第19話 Velonica
『……戦争の終結後、僅か数年後には……戦争が始まってしまった。というのが前回までの内容だったよな?』
『本日未明、……県……市のデパートで銃撃事件が発生しました。犯人は依然として立てこもっており……』
『……政府は……による……国への武器輸出を……』
『……地域における政府軍と反政府軍の抗争は激化を辿る一方であり、民間人の死者は……』
『本日は……国における内戦の勃発に伴い注目が集まっている少年兵についてご紹介いたします』
『遂に貴様ら勇者と我ら魔王軍の決着の時が来たようだな。お互い多くの血が……』
『……テロから……が経ち、……国では……周忌の……』
いつからこの音声は「自分とは関係の無いもの」ではなくなってしまった?
教師の口から、どこかの教室から、通りがかった車のラジオから、食堂で垂れ流されているテレビから、音声が脳に流れ込み心を蝕んでいく。
「武者小路? むしゃのこーじー……。文豪!」
タツキの意識はグラウンドへ呼び戻された。
「悪い、内田」
「ちょ、お前大丈夫か? 監督も心配してるぞ?」
期待の一年生として持て囃されていたタツキの足は、普段の半分も動いていなかった。簡単なパスさえおぼつかないほどに。
頭はいつもの何倍も動いているというのに。ねずみが回す滑車のように、同じ所をぐるぐると。ぐるぐると。
「ねえ。最近、愛一好休みがちじゃない?」
見知らぬ女子高生同士が会話をしている。それは帰り道を急ぐタツキの耳にも入って来た。
「だよね? 今までは本人が『皆勤賞くらいしか取柄が無い〜』って言うくらいだったのに」
「お兄さんの都合とか?」
「でもお兄さん普通に見かけるよ? 風邪かなんか?」
「うっそ。愛一好って風邪ひくの?」
斑目愛一好は修行のために、わざわざ学校を休んでいた。それをタツキは知らない。
「タツキ! 練習はどうした!」
父に怒鳴られた。折角の休日だというのに呆けていたタツキを見かねた父に叱られた。
「部活で疲れてんのは分かる。でももう三日も休んでんだ。ちょっとでも練習しとかねえと、どんどん下手になるぞ? ……やっぱり辞めるか? 部活」
「勝手な事言ってんじゃねえ!」
突如、脳に浮かんだヴィジョン。父親に反抗する自分の姿が目の裏に焼き付く。
「大丈夫。今から道場に行く」
タツキはいつもの通り、差し障りの無い返事をしてその場を切り抜けた。
知識は経験たり得ない。自身が目の当たりにしなければ、自らの身に降りかからなければ、全ては妄想と何ら変わらない。変われない。想像だけでは、何も。
同情、共感、反感。頭の中の映像は所詮は映像であり、視神経を通じて取り込んだ映像に侵され続ける幻想でしかない。
少年が作り上げた虚像は、現実に干渉する勇気を未だ見せない。
世界を守る騎士と世界を壊す悪魔の戦いを目の当たりにしてしまった。
数週間前の出来事だ。タツキとその仲間達は、『ロイヤルナイツ』の一人、ドゥフトモンと対談を行った。そこに宿敵ベルゼブモンが乱入。二体は激戦を繰り広げた。
戦いのレベルの高さは子供達に恐怖を与えた。世界規模の力を持った化け物達の戦いに飛び込んでしまった事を、改めて思い知らされた。初めてデジモンと出会った時の恐怖など生易しいと感じる程に。
憧れの存在に誓った決意も簡単に侵された。侵された誓いは少年を蝕んでいく。期待が毒へと変わっていく。
――この世界を、人間とデジモンの二つの世界を、救ってはくれないだろうか
――勿論! 絶対に魔王からこの世界を、守ってみせます!
――俺がお前を、元のボルトモンよりも強い究極体にしてみせる
――やれるもんなら、やってみ
――二人まとめて究極体になってダークエリアに殴り込みかけようぜ
――そしたら、フレイヤに会える!?
