンセスの話もあった。生まれつき持病を抱えていた僕は、父が読む絵本を通して外の世界を知った。ずっと入院生活を送っていた自分にとって、たまに行われる父の読み聞かせが楽しみだった。

 それは小学校に入学する歳になっても続いた。仕事で疲れているはずなのに、父はわざわざ夜中に病室まで訪ねて来て、毎回新しい絵本を読んでくれた。
 だから、僕は外の世界には悪魔や魔女、ドラゴンや妖精がいるのだと信じていたし、危険なことや嫌なことがあったら誰かが助けてくれるのだと信じて疑わなかった。

 僕は毎日「早く身体が良くなりますように」と神様にお祈りをした。痛い病気にも、苦い薬にも、辛い副作用にも、僕はずっと耐えているんだ。苦境を耐え忍んだ主人公にはハッピーエンドが待っている。僕はそのことも絵本で知った。

 病室の窓から見えるのは、緑と赤のイルミネーションと、一面の銀世界。その日、僕は八歳になった。この日は一日中笑っていた記憶しかないのだが、それは誕生日が嬉しかったからではなく、プレゼントが貰えるからということでもなく、実はこの日に退院するのが決まっていたからだった。数日前から徐々に体調が良くなり、行動出来る範囲も広がっていた。一人で中庭に出歩けるようになったし、違う病室の友達に会いに行けるようになった。病院の外に行く時は流石に付き添いが必要だったけど……。
 兎に角、僕はこの日が楽しみだった。看護師さんから花束を貰い、夜、いつものようにお見舞いに来てくれた父と手を繋いで帰った。今までで一番のプレゼントだった。

 しかし、その四日後、あの事故が起きた。その日、僕は祖母と家で過ごしていた。仕事が長引いた父は、帰りを急いでいたのだろう。病み上がりの僕に早く会おうとしてくれていたのかもしれない。どしゃ降りの雨の中、いつも以上にバイクのスピードを上げて、そして――


 葬式では、僕は父の顔を見なかった。否、見れなかったんだ。だって、父を殺したのは僕なのだから。僕が退院して、家にいたから。僕が病気が治るよう、神様にお願いしたから。もし僕が退院せず、ずっと病院にいたら。もし僕が神様にお願いしなかったら。もし僕が生まれて来なかったなら。
 本当は、絵本のような神様なんていなかったんだ。絵本の中では、主人公の苦労と努力は報われ、最後は死ぬまで幸せに暮らすはずだったのに。
 でも、現実の神様は、望みを叶えたら、僕から大切な人を奪って行ってしまった。あまりにも、報われない。

 父はいつも場を盛り上げてくれて、どんな時も笑っていた。つられて笑うと、頭を撫でてくれた。僕は父の手が大好きだった。温かくて、安心感がある父の手に、よく身体を傾けて眠った。怖くて眠れない夜には、眠れるまで傍にいてくれた。父は僕のヒーローだった。


「所詮、人間ってその程度なんだよね」
「……え?」
「何でもないよ。それより、何故そんな辛気臭い顔をしているんだい」

 こっちまで憂鬱になってしまうよ、と言って、ヒルッカさんは僕の前を歩いて行く。一瞬だけ見えたビー玉は、光がなく、何もかもを諦めたような虚ろなものだった気がした。

「ええと……それで、ヒルッカさん。恐怖の大王というのは、突然やって来るものだったりするんですかね」
「俺は何とも言えないけど……どうだろう。何故そんなことを?」
「だって、予言を聞くと、大王は突然来るって解釈出来るじゃないですか。すると異常気象や環境汚染説は消えますよね?」
「……まあ、そう聞こうと思えばどうだって解釈出来るよ」
「その口振りからすると、ヒルッカさんは何かしらの予兆があってから来ると思ってるんですよね」

 今度は曖昧に答えるだけで、返事は聞こえなかった。
 彼は時たまこうして曖昧に誤魔化すことがある。物事に白黒を付けるのが苦手なのだろうと、この時の僕は勝手に思っていた。

「アンゴルモアの大王って、恐竜なんですかね」
「……」
「微生物が進化していくと、恐竜にもなりますよね。恐竜をまた創るために、一度人類を滅ぼす? でも、何のために?」
「……」
「ねえ、ヒルッカさん」
「……何だい?」
「何か喋ってくださいよ……さっきから僕一人で話してて馬鹿みたいじゃないですか」

 思わず足を止めると、前を行く足も止まった。僕はすかさず彼の目の前に回り込んだ。

「……ヒルッカさん」
「暑いからかな。少し、疲れちゃったよ」

 ふらふらと頼りなげに横を通り過ぎて行く。追いかけようとしたのに、足が地面に固定されているかのように重かった。
 真白い肌を更に白くさせた彼のビー玉の瞳を見たその瞬間、全身に衝撃が走った。

 だって、何で。冷や汗が溢れ出る。僕はあの眼を知っている。

 あの時、十一年前、父が死んだ時の、自分の眼だ。


 蝉の鳴き声が視界をも遮っていくように感じる。追いつく距離なはずなのに、ヒルッカさんの背が遠く感じた。



[ | mokuji | ]








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