第4話 天邪鬼コンフリクト 前編(※リメイク版)

 君は目撃したことがあるだろうか。
 剣道の防具を身に着けた爬虫類様の怪物と、白猫にも鼠にも見える妖怪が、クッキーを取り合っている様子を。
 君の部屋で、君の目の前で大喧嘩している姿を。
 武者小路タツキは今、歴史的瞬間の目撃者となった。

「ぐぎぎぎぎ……」
「ふみゃーっ!」
「ぐぎゃああああ」

 白猫――テイルモンのクラリネが手にはめていたグローブ、その爪先が面の下に入り込み、剣道着の怪物――コテモンの村正の顔にクリーンヒット。
 村正が痛みに悶えている間にクラリネはクッキー皿を奪取。歴史的勝利の瞬間である。

「くそっ! 俺が成長期でさえなければ……!」
「おいしー!」

 村正は地団駄を踏んで悔しがっている。喧嘩中に負けず劣らずの暴れっぷりである。
 勝者の余裕たっぷりにクッキーを食すクラリネとのギャップが、惨めさを際立たせている。

「床抜けたら自分で直せよな」

 タツキは敗者に容赦無い言葉を投げかける。
 秋の澄んだ空が広がる、今日という清々しい日。
 そんな日に怪生物の喧嘩を見せられ、タツキは少々不機嫌だった。
 そもそもこのクッキーは、タツキの母が焼いたクッキーである。自分が二、三枚しか食べていないのに残りの約十枚を巡って取り合いを始められたら不機嫌にもなろう。

「タツキー」

 下からタツキの母の声が聞こえる。そう、タツキの部屋は2階にあったのだ。
 村正の大暴れが一階にまで響き、「タツキが一人で暴れている」と勘違いした母が訝しんだのだろうか。階段を上る足音が徐々に近づいてくる。
 そして扉がノックされる。
 このままデジモンの存在がタツキ母に、そして白日の下に晒されてしまうのだろうか。モンスターパニックの始まりか――

「勇夜くんから電話!」

 ……という事は無く、タツキの母は平然とタツキを呼びつけた。
 
「はーい」

 タツキもまた、平然とドアを開ける。
 馬鹿みたいに駄々を捏ねる村正の姿が露わになるが、モンスターパニックが始まる気配は無い。

「村正くんとクラリネちゃんにはクッキーのおかわりでーす。……喧嘩はしないように!」
「はーい」

 寧ろ、息子の友人に接するように、
 タツキは母の後ろについて階段を下りていく。二人の姿が見えなくなったのを確認すると、村正とクラリネは再びクッキーの取り合いを始めた。

◇◇◇

 時はタツキ達がデジモンとの運命的な出会いを果たしたあの日に遡る。

「今日はもう遅い。帰って英気を養うといい」

 そう言ってセラフィモンは元の世界へ送り返してくれた。
 タツキとマチは公園に、愛一好はムンモン――現ルナモンの跳兎とぶつかった場所に。
 時間は思ったほど経過していなかったようで、橙色の夕日がまだ顔を覗かせている。

「なんだか、すごい体験をしちゃったね
「夢見てたような気分……いや、夢じゃないなこれ」

 タツキとマチは顔を見合わせる。
 そして下を見る。……いる。デジモン達が、まだいる。
 村正、クラリネ、そしてコロナモンの陽。パートナーデジモン達がこっちを見ている。

「あれ? みんなは、お家に帰らないの?」
「帰るよ!」

 クラリネが元気良くお返事した。

「みんなのお家は、人間界にあるの?」
「うん!」
「どこ?」
「わたしはタツキのおうち!」

 タツキとマチは再び顔を見合わせた。まさか彼女らは、それぞれのパートナーの家に住むつもりなのか?

「あの、“パートナー同士の結束を深めるために一緒に暮らすのがいい”ってセラフィモン様が……」

 陽が申し訳無さそうに言う。話を聞く限りセラフィモンが勝手に決めた事で、彼は悪くないのにだ。
 本当に、よくぞ勝手に決めてくれたものだ。しかし、ここでデジモン達を拒否しても彼らに帰る家は無いのだ。彼らを受け入れるか、薄情者になるかの二択しかない。

「だからよく考えろって言ったろ」

 村正が「それ見ろ」と言わんばかりに吐き捨てた。陽と違って「申し訳無さ」ではなく「面倒くささ」から出ている言葉のように聞こえるが、タツキはあえて指摘しなかった。
 いや考えろも何も、デジモンを家に泊めろだなんて今言われたのだが。
 
「タツキくん……二人分……」

 マチは気の毒なものを見るようにタツキを見た。
 パートナーが二人いるタツキは居候も二人分。どちらか片方だけならまだしも、二人も自分の家に匿うとなると話が変わってくる。いや、一人でも十分予想外の自体ではあるのだが。

「……やってやろうじゃねえか!」

 ――何故、自分はあの場で無理と言えなかったのだろう。 タツキは後悔を抱えたまま 自宅に辿り着いた。

 ここまでデジモンが誰にも見つからなかった偶然に感謝しつつ、これから待ち受けるスニーキング任務の難易度を思い、無限のため息をつく。
 祖父の代に建てられた、剣道場つき二階建て一軒家。自慢の自宅だが、今は難行不落の要塞に見える。