――戦線に戻って頂けませんか
「俺は一体、一体何をどうしたいんだ?」
陽はいつもの寂れた公園へと足を運んだ。隣にマチの姿は無い。「デジモンだと分からないように」と彼女から贈られたコートと帽子を身に着け、独り、ペンキが剥げたタイヤに腰かけている。
夕暮れ時のこの場所は、陽にとっては恐怖の象徴であった。しかし、より鮮烈な恐怖が刻み込まれた今となっては「独りでいるのにうってつけな場所」に成り下がっていた。
「何してるの?」
不意に頭上から声を掛けられた。
ここへは誰も来ない筈だ。陽は一瞬驚いたが、顔を上げて声の主を確認するとすぐに納得した。
陽の視線の先では彼を驚かせた張本人、少女と称するにはあまりにも小さい生き物が微笑みを浮かべて宙に浮かんでいた。
「……ダリアさん」
「うふふ、こんにちは!」
ダリアは陽の顔の側まで高度を下げる。目線は合っても視線は合わない。
パートナー共々自分達を裏切った疑惑のある彼女を、陽は直視できなかった。
「どうしてここに?」
「お手紙届けに行った帰りなの。で、陽くんは?」
「僕は、別に……」
陽はうつむき、口ごもる。これはダリアの素性は関係なく、陽自身の問題だった。
ダリアは無邪気な笑みを浮かべたまま、不思議そうに首を傾げた。
「……ダリアさんは、戦いを怖いと思った事はありますか?」
「無いよ!」
即答だった。
「だってデジモンだよ? 戦うために生まれて戦って死んでいくの。戦いを怖がってたら生きていけないわ」
ダリアの回答は的を得ている、と陽は思った。先日のドゥフトモンの発言の通り、デジモンは闘争本能を持つ。大なり小なり「戦いたい」という欲求を食欲や睡眠欲と並ぶものとして持ちながら、「戦いたくない」という感情を持つのはデジモンという存在の中では異端である。とダリアは言いたいのだ。
陽は彼女に「自分は戦いに対して恐怖心を持っている」事を説明した。
「僕も恐怖心を克服できたと思ってたんです。でも大きな力を目の当たりにしたら、また怖くなって……」
「そういう時にはね、そいつを狩れるくらい強くなればいいの!」
ダリアは笑顔のままで言い放った。それが最適解だと信じて疑わない、自信に満ち溢れた笑顔だった。
「そ、そんな簡単に言われても」
「だって分からないもの! 生まれてから一度も『戦いが怖い』なんて思った事無いし、そんな事言うデジモンは陽くん以外見た事無いわ!」
ダリアは怒って頬を膨らませる。その仕草は完全に不貞腐れた子供のそれだ。
「だから多分だけど、もっと強くなればいいと思うの。絶対に獲物を狩れるって自信がつけば怖いなんて思わないわ!」
いつのまにか上機嫌に戻っている所も、幼い人間のようだ。気まぐれに、無邪気に、残酷に他者を翻弄する。
「あの、戦う事自体が怖い場合は」
「うーん。それはもっともっと分からないけど、やっぱり強くなるしかないんじゃないかしら。そろそろ羅々が待ってるから行くね! まったね〜!」
ダリアは一つ前の問いと殆ど変わらない答えを押し付けると、来た時と同じように気まぐれに飛び去って行った。
「……はあ」
陽は再び思案に耽る。そのために一人になれるこの場所へと足を運んだのだ。
「強くなるしかない、か……」
強くなれば、成熟期さえも超えて強くなれば、自分や他人が傷つく事ばかりを考えずに済むだろうか。恐怖に打ち勝てるだろうか。では、強くなるまでに恐怖心とどう付き合っていけばいいというのか。
「マチは一緒に戦うって言ってくれた。ジジモン様も励ましてくれた」
そうだ。みんながいる。この恐怖心をみんなと分け合えばきっと――
――そんな事言うデジモンは陽くん以外見た事無いわ!
恐怖をみんなと分け合う? みんなは共有する恐怖を持っているのか?
マチは怖いと言っていた。だがマチは人間だ。タツキも聖次も、信じ難いが愛一好も人間だ。
だがデジモン達はどうだ? 死を知った村正が、再び生命を危機に晒す事を疎んだか? クラリネが友人以外との戦闘を拒んだか? 二度も大きな敗北を喫した跳兎が戦意を失ったか? 母性が強く優しいヴェロニカは不戦主義者か? ジジモンが「自分もかつてはそうだった」などと経験を語った事があるか? 何故「自分は矛盾している」という考えに及んだ?
