第2話 少年はそのまま異世界へ(リメイクの加筆修正版)

「コテモン進化……ムシャモン!」

 眼球を突き刺し、頭蓋をも突き抜けていった閃光が消えると、そこには小さな剣士の姿は無かった。

「進化だと!? まさか、あの餓鬼が……!」

 狼狽える黒竜の視線の先、剣士がいた筈の場所にいたのは、戦国時代の武者――の、"ような姿をした何か" だった。
 服装はあちこちが擦り切れてはいるものの、戦国時代の日本の鎧と言っても差し支えはない物だ。だが、それを身に纏う存在はかつての日本で戦っていた武士ではなく、異形と呼ぶべき存在だった。身長は成人男性の平均を遥かに超えており、タツキが隣に並んだとしたら、腰にまでしか届かないだろう。こちらに背を向けているので顔は見えないが、裸足に包帯を巻き付けただけの左足からは、赤く鋭い鉤爪が伸びている。

「ど、どういう事なんだ?あの小さいのが消えて、あのでかいのが出てきて……うわぁ!!」

 混乱しているタツキの胸に、白い塊が飛び込んできた。

「やったね! 成功だよ! 進化したんだよ!」

 塊の正体はテイルモンだった。彼女は喜びを抑えきれない様子で、思わずタツキに飛びついてしまったようだ。

「し、進化!? どういう事だ!? もしかして、防具着てたのが、あの鎧武者みたいな奴になったって事?」

 テイルモンの言葉の意味も、何故喜んでいるのかも分からないまま、タツキは尋ねた。

「そうだよ! コテモンから、ムシャモンに進化したんだよ!」

 結局、“進化”という言葉の意味は分からない返答だ。
 仕方がないので自分達で考察する。テイルモンが言う"進化"とは、生物学で使われる進化とは違い、どちらかと言うと"変身"という言葉に近いとタツキとマチは解釈した。

「そう言えば、さっきあいつらの会話の中に進化って出てきたような……」

 タツキが再び武者の姿をした異形の者に目をやると、それは刀の切っ先を黒い竜の眼前に向けていた。

「これで俺もお前も成熟期。五分五分だな。……なんだよ、進化しただけでビビってんのか?」

「黙れ!」

 竜が黒い尾を振り抜く。しかし、尾は空を切り、虚しく地面に叩きつけられた。

「上か!」

 ムシャモンと名乗った鎧武者の化物は、ひらりと宙を舞って攻撃を躱していたのだ。

「デビドラモンほど狂暴なデジモンはいないってのは、嘘らしいな」

「さっきまでボロクソにやられてた奴の言葉か!」

 デビドラモンはムシャモンの挑発に乗ってしまい、激怒する。

「クリムゾンネイル!」

 その名の通りの真っ赤な爪が、ムシャモンに襲い掛かる。グシャアと硬いものが折れる嫌な音と共に、大きな土煙が舞った。

「ああ……!」

 タツキはその土煙の中で起きているであろう惨劇を想像してしまい、思わず目を閉じた。

「何!?」

 デビドラモンの声に反応して目を開けると、晴れていく土煙の中に惨殺死体ではなく、ぐしゃぐしゃにひしゃげたジャングルジムがあった。その瞬間、

「ギャアアアアアアアアア!!!!」

 デビドラモンが悲鳴を上げた。慌ててジャングルジムから黒い竜へと視線をずらすと、デビドラモンが持つ4つの瞳の内の1つに、深く切り傷が入っている。傷口を押さえる指の隙間からは、血の代わりに光の粒子のような物が流れ出ていた。

「なんだお前。血を見るような経験はして来なかったのか。さては、偉そうな口叩けるほど長く生きてないな?」

「き、貴様! 貴様ーー!! 何故、お前を切り刻んだ筈……!」

 痛みと悔しさに震えるデビドラモンに対し、ムシャモンは、無愛想な表情のまま溜め息をついた。

「お前さあ、『避ける』とか『躱す』とかの概念知ってるか? 鉄と生身の身体の感触の違い分かるか?」

 ムシャモンの更なる挑発に、先程まで圧倒的に優勢だったデビドラモンが堪えられる筈もなかった。冷静さを完全に失った黒い竜は、牙を剥いて飛びかかっていく。

「食べられちゃう!」

 マチの悲痛な叫びとは逆に、ムシャモンは涼しい顔のまま、刀を振り抜いた。

「切り捨て御免」

 デビドラモンが突進する力と、ムシャモン本人が込めた力の相乗効果によって、その太刀筋は喉から尾の先まで綺麗な直線を描いた。つまり、デビドラモンは縦に真っ二つにされたのだ。黒い肉塊と化したそれは、呆気なく地面に落ちた。傷口から溢れる粒子の量が増えたかと思うと、身体全体が霧散して空に消えていく。

