第1話 未知との遭遇(リメイクの加筆修正版)

 老堕天使は悟った。今日が運命の日であると。

 英雄譚を妄信する熾天使。
 万物皆己が富と錯覚した強欲の罪。
 狂った科学者の成れの果て。 
 怒り隆起する水晶山脈。
 吸血鬼王。
 混沌より出で虚無に還る怨念。
 ■■に擬態した■■を連れた黄金樹。

 ヒトを求め、或いはヒトに求められたデジモン達はみな、今日という日を境に再び動き出す。
 霊木としての機能が存在しない、枯れ木の腕を見つめる。もはや己の肉体は、この枯れ木よりも萎びた老体となってしまった。
 人の子らを守る力は欠片も残っていない……否、僅かな欠片が残っている。
 せめて、理不尽にも“選ばれてしまった”子ども達が、せめて、その後の運命は自分で選び取れるよう、祈る。

 絆を結んだパートナーに報いるために。


 現代日本とは僅かに異なる歴史を歩んだ世界。
 人類を守護するプログラム「デジタルモンスター」が秘密裏に生み出され、そして忘れ去られた世界。
 その世界の片隅で、誰にも知られないまま堕天使は覚悟を決めた。
 
 
『てめえ、本当はこんなもんじゃねえだろ』

 大会の日程が全て終わり、防具を脱ぎ袴も着替えてもう帰ろうかというところで、あいつは話しかけてきた。
 元々無駄に威圧感がある奴だが、わざわざ竹刀を担ぎ身長差の暴力でこちらに圧を掛けてくる。かなり怒っていたのだろう。

『何? 俺は誰かさんに負けて傷心中なの。忙しいの』
『お前、俺に負けたくらいで落ち込むようなタマじゃねえだろ』

 まあ、そうだけど。俺はこいつ相手に勝ったり負けたりを繰り返して早10年。落ち込んでる暇があったらこいつをブチのめす事だけ考える。
 俺が落ち込んでいた理由は、こいつとは別の部分にあった。

『てめえの剣には迷いがあった』
『なんだよそれ。なんか剣の師匠っぽい事言いやがって』

 迷いなんかある筈無い。俺は俺の意志で剣道とサッカー、両方を選び取っている。
 どちらも本気で取り組んでいる。だから、文句を言われる筋合いは無い。無い筈だ。

『“心ここにあらず”だっつってんだよ。何なら練習量も足りてなかったぞ』
『……』

 もうすぐサッカーの方も大会が近い。練習量もいつもより増やしていた。それは事実だ。
 だが、それを理由に剣道の方を疎かにしたつもりは――
 
『サッカー部の方で何かあったのか』
『ねえよ。あってもこっちでは引きずらねえし』
『じゃあ、あの今日の試合はなんだったんだ。明らかに動きが鈍ってたぞ』

 ただでさえ鋭い目付きでぎろりと睨まれた。
 
『何度も言わせんじゃねえ。やりてえ事がいくつもあるんだったら全部やったらいい。好きなもんに全力になってこそ男ってもんだ。だが、中途半端は許さねえ。優先順位さえ決められねえ軟派野郎は特にな』

 俺は今の一言でカッとなって、言い返そうとした。

『軟派野郎だぁ!?』
『てめえと何年やり合ってると思ってんだ、様子がおかしい事くらい見りゃ分かる! なんだ、俺は本気出さなくても勝てる相手だったってか? それとも別に負けてもいいとでも思ったのか? ナメんじゃねえぞ武者小路ィ! 本当に剣道も好きで続けてんだったらこれ以上無えってくらい本気でかかって来やがれってんだ!』

 俺が何かを言えば、こいつは倍の勢いで言い返して来る。気圧されそうでも、試合には負けても、この言い争いに負ける訳にはいかない。
 
『中途半端にやってるつもりなんか! ある訳……』

 俺は剣道もサッカーも中途半端にやってるつもりなんかないって、そう断言したかった。

『ある訳、ない、だろ……』
  
 けれど、俺の口は何故か、その先に続く言葉をはっきりと発してはくれなかった。
 俺が言い淀んだのを見て、あいつは一瞬だけ悲しみとも怒りとも取れない顔をして、すぐに俺をキッと睨んだ。