「おっきいおうちだね!」
「おしずかに……」

 緊張のあまり、変な敬語が出てきた。
 クラリネの無邪気な感想を封殺するのは心苦しいが、この先、生き残るためにはやむを得まい。
 一方の村正は一切の興味を示していないようで、面の下は無表情で固まっていた。
 お前はお前で俺ん家に興味持てよと腹が立ったが、 怒っていても仕方が無い。
 一呼吸置いて、二人に最後の忠告を促す。

「いいか。俺がまず家ん中確認 するから、合図するまで入ってくんなよ」

 そう言い残してタツキは一人、玄関のドアノブに手を掛けた。
 
 結論から言うと、10秒でバレた。
 
「あらっ。タツキお帰りー」
 
 たまたま玄関にいた母。

「ん、後ろにいるの、猫ちゃん?」

 家に入りはしていないが堂々と覗き込んでいるクラリネ。

「こんにちは!」

 反射的に挨拶してしまうクラリネ。
 母の悲鳴を聞いてすっ飛んで来た父。
 混沌とする現場にわざと登場する村正。
 たちまち平常心を失う両親を見て、まだ親の庇護下にいるタツキは平穏が「終わっていく」のを感じた。
 武者小路家過去一番の大騒ぎを収拾し、家族会議の開始にこぎつけるまで、タツキはサッカー何試合分もの労力を要した。
 
 顔面蒼白のタツキ。
 臨戦体勢を解いてくれないタツキ父。
 気が動転してお茶請けのクッキーを焼きまくるタツキ母。
 それを遠慮なくもりもりと食べるクラリネ。
 他人事みたいな顔でふんぞり返っている村正。
 過去一番の大騒ぎの次は、過去最悪の家族会議の始まりだ。

「……という訳で、デジモンは見た目はともかく心は人間と変わりありませんので、家に泊めても問題はありません。はい」

 両親に敬語でプレゼンしたのは昔、新発売のゲーム機をねだった時以来だろうか。
 サッカー部に入りたいと父を説得した時は、熱意と意地のおかげで緊張は麻痺して いた。しかし、今は人生で一番嫌な汗をかいている。

「人間と同じ、ね……」

 タツキの母は、息子の言葉を反芻しながらクラリネを見る。
 人間と同じように前脚でクッキーを掴み、人間と同じようにコップから水を飲む獣の姿を目の当たりにし、顔を引きつらせた。
 タツキは続けて、帰り道でデジモンに出会った事、彼らに協力を求められた事を説明した。
 ただし、「協力」の内容を「デジモン同士の戦争に協力してほしい」から「元の世界に帰れるようになるまで、居候させてほしい」に置き換えて。

 両親が、息子を戦場に送り出したいと思うはずがないからだ。

 ましてや協力の決め手となった理由が「村正の戦う姿が、父に反発している自分の姿と重なるように思えた」からである以上、これを正直に伝えれば話が拗れるのは必定である。
 ここは良心が咎めても嘘をつかないと進めない場面だ。

「迷惑かけちゃうかもしれないけど、危ないことはしないから、おねがい!」

 クラリネは自らの危険性の象徴、両手のグローブを外して懇願する。
 それが外れる物だと知らなかったタツキは内心で驚いていた。

「まあ、いいんじゃねえか」

 真っ先に口を開いたのは父だった。

「そ、そうね。正直まだ不安だけど、良い子たちではあるみたいだし」

 母も恐る恐るではあるが、父に賛同した。
 村正もクラリネも、害の無さそうな見た目だったのが功を奏したのだろう。
 特に村正――コテモンの見た目が剣士に似ていたのが好印象だったようだ。村正としては今の姿が不服なようなので、申し訳ないとも思うが、この時ばかりは村正に感謝した。
 当人は面倒事を避けるために最低限の返事とお礼しか言わないが、まあ、感謝しておこう。

 息子を素直に応援出来ない父の負い目もあっての事かもしれないが、タツキはその可能性に思い至らなかった。

 兎にも角にも、タツキとパートナーデジモン達との暮らしは始まったのだった。
 
◇◇◇
 
 まだ自分の携帯電話を持っていないタツキは、友人と電話する時も家の固定電話を使う。
 保留を解除して「もしもし」と発声すると、タツキが両親の次に良く聞く声が返ってきた。
 
『よう、武者小路ィ』
 
 電話の向こうの声は、えらく上機嫌だった。

「 おう、剣崎」

 剣崎勇夜。タツキにとって彼は 「幼馴染」と呼べる間柄であった。年はタツキの一個上。武者小路家と剣崎家は祖父の代より親交があり、タツキと勇夜も生まれてから今日まで の長い付き合いである。
 そして――剣道人生における、宿命のライバルでもある。