「悪いな。俺は餓鬼に何か教えるのにゃ向いてない……やめやめ。死んだ敵に謝るのも俺らしくない。何一つとして俺らしくない」

 ムシャモンは血を拭うように刀を一振りし、鞘に収めた。

「……これって、助かったって事か?」

「倒したって、事は、助かったって事だと思う……」

 タツキとマチが顔を見合わせている間に、ムシャモンは元の小さな剣士の姿に戻っていた。
 そこにテイルモンと太陽の様な生き物が駆け寄っていく。

「やったやった! 勝った勝った!」

「助けてくれてありがとうございます!」

「おう」

 跳び跳ねて喜ぶ2匹とは対照的に、コテモンというらしい彼は素っ気ない返事を返した。そこにタツキとマチも加わる。

「き、君達は一体……」

「俺達は…… 」

 コテモンが口を開いた瞬間、タツキの、いや、タツキ"達"の足下に幾何学的な紋様が出現した。それが光を放つと、タツキ達の身体もデビドラモンと同じように光の粒子と化していく。

「えっ!? 俺も、え、ええ!?」

──────


 気が付くと、タツキ達は公園とは全く別の場所に立っていた。そこには大理石の柱が立ち並び、壁や天井には巨大なステンドグラスがはめ込まれ、更に奥には祭壇のような物まである。
 とある宗教の教会と、また別の神話に登場する神殿が織り混ぜられたようにタツキは感じた。

「ようこそ。デジタルワールドへ」

 聞き覚えの無い声に突然呼び掛けられ、タツキとマチは思わず身構えた。
 声のした方向には、白銀の鎧を身に付け、背からは10枚の黄金の翼を生やした人物が立っている。人、というよりも“天使”と呼称するのが相応しいだろうか。

「な、何者!?」

 また一人と現れた人ならざる者に、タツキとマチは警戒する。自分達を襲おうとしたデビドラモンの件もあり、その声には恐怖の色も混ざっていた。

「待って待って!」

 どこに隠れていたのか、テイルモンが現れ、タツキと人ならざる者の間に割って入った。

「この人! この人が私たちをあっちに連れていってくれたの!」

 なるほど。彼……もしくは彼女がテイルモン達を自分達の町へと導いたのか。なるほど。

「……って納得出来るか!!」

 危うく納得しかけたタツキが叫んだ。

「そもそもデジタルワールドって何だよ!」

 いつの間にか自分達の側に立っていた、制服姿の少女がタツキの考えを代弁してくれた。全くだ。デジタルワールドって何なんだ。

「そしてそういう貴女はどなた!?」

「ええ!? 覚えてない!? あんなに衝撃的な現れ方したのに!?」

 いや誰なんだこの女子高生は。一体どこの誰でどこから現れた女子高生なんだ。 
 タツキが驚いて問い掛けると、彼女は逆に質問を返してきた。それを受けてタツキとマチは自らの記憶を辿ろうとする。

「ああ!! 突然俺達の後ろから走ってきて、独りでに転んだ人!」

 思い出した。デビドラモンの恐怖で頭からすっぽり抜けていたが、テイルモンを追いかけている真っ最中に彼女を見かけた。
 信じられない速さで走る女子高生だ。

「ザッツライ!! 何もない所で転んだ訳じゃないけどね!」

 彼女は指をパチンと鳴らしながら言う。

「ボクのせいでもないからね! あれは事故だからね!」

 謎の天使でもなければ女子高生のものでもない、またまた第三者の声がする。

「もしかして〜、その子も〜……?」

 マチが女子高生と、声の正体に向かって問いかけた。
 突然自己主張を始めたそれは、白い兎のような外見をしていた。大きな耳が目を引く。雰囲気はやはり、不思議な存在たちのものに近かった。

「どうもそうらしい。と、その前に自己紹介」

 女子高生は突如として、自身を親指で指さした。その勢いたるや、「ビシィ!」と効果音が鳴ったように錯覚してしまう程である。
 そして声を張り上げる。舞台上の役者のように。

「私の名前は斑目愛一好(まだらめ メイス)! 華のJK1年生! 愛は一つ! 好きだ! で愛一好だよよろしくぅ!!」

 突然のハイテンションな自己紹介。やはり女子高生だった彼女は、満足げな笑みを浮かべている。
 謎の“やり遂げた”雰囲気に飲まれて、タツキとマチは思わず拍手をしてしまう。それにしたって凄い名前だなあとタツキは思った。