『一生迷ってろ!』

 そう言ってあいつは、俺とは反対方向にずかずかと歩いて行った。
 よく見たらあいつは、手にコンビニの袋を持っていた。中にはいつもの棒アイス――真ん中で割って二つに分けられるソーダ味のアレ――が入っている。
 あいつはいつも通りに俺と分け合うつもりで、俺が帰る前に急いで買ってきてくれたのだろう。

 責められた不快感より、罪悪感が心に重く残っている。


 赤い一団と青い一団が競り合いながら、グラウンドの上を逃げ回るボールを追い掛けていく。
 よく鍛えられた足が交錯し、スパイクが砂埃を上げる。試合は膠着状態だったが、赤いユニフォームの少年の一人がボールの主導権を奪って駆け出したことにより、一変した。

「内田ー! 行けー!」

「マークしろ!」

 内田と呼ばれた彼を筆頭にした集団が出来、ゴールに向かって前進していく。内田少年は懸命に走るが、相手は簡単に行かせてくれそうもない。守備に徹していた二人の青いユニフォームの少年が、彼の行く手を阻む。窮地を脱する方法を探すため、ボールをキープしながら首を回したその時だった。

「内田ー! パス!」

 内田少年は、自分を囲む相手選手のその向こうから、自分に呼び掛けてくる声を聞く。内田少年は殆ど反射的に、その声の主に向かってパスを出す。
 これらの動作が流れるように素早く行われたため、ディフェンダーは反応出来ずにみすみすボールを渡してしまった。
 ボールを受け取った少年は、即座に敵のゴールに向かってシュートを撃つ。それはキーパーの手をすり抜け、ゴールネットに突き刺さった。赤いユニフォームのチームが一点を手に入れたのである。沸き上がる歓声と悲鳴、試合終了のホイッスルが同時にグラウンドに響き渡った。



「ありがとうございました!」

 全力を尽くして戦った選手達は、互いに握手を交わし合う。それが終わると、ベンチで熱い声援と的確な指示を与えてくれた監督の元へと帰っていった。

「みんな、よくやった! 特に内田と武者小路、二年生を相手に頑張ったな」

 二人の少年は、内田のお陰ですよ。いや、でも決めたのは武者小路だし、とお互いに謙遜し合う。

「これは練習試合だが、それでも試合は試合、確実にお前たちの糧になっている! この調子で練習を続ければ、全県、いや、全国、いや、全世界を相手に戦えるぞ!」

 監督は情熱的な人物らしく、土まみれでありながらも輝かしい少年達を、前向きな言葉で鼓舞している。

「では、ここで解散!」

 監督の合図と別れの挨拶の後、選手達は各々の帰路に着いた。

「武者小路はこの後どうすんだ?」

「俺は……」

 武者小路少年が口を開こうとした途端、目を開けられない程の強風が彼と内田少年の間を吹き抜けていった。

「?」

 しかし、内田少年は武者小路少年の様子を不思議そうに見ている。

「いや、今の風でちょっと目が……」

「今、風なんて吹いたか?」

 二人の少年の意見が食い違う。武者小路少年は確かに強い風に吹かれたと感じたのだが、内田少年は何も感じてはいなかった。

「気のせいかな……」

 武者小路少年は、自分の感覚がおかしかったという事にしておいた。この僅かな違いが、やがて自身が辿る運命が「普通の人生」というものとはかけ離れたものである事を示す予兆であったとは知らずに。