 ドタドタ……バキッドカッ 
 二階が騒がしい。クッキーを巡る争いが白熱しているらしい。

『悪い、稽古中だったか?』
「いや? 俺は大丈夫」

 タツキの家は剣道場と隣接している。稽古が激しくなると家の中まで音が響く事もある。
 勇夜はそれを知っているので、タツキを気遣ってくれたようだ。
  
「で、どうした?」

 気を取り直して、用件を訊ねる。

『おう。お前、次の土日ヒマか?』

 用件とは何という事はない、遊びの誘いだった。 だが、その日は――
 

 
「説明会?」

 選ばれし子ども達は揃ってクエスチョンマークを浮かべる。

『君達よりも早くにデジモンと出会い、活動している者から今後の活動に関して説明がある。同じ人間の目線から、君達が知りたい事を教えてくれるだろう』

 セラフィモンは非常に忙しい身分らしく、タツキ達が知らない誰かに後を託したのだった。


 
 ――だから、勇夜と遊びには行けない。
 ここでタツキの中に迷いが生じる。勇夜にもデジモンの存在を伝えるかどうか、だ。
 一度は彼とも秘密を共有しようと思った。だが、

――『一生迷ってろ!』

 脳裏によぎったのは、先の大会で勇夜から掛けられた叱咤の言葉。 サッカーと剣道、どちらも頑張ろうとして、大事なものを取りこぼしそうな自分を見透かす目。
 あの後、勇夜から 「熱くなりすぎた」 と謝罪を受け、表面上は関係を修復出来た。
 だが、もしここで剣道でもサッカーでもない、第三の目標 ができたと伝えたら……今度こそ、彼とはライバルで いられなくなるかもしれない。

「悪い! その日はサッカー部の練習あるんだ」

 だから、また嘘をついた。
 
『ちっ。またかよ

 電話の向こうの声は、わざとらしく拗ねたような声色で残念がっている。
 タツキの胸中に再び罪悪感が湧き上がる。
 
『しゃーねーなー。じゃあ、その次の土日は空けとけよな。サッカー部の連中には剣道の先輩に呼ばれたとでも言っとけ』
「んなっ! 勝手な事言いやがって」

 強引に約束を取りつけられてタツキが困惑しているのを 感じ取ると、勇夜は「へへっ」と嬉しそうに笑った。

『じゃあ、またな。武者小路。 ホントにだぞ? ホントに空けとけよ?』
「わあったっての!」
『つーか、たまにはお前から誘ってくれよ。最近ずっと俺から誘ってばっかで寂しいぞ』
「それは、ごめん」
 
 じゃあ、今度こそまたな。と告げて、タツキは受話機を置いた。

「……あいつ、なんだかんだ言って俺がサッカーやるって言っても応援してくれるし」

 誰に言っている訳でもない独り言。自分だけに言い聞かせる言い訳が口をついて出る。

「初めて『サッカーやる』って言ったときも……」
 
『いいんじゃねえの? その代わり、剣道の手ぇ抜いたら承知しねえぞ!』

「って言ってくれてたし。だからこそ余計に、デジモンの事は言いづらいっていうか……」

 嘘をついて、隠し事をして、どんどん剣崎との距離が開いていく気がする。
 向こうはずっと歩み寄ってくれているのに、俺は――

◇◇◇

 バリバリ、バリバリ……。

「まだ喧嘩してんのか?」

 タツキは居候どもが待つ部屋に戻って来た。
 未だ騒音は途絶えず、タツキは原因を喧嘩と決めつけていたのだが……。
 扉を開けた瞬間、タツキの時が止まった。

「え、どういう、事だよ」

 村正とクラリネは騒音を立てるどころか、身動きの一切取れない簀巻きにされた状態で床に転がっている。
 そう、二人とも簀巻きにされているという事は、二人を縛った何者かが存在しているという事。
 タツキが目撃したのは三人。大きさは人間と同程度、シルエットも人間と類似している――ここまで認識できた所で、タツキの視界を黒いものが覆った。
 これが目隠しで、自分も縛られそうになっていると気付いたのはその直後。抵抗を試みるも、相手は相当な手練れのようで、為す術なく拘束されてしまう。スポーツで体を鍛えていようが、関係無かった。
 喧嘩が原因と思っていた物音は、縛る側と逃げる側との小競り合いが原因と思い至ったのは更にその後だ。

「んー! んんー!」

 猿轡を噛まされ、「お前ら何者だ」と問いたくてもそれさえ叶わない。

「!?」

 タツキは自分の体が「ひょい」と持ち上げられ、運ばれていくのを感じた。
 人間一人をこんなに軽々と抱えられるとなると、相手もやはりデジモンと見て良いだろう。
 恐らく彼らは窓から侵入し、窓から脱出しようとしている。
 その証拠に浮遊感。きっと窓の縁を蹴って、外に飛び出したのだろう。
 頬に風が当たる。車と変わらないスピードで持ち運ばれていく。あくまで想像ではあるが、時々体が弾む感覚がするので、きっと屋根の上から上を跳んで移動しているのだ。
  
『だからよく考えろって言ったろ』

 自分を咎める村正の声が、頭の中でこだまする。
 ああ、デジモンと関わるというのは、自身の身を危険に晒すというのはこんなにも恐ろしい事だったのか。

 と、後悔し始めていたのだが。
 後悔し終わる前にどさりと地面に降ろされた。


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