「そんでボクは跳兎! ジャンプラビットって書いてはねうさぎだよ! 種族はルナモンだよよろしくぅ!!」

 愛一好に続くようにして、白い生き物も自己紹介をした。愛一好の自己紹介に酷似していたが、もしかすると愛一好の真似をしているのかもしれないとタツキは感じた。


「デジタルワールドとは、文字通りデータで出来た世界であり、我々デジモンが住む世界だ。君達の住むリアルワールド……所謂人間界とは表裏一体の存在。1つの世界で何かが起これば、もう1つの世界に必ず影響が出る。君達の世界に張り巡らされた電子の蜘蛛の巣は――」

「え!? 今このタイミングで!?」

 互いに自己紹介する流れになるものだと誰もが思っていた所に、甲冑を身につけた天使が堂々と乱入する。それも全く別の話題で。相手が得体の知れぬ存在であっても、タツキは止めずにはいられなかった。
 確かに「デジタルワールドは何か」と質問しておきながら、それを放置していたのはこちらなのだが、それでも流石に、である。

「――デジタルワールドと言っても過言ではない。逆に、デジタルワールドは人間のインターネット上の活動そのものでもある」
「え、このまま続けるんですか」

 これが彼らの、『デジタルワールド』の住人の常識なのかもしれないが、日本の常識に慣れている自分達からするととても会話を続けられるような雰囲気ではない。タツキはデビドラモンと対峙した時とはまた別の不安を感じた。

「……しまった。迂闊だった。……自己紹介がまだだったな。私は三大天使が一人、セラフィモン」

「え、結局自己紹介するんですか」

「しかもこの人、大切な事言い忘れるタイプらしいぞ」

 タツキと愛一好がセラフィモンなる存在に早くも不信感を抱いていると、タツキの足をコテモンがつついてきた。

「あいつ……じゃなくてあの人一応お偉いさんだから、あんまりツッコミ入れねえ方がいいぞ」

(皆にばっちり聴こえてるよ……)

 この場にいる誰も気付いていないが、囁いたつもりのコテモンを見て、小さな太陽の姿をした生き物が震えていた。



「突然話に割り込んできたわたしが悪かったので、『デジタルワールドは何なのかを具体的に』『この不思議な生き物達は何なのか』『私達が置かれている状況について』をか・ん・け・つ・に教えてください!」

 愛一好のはっきりした物言いを受け、やっとの事でセラフィモンから次のような説明を聞けた。


 デジタルワールドはその名の通りデジタルな世界で、所謂人間界である現実世界(リアルワールド)に存在するインターネットと繋がりがある。
 突然タツキ達の前に現れたのはデジタルワールドの住人、『デジタルモンスター』。通称デジモン。デジモンは一体につき、一人の人間と組――パートナー関係になっており、特殊な機器『デジヴァイス』を使えば人間からデジモンに力を与えられる。
 テイルモン達は、人間界にいる筈のパートナーを探しにやってきた。

 ――そう、タツキがその『パートナー』だったのだ。

「ここまで〜、結構要約したけどね〜」

「しーっ! しーっ!」

 デジモン達には闘争本能があり、そのために戦争が起こる事もある。『七大魔王』と呼ばれるデジモン達との戦いもその一つだ。

「1000年前、我々三大天使は悪逆の限りを尽くさんとする七大魔王を封じた。その際に七大魔王の中でも最強とされている『ルーチェモンフォールダウンモード』を倒したため、万が一魔王が復活しても最盛期ほどの勢いは無い。そう考えていた」

「デジタルなのに1000年の歴史があるってどゆこと?」

「静かに!」

 だがその予想は、希望は、最悪の形で裏切られた。七……否、六大魔王は何者かの手によって復活してしまったのだ。更に三大天使達の長である今代の『ルーチェモン』が堕天、則ち《フォールダウン》させられ、七大魔王は1000年前の姿を取り戻した。

「これを『イグドラシル』は良しとしなかった。イグドラシルは『ロイヤルナイツ』に『三大天使と協力し、七大魔王を完全に滅せよ』と命じた」

 『イグドラシル』や『ロイヤルナイツ』が何なのかはタツキ達には分からなかったが、また話の腰を折っておかしな方向に進まぬよう、最後にまとめて質問する事にした。

「この戦いは敵味方双方に多くの犠牲者を生んだ。七大魔王のベルフェモンとリリスモンを倒し、ベルゼブモンを生死不明の状態に追いやった代わりに、こちらは同僚のケルビモンとオファニモン、ロイヤルナイツのデュナスモン、アルフォースブイドラモン、デュークモン、エグザモンが犠牲になった」