「つまり〜、タツキくんの周りには〜、闘気で風が〜吹いていた〜」

 危なっかしいふらふらとした足取りで歩く少女が、左右に揺れながらのんびりとした口調で友人と会話をしている。彼女の目は眠そうに細められ、否、殆ど閉じた状態だ。

「いや、そういう変な自慢みたいな事を言いたかったんじゃなくて、不思議だってだけの話なんだけど」

 少女に向かって呆れ顔で返事を返したのは、あの試合でシュートを決めた武者小路少年であった。

「なあ、マチの帰り道ってこっちで良いんだっけ?」

 マチと呼ばれた少女は数歩進んで立ち止まり、体ごと首を傾げる。

「あれ〜?」

「大丈夫かよ……」

 タツキはそれを聞いて、がっくりと肩を落とす。

「そう言うタツキくんは〜部活はどうしたの〜?」

「さっきも言ったと思うけど、今日は休み。明日から新人戦に向かって猛特訓だってさ」

 タツキはそう答え、どうやら帰り道は合っているらしいマチと再び歩き出した。



 どうにも気分が晴れない。先日の試合で華々しい活躍をしたというのにである。隣にいる起きているのに眠っている少女のせいではない。父親との確執のせいだった。

「タツキくんは〜、もし剣道部があったなら〜、入っていたの〜?」

 タツキの胸の内を知ってか知らずか、マチがうっすらと目を開けながら問い掛ける。彼女がこうやって目を開けるのは、決まって真面目な話をしたがっている時だ。

「別に」

 タツキはそうとだけ言った。マチは外国人の父親譲りの色素の薄い瞳でタツキを見つめると、再び瞼を閉じ、やはり父親譲りのブロンドの髪を揺らして歩き出した。
 
 タツキの父親は剣道道場の師範である。門下生は僅かだが、タツキの祖父から受け継いだ道場であるため、簡単に看板を下ろす気はないらしい。
 タツキは当然の如く幼少期から練習をさせられているため、それなりの腕前はある。
 そんな彼に、サッカーとの出会いが訪れた。小学三、四年生の体育の授業で初めてサッカーの試合をした。今まで剣道ばかりやってきたタツキにとって、十一人の仲間と共にボールを追いかけるのは、とても新鮮だったのである。
 そこから彼の父との確執が始まった。

「……別に、俺が何やったって良いだろ」

 タツキがサッカーをするようになってから、明らかに父親の雰囲気が変わった。口出しをしてくる訳ではない。ただ、どことなく嫌そうにしている。
 中学校に入学し、サッカー部に入部すると言った時、一度だけ反対された。結局は母の後押しにより入部出来たものの、その日から父との溝がより深くなったように思える。
 事実、練習試合で活躍したその日には、母はタツキを大袈裟なくらいに褒め、「タツキの好きな物を作って上げる」と上機嫌で言ったが、父は「おう。良かったな」の一言しか言わなかった。
 タツキは剣道を止めた訳ではない。サッカー部の練習の合間を縫って、こちらも練習を続けている。父に何を言われるか分からないからか、本気で剣道が好きだからか、単なる惰性で続けているのか、タツキ本人にも分からなかったが兎に角続けていた。
 地区の大会に出て、隣の市の道場の跡取り息子に負けて準優勝で終わってしまった事がある。
 タツキは「サッカーなんてやっているからだ」と叱責されるのだろうと覚悟した。しかし、父はタツキが剣道を続けている事に気を良くしていたのか、「よく頑張った。」と褒めた。二つの試合結果に対する態度はあまり違わないように思えるだろうが、十三年間彼の息子をやっているタツキは、あからさまな態度の違いを感じ取ったのだった。



 「夕焼けが綺麗だね〜」

 マチが徐に言う。タツキは何を呑気にと思ったが、つい釣られて空を見てしまう。空は確かに夕焼け空だ。写真家や記者が絶賛するような綺麗な空ではなかったが、確かに綺麗な空ではあった。

「もう、秋なんだな」

 ついこの間まで夏の空だった筈が、広く高い空へと姿を変えていた。そんな空に比べて、自分の悩みはなんてちっぽけなものだろう。ベタな考え方だが、今のタツキの助けになっている事は間違いない。晴れ晴れとした空のお陰で、自分の心も晴れ晴れとしてくる。この清々しい気分のまま家に戻りたい、そう思った時だった。

「ちょっとごめんね!」

 タツキとマチの足下を、小さな動物の気配が謝りながらすり抜けていく。

「なんだろうあの動物。猫の仲間かな?」

「可愛いね〜」

 猫にしては長い耳を持った白い動物が、金色の輪に通した尻尾を揺らして走っていく。

「不思議な動物だ……な?」

 確かに不思議な動物である。人語の意味を理解して話すことが出来るのだから。
 タツキ達がこの事実に気付いたのと同時に小動物も同じ事に気が付いたらしく、タツキ達の数メートル先で「しまった」と言いたげな顔をしている。本物の猫もこのような表情をするかは知らないが、大変人間臭い表情だ。
 そして小動物は、大急ぎでタツキ達の前から逃げ出した。

