すでにほとんどの部員が帰宅した更衣室。シャワー室がすくのを待っていた黒子は、ようやく着替えを終えたところだった。
「黒子っち、ぼちぼち帰れそうっスか?」
「すみません黄瀬君、遅くなってしまって…」
「全然大丈夫っスよ!…混んでる時にシャワー使ってると、黒子っちに気付かずブースに入ってきちゃう奴がいるんでしょ?」
『…あれ、ここ空いてね?…まったく、前の奴シャワー出しっぱなしじゃん』そんなことを言いながら、まだ黒子がいるシャワーブースに入ってしまった部員の姿を、黄瀬自身何度も目撃していた。
「…まったく、うらやま……失礼な奴っスよね!」
「…いえむしろ、驚かせてしまって申し訳ないというか…」
黄瀬の失言に気付くことなく、黒子は小さなため息を吐いた。キセキの皆とコートに立つために必要なこととはいえ、やはり事あるごとに誰かを驚かせてしまうのは心苦しかったりするのだ。
「…あ、そうだ!何なら、これからはオレといっしょに…」
「…それ、前に青峰君にも言われましたけど、あの狭いシャワーブースにキミ達と入れるわけないじゃないですか」
まだそんなに大きくなかった1年の頃ならともかく、と続いた黒子の言葉を、黄瀬は聞き逃さなかった。
「…ってことは、1年の頃は一緒にシャワー浴びてた?青峰っちと?」
「…青峰君と2人きりで居残り練習してた頃は、ボクも今以上に体力なくて……最後の方は、自力でシャワー浴びるだけの余力も残っていなかったんですよ」
体を洗ってもらったり、着替えさせてもらったり、たくさん面倒をかけてしまったと、黒子は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「……ふーん」
「…黄瀬君?」
「……何でもないっスよ!ほら、早く帰ろ?」
語られる思い出に、黄瀬の顔には随分と柄の悪い――それこそ、ほんの少し前まで黒子に向けられていたような、擦れた表情が浮かんでいたが、それはすぐに、華やかな笑みの裏に隠されてしまった。
「…いやー、それにしても流石に疲れたっス!今日は夢も見ずぐっすり寝られそうっスよ…」
「何度も青峰君に挑んでましたもんね…本当にすごいと思います。赤司君も、『あの根性と無謀さだけは、相変わらず大したものだ』って感心してましたよ」
「え?それ本当に感心してる?」
褒められているんだか貶されているんだか、微妙すぎる黒子の励ましに、黄瀬は一通り嘆いた後、軽く肩を竦めてみせた。
「…ま、今のオレじゃ青峰っちには勝てないって、分かってるんス。…ほんと、すごい人っスよね」
「…そうですね」
そこで黄瀬は、斜め下にチラリと視線を向けた。同時に、不満そうな表情がその綺麗に整った顔に浮かぶが、黒子は気付いていないようだ。
「…なんていうか、青峰っちって男から見てもかっこいいっスよね。男が憧れる男、みたいな?」
「はい、ボクもそう思います」
「……ねぇ、黒子っち」
呼びかけながら黄瀬は足を止め、黒子の顔を覗き込んだ。キュっという上履きが床をこする音が、人気のない廊下にこだまする。
「…黒子っち、青峰っちが褒められると、すごく嬉しそうな顔するっスよね」
「……え?」
黄瀬の言葉に、黒子は慌てて顔に手をやった。とても可愛らしい仕草だが、今は少しだけ憎らしくもある。
「…自分では、気付いてなかったんスか?」
「……はい」
「…やっぱり、青峰っちは相棒だから?」
僅かに頬を染めた黒子に、黄瀬は目を細めながら問いを重ねた。
「…相棒で、自分に近い存在だから?だから、青峰っちが褒められると、自分のことのように嬉しい?」
「…黄瀬君?」
黄瀬の言葉は、黒子の気持ちそのままを言い当てている。多少気恥ずかしくはあるが、否定する気はなかった。それでも、黒子が戸惑った様子を見せたのは、黄瀬から小さくない苛立ちを感じ取ったからだ。
「…ね、じゃあオレは?」
「…え?」
「…もしオレが誰かから褒められてるの聞いたら、やっぱり黒子っちは喜んでくれるっスか?」
言いながら、黄瀬は黒子の肩を抱き、さりげなく廊下の壁に押し付けながら、その顔を覗き込んだ。綺麗な二重の目には、挑むような――それでいてどこか不安そうな色を宿っている。
「…もちろんですよ」
太陽のように煌めく黄色の瞳に捕らわれそうになりながらも、黒子は何とか笑みを浮かべることができた。
「…ほんと?」
「…はい、キミは――みんなは、ボクの誇りですから」
それは黒子の本音であり、心からの憧れを込めての言葉だった。
それが分かっていながら、黄瀬はガックリと項垂れずにはいられなかった。だって、そんな言葉が聞きたかったわけじゃない。
「…みんな、って…」
「…すみません……ボクがみんなのことで大きな顔するのって、すごく図々しいですよね」
「そうじゃなくって!」
図々しいなんてとんでもない。自分に――自分たちに向けられる、憧れに満ちたキラキラ輝く黒子の眼差しを、嬉しく思わないはずない。思わないはず、ないのだけど――
「…いいっス。今はみんなの中のひとりでも、いつか絶対、黒子っちにとっての一番になってみせるから」
ため息交じりに言いながら、黄瀬はますます増した疲労に、壁に体重を預けた――そうなれば当然、自分と壁との間に閉じ込めている黒子との距離は、近くなるわけで。
(…あ、おっきな目)
間近にある、こわいほど透き通った黒子の瞳。そこに自分だけが写っていることに堪らない喜びを感じ、吸い寄せられるように更に顔を近づけた黄瀬だったが、
「…何やってんだよ…っ!」
かけられた声は、ひどく焦ったようなもの――普段の彼からは想像できないほど、余裕のないものだった。
「…青峰君?」
今日は用事があるから早く帰ったんじゃという問いかけに応えることはせず、青峰は黄瀬をきつく睨み据えたまま黒子の腕を引き、その体を強引に自らの背後へと押しやった。
「…もう一回聞くぞ、今、何しようとしてた?」
「…何も?…っていうか、何があったとしても、それを青峰っちに報告しなきゃいけない義務はないっスよね」
「…てめぇ…っ」
射抜くような鋭い眼差しを向けてくる青峰に、冷たく目を細める黄瀬。
両者のにらみ合いは、しばし続き――
「……なんて、ね」
やがて、先に視線をそらしたのは、黄瀬だった。自嘲にも似た笑みを浮かべながら、降参とばかりに両手を上げる。
「…ほんとに何もないっスよ。疲れて、ちょっと休憩してただけっス……ね、黒子っち?」
「…え、はい…」
黄瀬に名を呼ばれ、2人の男たちの迫力に完全にのまれてしまっていた黒子は、そこでようやく息を吐くことができた。
「……行くぞ、テツ」
黄瀬が浮かべた笑みにひとつ舌打ちをしてから、青峰は歩き出した。どうしたのかと僅かに怯えたような様子の黒子にも構うことなく、その手首を掴み、強引に引っ張っていってしまう。
「…余裕がないのは、みんな一緒っスか」
後を追うか一瞬悩みながら、結局その場に留まった黄瀬。その小さな呟きは、苦り切ったものだった。




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