 こちらの方が犠牲が大きいのは重要な問題だ。だがこれだけではなかった。

「ダークエリアの奥深くに居を構える吸血鬼の王、グランドラクモンが、我々正義の軍と魔王率いる悪の軍双方に宣戦布告した。奴の目的は全くもって不明だが、これによって状況は更に混乱した。全く、忌々しい」

 そこで終わればまだ良かった。しかし、イグドラシルはこれに対処しようと恐ろしい計画を始めた。それが『Project X』。デジモンそのものを消し去る強力なウィルスを散布することによって戦争を終着させる計画だ。当然ロイヤルナイツもセラフィモンも反対し、事無きを得たが、 またもや別の問題が発生した。此度のイグドラシルの行動に失望した高位の天使の一人が、反旗を翻したのだ。

「その天使はバグラモンと名乗り、どこから集めたのかも分からぬ兵隊を率いてイグドラシルを攻め始めた。プライドが許さないのか魔王軍には協力せず、寧ろ攻撃を加えているようだが。混乱に混乱を極めた戦場に、ビッグデスターズと呼ばれる正体不明の軍団が……」

「待ってストップ! 流石に登場人物多すぎて分からなくなってきた! なんか良い感じに漫画で説明してもらえないっすか?」

 聴いている側の思考回路がショート寸前になった所で愛一好の止めが入った。少々上から目線の要求も添えて。

「つまりこういう事?」

 愛一好はスマートフォンのメモ帳を使って、以下の文章を提示した。

@1000年前 ルーチェモン討伐&魔王封印。
A魔王復活&(今の)ルーチェモン堕天。
B魔王VSロイヤルナイツ&三大天使の戦い。
死亡者
味方:ケルビモン、オファニモン、デュナスモン、アルフォースブイドラモン、デュークモン、エグザモン
敵:ベルゼブモン(?)、ベルフェモン、リリスモン
Cグランドラクモン参戦。目的不明。
Dイグドラシルがデジモンを消し去る『Project X』を立案。ナイツとセラフィモンの反対により棄却。
E反イグドラシルを掲げてバグラモンが反乱。
Fビッグデスターズ参戦。目的不明。


「自分で書いといてアレだけど、文章の80%くらい意味分かんねーや」

 辛うじて分かるのは、「デジモンは名前の後ろに“モン”が付くらしい」ことくらいだ。

「兎にも角にも、この四つ巴の戦争は未だに続いている」

 セラフィモンはそう締めくくった。
 話を聞き終わった少年少女はうんうんと頷いて、セラフィモンの話を反芻している。

「そうか、まだ……は? まだ続いている?」

 その事実は、平和な国に産まれた少年少女とっては受け入れがたいものだった。
 今、自分達は不可抗力で戦争が起こっている場所に連れて来られていたのだ。

「家に帰してください! 今すぐ元の世界に戻してください!」

「聞いてねーぞ!? わたしゃそんなこと1ミリも聞いてねーぞ!?」

「帰りたい……」

 当然、子供達は三者三様の拒否反応を示す。恐慌のあまり我を失わないだけ、まだ大人しいとさえ言える。

「続いているとは言え、どの軍も疲労状態だ。今は休戦協定が結ばれている」

「な、なんだ。それなら安心か……」

 タツキはほっと胸を撫で下ろした。

「それでも狡猾な奴等の事だ。いつ破られても不思議ではない」

「やっぱり家に帰してくれ!!!」

 何故この天使は次から次へと大事な事を後から言うのだろう。
 タツキはテイルモンを追いかけた事を心の底から後悔した。

「そこで、君達人間の子供たちに協力を仰ぐことにした」

「嫌だ!……一応聞くけどなんで?」

 流石に訳も聞かずに拒否するのはまずいだろうと、タツキ達は念のため理由を訊ねた。
 尤も、どんな返答であっても拒否するつもりだが。

「まずはデジモンの成長、『進化』のシステムと、人間のパートナーの関係について語る必要がある」

「また説明か……」

 セラフィモンは語った。
 デジモンは一部の種を除いては幼年期T、幼年期U、成長期、成熟期、完全体、究極体の順で進化する。
 進化の要因は単純な時間経過、戦闘の経験値の積み重ね、そして――パートナーとの絆が深まる事。

「パートナーとの、絆?」

「正確には、パートナーと感情がリンクすることによって、デジモンの身体を構成するデータの増幅し、進化が起こる」

 セラフィモンはまっすぐにタツキ達を見つめ、こう言った。

「我々には時間も人手も足りない。即戦力が必要だ。そのためには、君達人間の協力が不可欠だ。ここにいるデジモン達と友に力を高め合い……」

「お断りします」

 タツキは当初の予定通り、きっぱりと断った。
 パートナーパートナーと言われても、はっきり言って赤の他人のために戦禍に飛び込みたくはない。
 デビドラモンやムシャモンの例を見るに、デジモンは超常的な力を持っている。そんなものが戦争している最中に一般人の子どもが割り込んで、何が出来ると言うのか。