「あ! 逃げるぞ!」

「待て待て〜」

 自らの好奇心に抗う事が出来なかった少年少女は、この動物の正体を知るべく、我先にと駆け出した。



「今、あの猫、喋った……?」

 少年少女と小動物のやり取りを見ていた人物が、持っていたスマートフォンを落としそうになりながら茫然と立ち尽くしている。

「え、マジで? マジすか? ……捕まえたら、何か貰えたりする? 懸賞金出る?」

 その人物は思考を巡らせる。そうしている間にも彼らとの距離はどんどん遠ざかっていく。

「……あ、やばい」

 その人物は手遅れになる前にと短いスカートを跳ね上げて走り出す。
 但し、それは常人とは比べ物にならない程の速さだった。



「おーい! 待ってくれよー!」

「あなたの敵じゃないから〜」

 どう見ても敵であると感じたのか、動物は振り向きもせずに逃げ続ける。タツキは足の速さには自信があったが、人間の足ではやはり、動物には追い付けない。
 その時だ。タツキは斜め後ろを走っているマチの様子が豹変してしまったのを感じた。

「待って〜……。待てー!!」

 マチの目はカッと見開かれ、表情はキリッと引き締まる。足の速さもタツキが怯む程上昇しつつある。

「マチが、『覚醒』した……」

 いつも起きているのか寝ているのか分からないマチだが、時々こうして眠りから目覚めたかのように普段の倍の力を発揮する。まさに眠れる獅子である。
 彼女の身に起こるこの現象を、『目が覚める』という意味と、漫画やゲームで多用される『能力が目覚める』という意味を込めて、人は『覚醒』と呼んでいる。
 今この時にマチが覚醒状態になったのは、タツキにとって幸運な事だった。獅子は兎を追い掛けるのにも全力を尽くす。今のマチに躊躇いというものは存在しなかった。
 どうもこの動物はこの辺りの地理に疎いようで、大きな通りを選んで走っていく。どうも目的地があるようだが、残念ながらどこは分からない。
 大きな肉屋の角を曲がり、学校で噂が流れている老婆の家の前を横切り、二人の家からは遠ざかり、それでも動物は逃げていく。

「観念しなさい!」

 覚醒したマチは性格もきびきびしたものへと変化する。それを敵意を剥き出しにしたのだと勘違いした動物は、泣きそうになりながら走るのだった。
 そんな動物に追い討ちを掛けるように、いや、タツキとマチさえも身の危険を感じさせるような、もう一人の気配が近付いてくる。二人と一匹がそこで初めて振り向こうとすると、地元の高校の制服を着た少女がタツキとマチを追い越していくのを見てしまった。

(何者……!?)

 まさかこの辺りにマチを凌駕するスピードを持つ人物がいるとは思っていなかったタツキは、目を丸くした。
 茶髪に染めたミディアムヘア、筋肉のついた足、そして血走った目。僅かな一瞬でタツキが捉えた女子高生の特徴だ。

「捕 ま え た」

 あっという間に彼女は動物に肉薄し、手を伸ばす。動物が諸々を諦めたその時だった。

「ほぎゃぁお!!」

 突然、女子高生に相応しいかは定かではない悲鳴と共に、彼女はやはり女子高生らしいとは言えない姿勢で後ろに倒れた。

「何で!?」

 驚いたタツキとマチが立ち止まっている間に、動物はチャンスとばかりに歩みを進める。タツキとマチには残念ながら、見知らぬ人を介抱する余裕は今は無かったため、少し心配そうに立ち止まってから再び走り出した。



「いてーなコンチキショー! べらんめえ!」

 女子高生はすぐに目を覚ました。当然未確認生物は何処かへ行った後。彼女はおかんむりである。

「誰だ私の脳天に直撃してきたのはー!?」

「それはこっちの台詞だよー! 何でボクの落下地点にいるんだよー!!」

 彼女は怒号にまさか返事が返って来ると思わず、慌てて声の主を探す。

「……へ? ナニコレ……?」

 彼女は恐らく声の主であろう人物を見つけた。それは人物と言うよりは、雫の様な生き物と呼ぶべきかも怪しい何かだった。透き通った身体を揺らして怒るそれを見て、彼女はただただ呆けている事しか出来なかった。