「おういいぞ。帰れ帰れ。俺は人間の力とか要らねえから」

 コテモンが、虫や動物を追い払うように手――というよりは袖を振る。

「ありがとう! お前、良い奴だな!」

「おう、達者で暮らせよ」

 そう言ってタツキは神殿の出口――はどこか分からないので取り敢えず反対方向へ歩き出した。

「実は他でもない、君達を選んだのには理由がある」

「え、話もしかして聞こえてないんですか??」

 もう何度目か分からないセラフィモンの強引な乱入によって、タツキの歩みは阻まれた。
 自力で帰る手段を持たないタツキは、結局はこうなったであろう。

「人間の中には、デジモンに更なる力を与える事が出来る者が存在する。彼らはほんの一握りの存在、言わば『選ばれし者』だ」

「選ばれし、者?」

「私は通常の人間では力不足だと判断し、特殊能力を持つ人間を選出した。それが……」

「……俺達、ですか?」

 子供たちはお互いに顔を見合わせた。自分達が、選ばれた人間?

「そんな気はしていたけど、まさか私が本当に選ばれし者だったとは……!」

 愛一好は己の中に眠っていた力に驚き、武者震いをしている。タツキはそんな愛一好に冷ややかな視線を送った。

「何言ってるんだこの人。それでも、俺達が戦うなんて、出来ません!」

「確かに君達にも戦いに参加してもらう。だが実際に戦闘行為を行うのは、そこにいるデジモン達だ。それに、君達は人間界においても、デジモン同士の戦いに巻き込まれる事例を知っている筈だ」

 タツキとマチは自分の足元にいるデジモン達を見て、そして思い浮かべる。
 自分達が彼らと出会った時、同時に襲ってきた生命の危機。黒い竜の姿のデジモンに殺されるのではないかという恐怖を。

「あのデビドラモンは、戦争によって生まれた次元の歪みから人間界へ侵入した所謂はぐれデジモンだ。戦争が終わらない限り、悪意あるデジモンによるリアルワールドの蹂躙は終らないだろう」

「つまり、俺達が協力しなかったら、こっちにも被害が及ぶって事か!?」

 自分達が戦争を終結させない限り、人間の世界でのデジモンの被害も無くならない。ここで帰ったところで、味方のデジモンという後ろ盾を失った自分達は、今度こそ殺されるかもしれない。
 どう足掻いても戦禍に身を投じなければならない事実を知り、三人は絶望したかに思われた……が、しかし。

「んじゃあ私やります」

 愛一好はあっさりと承諾した。

「え!? なんで……」

「そりゃ愛一好さんだって死にたかないやい。でもさ、私達がやんなきゃ世界中が世紀末状態になるんだべ? それならせめて、人間界の被害だけでも抑えた方が良いじゃん。それに……」

 愛一好は自身のすらりと伸びた足をぺしぺしと叩きながら言う。

「多分、雑魚なら"私でも"勝てるんじゃないかなぁ……って」

「はぁ……?」

 私でも、勝てる? この人は何を言っているんだ?
 タツキは少なくとも愛一好よりは理性的であろう幼馴染みへ、「ちゃんと断ってくれるだろう」という期待を込めた眼差しを向けた。

「私も戦います!」

「マチ!?」

 いつの間にか『覚醒』していたマチは、タツキの期待を大きく裏切った。

「だって、私、自分が戦えば皆を守れるって分かってるのに、怖いからって逃げるなんて出来ない!」

 マチの言葉は捻りの無い、真っ直ぐな言葉だった。だからこそ彼女の決意が真っ直ぐに届く。

「マチ……。そうだった、覚醒マチは熱血タイプだった」

「ねえ、彼女、二重人格?」

 愛一好がこっそりとタツキの肩をつつきながら訊く。

「二重人格というか、寝てるか起きてるかというか、そんな感じです」

「なるほど分からん」

 残るはタツキ一人となり、その場にいる全員がタツキの決断を待っていた。ある者はイエスという言葉を、ある者はノーという返事をタツキに望んでいる。

「だから人間の力とかいらねえよ。さっさと帰れ……ギャア!?」

 コテモンのほんの僅かな隙を突いて、テイルモンの爪が言葉通りに面の隙間から中身を引っ掻いた。この猫のような生き物は見掛けによらず、強烈な一撃を放てるらしい。

「俺は……」


 愛一好やマチの言う通り、自分達が戦わなければ多くの人間やデジモンが命を落とすだろう。
 それでも、命を自ら危険に晒したいとは思わない。自分の命だって大切だ。

(……待てよ、俺、さっきもこんな感じの事考えてたよな?)

 そうだった。俺はあの時、一人で戦うコテモンを見て"理不尽なんかに負けるのは、もう嫌だ"って思ったんだ。俺にそっくりな"あいつ"を一人で戦わせちゃ駄目だって、思ったんだ。
 どうしてついさっきの事なのに忘れてたんだろう。俺は、あの時、逃げたくても逃げられなかった。確かに怖くて足が動かなかったのもあるけど、一番は“こいつ”を見てしまったからじゃないか! "こいつ"を知ってしまったからにはもう逃げられないって、知ってるじゃないか……!
 今も一人で戦おうと皆を逃がそうとするこいつに、ほんの少し憧れてほんの少し助けたいって、思ったじゃないか……!

「俺も、戦います」

「はあ!?」

 タツキは主張を一転させ、他の二人と同様に戦いに参加する決意を表明する。
 あまりの転身ぶりに、コテモンが驚愕した。

「何でだよ!? 餓鬼は家に帰れよ!?」

「愛一好さんやマチが言ってた事も勿論あるけど、それ以前にお前を一人で戦わせたくないからだよ!」

 只でさえ丸いコテモンの目が、より丸くなったように見えた。

「は? 俺を一人には出来ないから? それこそなんでだ――」

「その返事を聞けて良かった。では、『デジヴァイス』についての説明に移ろう」

「は? ここで割り込むか普通?」

 コテモンの言葉はセラフィモンに遮られたきり、続く事はなかった。

「デジヴァイスって、この機械の事ですか?」

「おい、お前まで俺を無視すんな」

 タツキはテイルモンから渡された機械をセラフィモンに見せた。
 名前の響きからして、恐らくデジモンに関係のある物だろうと考えたからだ。

「そう。それこそがデジモンと人とを繋ぐ装置、デジヴァイスだ。このタイプのデジヴァイスには、人間の感情データとデジモンの体を構成するデータの接続、デジタルワールドとリアルワールド間の移動の二つの機能がある。武者小路タツキ、君が先程コテモンを進化させる事が出来たのは、デジヴァイスが君とコテモンを繋げ、君の感情によってコテモンそのものを構成するデータ量を増幅させたからだ」

 タツキはいくら力を込めてもうんともすんとも言わなかったデジヴァイスが、自分の感情が昂った途端作動した事を思い出す。

「俺がそいつを進化させられたって事は、俺のパートナーって……」

「そう。御察しの通り、君のパートナーはこのコテモン……と、テイルモンだ」

 テイルモンは満面の笑みで、コテモンの諦めたような表情でタツキを見る。

「あなたが、わたしのパートナー! わたしとあなたは、パートナー! やったあ! よろしくね!」

 テイルモンは軽快にぴょんとタツキの胸元へ向かって跳び跳ねた。

「お、おう! よろしく……ってあれ? パートナーって一人につき一体じゃ?」

 タツキは先ほどセラフィモンから教えられたばかりの知識との差異に疑問を覚える。

「その通りだ。パートナーは"通常は"一人一体。だが武者小路タツキ、君にはパートナーが二体いる。それこそが君に与えられた特殊能力だ」

 パートナーが二体……タツキは自身の能力を反芻する。パートナーが二体……

「それって、凄いんですか?」

 確かにこれは通常とは違う。だが、だからと言って言うほど特殊ではない。言ってしまえば地味であった。
 セラフィモンとテイルモンを除いた面々の間に、妙に気まずい微妙な空気が流れ出す。

「パートナーが二人という事は、その分戦力が増え、戦略の幅も広がるという事だ。決して無駄な能力ではない、寧ろ有用な力だ」

 セラフィモンにそう諭され、タツキは一先ずは納得した。否、納得する事にした。

「二人組どころかチーム行動なのかよ……」

「やったあ! 仲間が沢山!」

 タツキ以上に露骨に落ち込むコテモンと、 大喜びするテイルモンのコントラストが嫌に印象的だった。

「マチルダ・ヴェンゼンハイデン、君のパートナーは彼だ」

 セラフィモンに紹介されておずおずと前に進み出たのは、あの時テイルモンの後ろで守られていた、小さな太陽のようなデジモンだった。

「さ、サンモンです……! よろしくお願いします……」

 彼は大人しい性格らしく、少し恥ずかしそうでもあった。橙色の頬が、ほんの少し朱に染まっているのが分かる。

「あなたが〜、私の〜パートナ〜♪ よろしくね〜、マチって呼んでね〜」

「……あれ?」

 再びのほほんとした喋り方に戻ったマチに、サンモンは困惑しているらしい。
 マチがセラフィモンからデジヴァイスを受け取った瞬間、サンモンの体は見覚えのある光を放ち始めた。