 二人と一匹の追い掛けっこはまだ続いていた。小動物も息切れを起こしているようだが、それは二人も同じだ。

「なあ、この先って何かあったっけ?」

「確か……遊具の老朽化で立ち入り禁止になった公園……」

 得体の知れないものが身を隠すための拠点にするとしたら、恐らくここだろう。案の定、小動物はこの公園に行くためのルートを選択した。

「よし、バレないように公園に入るぞ……」

 塗装が剥げたゾウの滑り台、錆び付いた鉄棒やジャングルジム、秋風に寂しげに揺れるブランコ、誰にも遊んでもらえなくなった遊具達が、そこに待っている筈だった。

「グルルルルルルァ……」

 犬のものではない、猛獣のような唸り声が二人の鼓膜を鳴らす。

「おい、何だよあれ……ドラゴン……?」

 そこに待ち受けていたのは、先程の可愛らしい生き物などではなく、漆黒の身体と悪魔の様な翼を持つ竜だった。明らかにこの地球上の生物ではない。
 驚くべき事に、タツキとマチが見たのはこの黒い竜だけではなかった。

「クソッ、やっぱり成熟期相手はキツいか……」

 聞こえる筈がない人の声、悔しそうなその声の主は、こちらもまた人間ではなかった。
 タツキにとって重要な物 、即ち剣道の防具を身に付け、竹刀を手にしているその生き物は、2本の角と爬虫類の様な尻尾を有していた。

「一体あいつら、何なんだ?」

「もしかして、戦っているのかしら」

 黒竜と対峙している小柄な生き物の後ろには、タツキ達から逃げようとしていた白い動物、更にその後ろには小さな太陽の様な形をした生き物がいる。
 ドラゴン以上に実在が信じ難い生物だ。

「おい、猫。そこ動くんじゃねえぞ」

「でも……」

「うるせえ!!」

 剣士は猫の様な生き物を戦いから遠ざけようとしているようだ。語気は強いものの、黒い竜に立ち向かおうとする小さな身体は、少々頼りない。

「成長期の分際で、成熟期に勝てる気でいるのか? 傲慢な奴だ」

 黒い竜は意外にもはっきりとした発音で喋り出す。タツキ達が知らない単語が使われているが、挑発しているのだと分かった。剣士は挑発に乗るつもりがないのか、何も言わずにいる。

「そこのテイルモンに任せたらどうなんだ?」

 テイルモンというのはこの猫の様な生き物の事を指しているのだろうか。黒竜に挑発され続けているが、それでも剣士は沈黙を貫いている。

「どうした? そんなに殺して欲しいのか? ……おい、何をブツブツ言っている?」

 距離が離れている上に、剣士の口元が見えないためにタツキ達には分からなかったが、剣士は黙っているのではなく、何かを呟いていたらしい。

「ブツブツ……俺は強い、こいつは強くない。ブツブツ……」

「ああ?」

「ブツブツ……俺はこいつを殺せる、殺す。……ブツブツ……」

 呟く声はどんどん大きくなる。自己暗示を掛けているのだろうか、随分と強気な内容だ。

「ブツブツ……ぅるあああああ!!!」

 突如剣士は飛び上がり、竹刀を振りかざした。

「ファイヤーメーン!!」

 剣士の掛け声と共に、なんと竹刀が炎を纏う。剣士は黒竜の脳天に向かって竹刀を叩きつけようとする。だがしかし、黒竜は炎に怯む事なく剣士の身体全体を鷲掴みにしてそのまま地面に叩きつけた。

「うぐっ……!」

 剣士は呻き声を上げる。ダメージが大きかったためか身体が震えているが、それでも立ち上がって再び向かっていく。
 人間ではない剣士が、白い猫と小さな太陽を庇いながら、黒く大きな竜へと勝ち目の無い戦いを挑んでいる。この光景に対する二人の第一印象は、「これは本当に現実なのだろうか」だった。ゲームや漫画の様な出来事が、自分の住む町で、それも眼前で繰り広げられている。あまりに非現実的な現実に、脳の処理が追い付かない。脳が勝手に回転を止めようとしている。理解する事を諦めたがっている。
 しかし、この場を支配している竜の殺気、剣士の覇気、白猫の不安、小さな太陽の悲壮感が、これは現実であると訴え掛けている。二人は嫌でも「これは現実だ」と認識させられていた。

「折角テイルモンが戻って来たのになぁ。勿体無え事しやがるなあ!!」

「がふぅ!!」

 黒竜が腕を振り払い、剣士を再び地面に叩きつける。これが何度も繰り返されている。剣士が一矢報いるチャンスなど皆無で、黒竜に弄ばれる一方だ。

「だからー、竹刀の使い方が悪いんだって! 大技狙いすぎだって! 後、面じゃねーよそこ!」

「あのー、……タツキくん?」

 タツキは知らず知らずの内に熱くなっていた。本当はこの場から逃げ出すべきなのだろう。
 しかし、タツキの中の何かが、そうさせてくれないどころか応援までさせている。何故自分はこんなに剣士に感情移入しているのか、自分でも分からなかった。

「やっぱり、成熟期相手は無謀なんだ……あの、加勢した方が良いんじゃ……」

「ダメー! それはダメ!」

 太陽の様な形の生き物が白猫に提案するが、それは却下された。

「多分、そんなことしたら怒られちゃう……」

 状況が良くなる事はなく、このままではあの二体も危ういかもしれない。

「ただなぶるのも飽きてきたな。ちょっとしたゲームでもするか……。おい! そこの人間!」

 自分達の存在を知られていたという事実の判明と同時に訪れた恐怖が、二人の身体を硬直させた。

「えー!? まだいたのー!?」

 テイルモンというらしい白い生き物がこちらを見て驚いている。完全に撒けたと思っていたらしい。

「貴様らに逃げる時間をやろう。但し、このチビが死ぬまでだ。こいつが生きている間に逃げ切れたら貴様らの勝ち。逃げ切れなかったら俺の勝ちだ」

 そう言うが早いか、黒い竜は攻撃を再開した。こちらには拒否権は無いようだ。

「ぐあ……っ!」

「おら、踏ん張らねえとあの餓鬼共が死ぬぞ」

 終わりの見えない暴力の連続。今すぐにでも逃げ出したい。いや、逃げるべきだ。だが、身体がちっとも動かない。まさに蛇に睨まれた蛙だ。

「まさか人間まで巻き込んでしまうなんて……もう駄目だ……」

 太陽の様な生き物が、震える声で言った。手があったら頭を抱えているに違いない。被害を大きくする等の形で彼らに迷惑を掛ける訳にはいかない。やはり逃げるべきだろう。

(でも、俺が今ここで逃げて良いのか? あいつを囮にして? いや、それ以外にも、逃げちゃいけない理由がある気がする……)

 タツキの中にある不明瞭な何か。先程芽生えた感情が、余計に彼にここから逃げることを躊躇わせる。

「俺だって、『進化』さえ出来れば……がッ!」

「そう都合良く進化出来るものか」

 黒い竜が剣士の言葉を否定する。

(どうしてこれが夢じゃないんだろう。俺の日常ってもっと、普通な感じじゃなかった?)

『友達とサッカーしたいだけなら、いくらでもやればいい。だが、流石に部活に入るのは認められん!』

(……いや、あんまり戻りたい日常でもないな。よってたかって、“俺達”は否定される)
 
 剣士がいたぶられ続ける現実と、つい重ねてしまうもう一つの現実。ああ、何故こうも現実というものは上手くいかないのだろうか!
 死にたくない。でもここから逃げたくない。目を覚まして現実に帰りたい。でも非日常にいる方が楽かもしれない。思考の迷路に嵌まったタツキはパニックを起こしていた。



 「タツキくん! タツキくん!」

 マチの呼び声も耳に入らない。何故? 何故? どうしてこんな目に遭わなくてはならなかった?ここから逃げ出せない理由とは何なのだ?

「ねえねえ」

 何故? そもそも彼らは何者なのだ? 何故彼らと関わってしまった? 過去の自分を殴りたい。勿論今の自分もだが。何故? 何故自分は答えの無い「何故」に拘わる? そんな場合か?