「え? これって、もしかして進化……?」

 光が収束すると、サンモンの姿は小さなマスコットじみたものから、ライオンの子供のようなものに変化していた。

「コロナモンに進化したようだな。幼年期は、パートナーとの絆が産まれた時点で進化する事があるらしい」

 セラフィモンが上から覗き込みながら言う。
 サンモン改めコロナモンは、変化した己の体をこわごわと動かしてみている。

「そして、君の能力はパートナーの回復だ」

「この子が怪我をしても〜、治してあげられるって事ですか〜?」

「そうだ。だが回復には君自身の体力を使う。それに傷を癒せるという事は、無理をさせやすいという事だ。くれぐれも気を付けてくれ」

 マチとセラフィモンのやり取りを見ながら、タツキは自分の力はやはり地味なのではないかと思い直した。
 パートナー二人て。回復やパワーアップと違ってパートナー自身には何の利益もないじゃんかよ。と。


「質問でーす! 私はデジヴァイス持ってないのにこの子進化したんですけど、それってどういう事ですかー?」

 愛一好が急に手を挙げ、セラフィモンに問い掛ける。

「ふむ……君は、何かしらの電子機器を持ち歩いてはいないか?」

「……これっすか?」

 愛一好は通学用の鞄の中から、スマートフォンを取り出した。

「おそらくそれが、擬似的なデジヴァイスとして機能したのだろう。折角だ。そのスマートフォンの中に、デジヴァイスとしての機能を使えるアプリをインストールしておこう」

 セラフィモンが手をかざすと、スマートフォンのホーム画面に愛一好が見たことの無いアプリが追加された。

「えっ!? どうなってんの!? 天使パワーすげえ!」

 愛一好はスマホをブンブン振るが、当然種も仕掛けも無い。
 デジタルモンスターというだけあって、スマホのような電子機器への干渉はお手の物らしい。

「斑目愛一好、君の能力はパートナーの身体能力を1.5倍に出来る」

「すげえ! 1.5倍!……二倍になったりとかぁ、しないっすかねえ……?」

「しない。それが君の力の全てだ。力の内容は、生まれた瞬間にイグドラシルによって定められている」

「くそっ! おねだりすれば増えるなんて事は無かったか……!」

 目論見が外れた愛一好は狼狽えた。このやり取りの間、愛一好に抱き抱えられていた跳兎はというと、

「ドンマイ」

 とまるで他人事のように愛一好を慰めていた。

「ところで〜、跳兎ちゃんって〜、愛一好さん命名ですよね〜?」

「うん。そうだよ。だって、デジモンって同じ種族が沢山いるらしいじゃん? 種族名そのまま呼んだら、自分ちの犬をヨークシャーテリアって呼んでるみたいじゃん? だから名前あった方がいいかなと」

 例えはさておき、愛一好の考えはマチにとって納得のいくものだった。世界において重要なデジモンであるセラフィモンでさえ代替わりを繰り返し、時には三大天使ではない別個体のセラフィモンがいる事もあるらしい。
 何処にでもいるような成長期であるパートナー達には、個体識別のためにも名前があった方が良いだろう。それに、名前があった方が愛着がわく。という理由で、パートナーの命名大会が始まった。

「サンもコロナもお日さまに関係あるから〜、陽! 太陽の陽!」

「陽……!」

 陽は、コロナモンでもサンモンでもない、自分だけの名前を復唱する。喜びを噛み締めているかのようだった。

「こいつらはどうするかな」

 タツキは新しい友の名を考えている。まずは、テイルモンから……

「クラリネ! うちで飼ってた猫ちゃんの名前!」

 タツキの思考を遮ってマチが叫んだ。

「クラリネ! かわいい! ありがとう!」

 タツキは出来れば自分で名付けてやりたかったが、クラリネ本人が喜んでいるようなので良しとした。

「あー、俺はいい」

 コテモンの態度は相変わらずだった。彼はそっぽを向いて、輪に入らないという意思表示をする。

「じゃあお前は、村正な」

「はあ!?」

 コテモンの意思は、あっさりと無視されてしまった。

「正宗の方が良かったか?」

「そういう問題じゃねえよ!」

「だってお前、セラフィモンみたいな究極体ならともかく、成長期はこれからどんどん進化して姿も種族名も変わるんだから、呼び方が一貫してた方が良いだろ?」

「一番喜んでる奴成熟期だし、俺は本当は成長期じゃねえし……ああもう分かった! もうそれでいい!」

 村正と名付けられたコテモンは、ブツブツと何かを呟いた後、遂に折れた。最後の一押しをしたのはタツキではなく、彼自身の境遇のようだったが。

──────

「タツキ、君に渡しておくべき物と、教えておくべき事がある」

 セラフィモンが、神妙な雰囲気でタツキに語りかけてきた。

「はいはい、大事な事は後回し後回し。もう慣れましたはい」

 後ろで何か言っている愛一好を軽くいなし、タツキは返事をする。

「はい、何ですか?」

「うむ、これはそこのクラリネに関する事なのだが……」

 猫が顔を洗う仕草をしていたクラリネは、自分の名前が話題に上ると不思議そうに首をかしげた。

「彼女の進化に関するデータには異常がある。これまでも進化のスピードに異常があったようだが、気になって検査を行った所……彼女は、完全体になれないようだ」

「完全体に、なれない……?」

 タツキ達の間に静かな衝撃が走る。デジモンが強くなるためには、進化は避けて通れない。だが、彼女にはそれが出来ないというのだ。

「成熟期から完全体になる事が出来ないだけで、究極体になれない事はないようだ。だが、究極体になるには相応の時間が掛かる。そこで、『デジメンタル』の出番だ」

 セラフィモンの声に合わせ、卵のような形の物体がどこからともなく現れ、タツキの目の前に飛んできた。

「デジメンタルはデジタルワールドに伝わる秘宝。これはその中の一つ、『光のデジメンタル』だ」

 デジメンタル。その名が出た瞬間、村正が「ぶふぉっ!?」っと吹き出した。

「デジメンタル……これがあれば、しばらくは進化出来なくてもなんとかなるって事ですか?」

 タツキの問いに答えるようにセラフィモンは頷く。

「そうだ。デジメンタルは一部のデジモンを『アーマー進化』させる事が出来る。クラリネは現時点では最も強いが、彼女でも倒せない敵が現れた時、またはテイルモンの姿では出来ない事がある時、それを使うといい」

 これがあえば、クラリネも力不足になる事が無く戦える。一同は安心感に包まれた。
 村正は思うところがあるようで、「“バグ持ち”一匹のためにデジメンタル持ち出すって、どんな力の入れようだよ」などと一人で呟いているが。


そしてセラフィモンは、選ばれし子供達とそのパートナーに向き直る。その姿は鎧の印象と合間って神聖かつ険しく、天使と呼ぶに相応しいものだった。

「少年少女よ、もう一度訊く。……この世界を、人間とデジモンの二つの世界を、救ってはくれないだろうか」

 タツキ達の答えはもう決まっていた。

「本当に世界を救えるかは分からないです。でも……後悔しないように戦ってみせます!」

 そう答えた彼らの胸の中では、これから始まる冒険の物語への期待と、戦いに身を投じる事への恐怖がせめぎ合う。
 彼らの運命はまだどう転ぶかは誰にも分からない。だが、彼らは確かに自分の意思で、自らの運命を決定付ける最初の一歩を踏み出したのだった――

──────

「まあ! 新しいお客様ですわ! これからはもっと忙しくなりますわ。ねえ、ダリア?」

 少女は花の名前を持つ友人に向かって呼びかけた。
 上質なドレスを身に纏い、金糸のような髪を揺らす少女。少女の友人は、小さな体で少女の周りを飛びながら一周し、少女の肩に腰かけた。

「でもまだまだ弱そうよ? 一瞬で狩れちゃいそう」

「獲物じゃなくてお客様って言ってるでしょ! お手紙配りの話ですわ!」

「ああ! そっちね!」

 少女の友人は笑顔で「ぽん」と手を打った。少女は「やれやれ」と首を振って、更なる“友人たち”に呼びかける。

「近い内にご挨拶へと参りますわよ! ダリア、クリスタル、ジェスト、杜若、あすなろ、それから……」

「なあ姫様? あんまり連れてかれるとこっちも困るんだ。もうちょい人数減らしちゃくれねえか?」

「じゃあ、ダリアとクリスタルとジェストの三人で行くわよ」

 友人、というより叔父に近い存在に興を削がれてしまい、少女は不貞腐れる。

「ふふん。まあご挨拶に連れてく人数なんか些細な決めごとですわ。問題は私達の底力を見せつけられるかどうか。そう! 世界最高級の超豪華な“お手紙配りパワー”をね! おーっほっほっほっほ!」

 少女は友人達を――妖精に擬態した悪魔達をバックに、高らかな笑い声を響かせた。

「……うちの姫様はなんで郵便配達に躍起になってんだ?」


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