「ねえってば!!!」

 タツキの目を覚まさせたのはマチではなく、足下でタツキの弁慶の泣き所を叩きながら叫ぶ声だった。

「痛ーー!!!」

 タツキは痛みのあまり飛び上がる。

「ねえ! このままだとピンチなの! って言うかもうピンチなの! あの子、私に手助けされるの嫌だって、でもこのままじゃ勝てそうになくて……」

「痛えよー! 痛いよー!」

「タツキくんのストライカーの足になんて事を……」

 痛みに耐えながら叫ぶタツキを無視し、話し続けるのはあのテイルモンだった。

「それでね、手伝ってほしいの! もしかしたらあなたがそうなのかもしれないから!」

「はあ?」

 やっと痛みが治まったタツキに、何やら小さい機械のような物が手渡された。

「何だこれ?」

「ゲーム機かしら?」

 マチがタツキの手元を覗き込む。大きさはタツキの手に収まる程で、画面には何も映し出されてはいない。

「手伝うって、こんなのでどうすれば良いんだ?」

「えーっと、こう、ドーンって!!」

 何を言っているのかさっぱり分からない。この小さな機械で、小さな自分達がどうすれば良いと言うのか。

「ごめんなさい! あの、何と言いますか、それに“感情”を込めてみてほしいんです」

 小さな太陽の様な生き物が割って入ってくる。どうも彼は見た目に反してテイルモンよりはしっかりしているらしい。

「上手くいけば、この状況を変えられるかもしれません! 詳しい事は今は説明出来ませんが、何とかお願いします!」

 太陽の様な生き物は頭、と言うより身体全体を下げて懇願する。

「ええー?」

 タツキはマチに状況の説明を求めるが、彼女も首を横に振った。最早タツキに状況を理解する術は残されていない。

「こうか?」

 タツキは機械に気を込めてみる。彼は気の使い手ではないのであくまでもイメージだ。しかし、機械は何の反応も示さない。

「駄目なの!? じゃあこうか!」

 何となくイメージの仕方を変えてみるが、やはり何も起こらない。

「どうしろって言うんだ……」

 テイルモンと太陽の様な生き物が、やはり駄目なのかと顔を見合わせる。それを見てタツキは焦った。こうしている間にも、剣士の体力が、命が削られていくというのに、自分は何も出来ないだろうか。
 剣士が「籠手」と名の付く技を使いながら竜の胴を狙っている。それもやはり難無く防がれてしまった。

(何であいつ、あんないかにも剣道やりますみたいな格好して、滅茶苦茶な事やってるんだ? …………!)

 タツキはある事に気付いた。

(もしかしてあいつ、剣道みたいな技を使うのは不本意なのか?)

 長い袖に血が滲んでいる。竹刀の持ち手も紅く染まりつつある。そんな剣士を冷ややかな目で見る竜が、何処か見覚えのある気がする。



「畜生……畜生ォォォー!!」

 剣士が最後の力を振り絞って竜に飛び掛かるも、悲しいかな竜には届かない。地面に打ち付けられ、そのままピクリとも動かなくなってしまった。

「やっと死んだか。そろそろ……ん? 餓鬼共、まだ逃げてなかったのか」

 竜はやっとこちらに気付いたらしい。よっぽど剣士を痛め付けるのが楽しかったのだろうか。

「やっぱり、違ったんだ……」

 太陽の様な生き物が泣きながら呟いた。違ったとは何の事だろうか。
 それも束の間、疑問は一瞬でタツキの中から消え去り、彼の意識は巨大な竜の目の前まで引きずり出された。

「よほど死にたいようだな。望み通り、息の根を止めてやろう」

 後ろからマチの悲鳴が聞こえる。自分は大きいものに対してなんて無力なんだろう。脳裏には黒竜の他に、自分にとっての大きな存在も浮かんでくる。

(ああ、俺はそこに倒れているあいつと自分を重ねていたのか)

 タツキは剣士と自分を、竜と父を重ねていた事に気付く。父と化物を一緒にしたいと思っている訳ではないが、どこか重なる部分があるような気がする。

(あいつは勝ち目が無くても自分のプライドのために戦ってたのに、俺は……)

 馴れない武器と防具を持たされ、それでも戦った彼と、父との衝突を避け続けて自分の好きなことをやってきた自分。大きな存在に屈したくない彼と自分。
 憧れと親近感と怒りと焦燥感と恐怖と無力を嘆く心が、あらゆる感情が、タツキの心から外側へと流れ出す。

「畜生ぉぉぉぉぉ!!!」

 タツキは、感情という感情を外側へと押し出すように、叫ぶ。その刹那、

「な、何だ!?」

「眩しい……!」

「グァァ……!」

 タツキの目を、その後ろにいるマチや謎の生き物達の目を、黒竜の四つの眼球を、全てを貫く閃光が、タツキの掌から、そして倒れている剣士から放たれた。




 「コテモン進化……ムシャモン!」


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