気付いてはいけない。気付いてはいけない。自己矛盾。自己矛盾。自己否定。
ここは、日本のどこかにあるかもしれない荒野。二羽の兎、を自称する戦士が岩山をバックに対峙する。
『アはぁ〜ん、んフンフンフ〜ン』
音頭と思わしき珍妙な着信メロディーが鳴り響く。
「しもしも?」
場違いな音楽を途中で切り、電話に出る。それもただの電話ではない。三大天使直通のホログラム式テレビ電話だ。
「愛一好、跳兎。至急の連絡だ」
愛一好が言葉を発する前に、画面下からオレンジ色の塊が飛び出した。
「聖次がさらわれちゃったのよお!」
夜八時。秋の夕日はとっくに沈んでいた。
その建物は闇の中から姿を現した。
「うっへえ〜、シュミ悪っ!」
その建物は形「だけ」は機能的で美しかった。おそらくここ一、二年の間に建設されたのであろう、新しい感性の下に設計されたとある会社のオフィス。しかし、今や外壁は毒々しい紫を基調とした気色の悪いペイントで修飾され、地面に備え付けられたライトで観光名所の如くライトアップされている。
「分析の結果、聖次の反応はこの建物の中から見つかった」
「自分の感想とか抜きで本題に入るから話が早いとこ好きだよ、セラフィモン」
なんとも上から目線な女子高生である。
「これは愛一好の言う通り、趣味の悪いデジモンの仕業だろう。内部は本来の設計を無視した無茶な構造に改造されているようだ。罠らしき設備も多く検出されている」
「そんな事出来るデジモンっていたっけ?」
タツキが独り言として疑問を呟いた。それがセラフィモンの耳に入ったらしい。
「これはデジモン固有の能力とは無関係だろう。詳しい説明は省くが、リアルワールドのごく一部を電脳化させ、デジタルワールド側から構成情報を書き換えたのではないか、と我々は考えている」
「なんか今日のセラフィモン、親切すぎてこわーい」
再び失礼な事を口走った愛一好。そんな彼女はパートナーの跳兎と共に、折り畳み式の自転車を組み立て始めた。二人の奇行を無視してセラフィモンは説明を続ける。
「君達にはこの建物内に直接侵入してもらう。進路及び罠の位置は私が音声でナビゲートする。それに従って進んでくれ」
背後から自転車で突入しようとした愛一好の断末魔が聞こえて来た。どうやらセラフィモンの助けが無くては入り口さえも突破できないようだ。
集まったメンバーは聖次を除く全員。これにナビゲーターとしてセラフィモンが加わり、救助隊としては豪華すぎるメンバーとなった。罠に掛かりにくくするため、デジモン達はサイズが最も小さくなる姿を取っている。
「君達を傷付けさせはしない。……初めからそのつもりだったが、改めてドゥフトモンに誓った。今まで以上に協力を――」
セラフィモンの演説は、愛車が傷付き嘆く愛一好に半分聞き流されていた。
聖次、来月から独り暮らしした方がいい。大丈夫。部屋は用意してあるから。……お金? それも気にしなくていいよ。うちの貯金から出す。どうせもう、数字もろくに読めないだろうから。……大丈夫だって! 私も時々行くから……。私は大丈夫。二人で一緒に逃げたら面倒な事になるだろうし。大丈夫。私もちゃんと逃げるから――
「私は見てないけど、ドゥフトモンと戦ってるベルゼブモンもこんな気持ちだったのかなー……。ところでヴェロさん。今更なんだけど、おチビさんが誘拐された時の状況は?」
「そうね、あれは聖次が模試から帰って来た後の話……」
愛一好からの質問を受け、マチに抱かれた状態のヴェロニカが語り出す。小さな手には聖次のデジヴァイスが握られていた。
「聖次はいつもより早めに帰ってきて『あー、かったりい。晩飯の時間になったら起こして』なんて言いながら寝ちゃったわ。そうしたら窓を割ってデジモンが入ってきて、そのまま聖次をさらったの。その時、私は洗濯物を干していて反応が遅れたわ。いくら成長期のこの姿だったとは言え、一生の不覚だわ!」
ヴェロニカは握りしめた拳をわなわなと震わせた。顔には青筋が浮き出ている……ように感じる。
「もし助け出せたとして、窓の事は大家さんにどう説明したら……」
「うーん、デジャヴュ……ちょい待ち!? 大家さんの前に親に怒られない!?」
無茶をしてアパートの窓を割ってしまう愛一好だからこそ、気付いた事がある。確かに大家には嫌というほど怒られるのだが、その前に肉親である兄から雷が落ちる。特に今回のケースでは、誘拐された事を真っ先に聖次の保護者に説明すべきではないか?
「あら、そう言えば言ってなかったかしら? 私と聖次はアパートで二人暮らしよ」
「え、メイスオブ初耳」
どうもこの女子高生、横文字のセンスがよろしくない。
「詳しい事は分からないけど、家庭でごたごたがあって聖次だけ独り暮らしする事になったみたい。そこに私が来たの」
愛一好だけでなく、皆がヴェロニカの話に耳を傾けていた。
「明るい奴ほど、裏では問題を抱えてるってやつか……」
タツキのまぶたの裏には、大人びているふりをしたい子供そのものの笑みを浮かべた聖次の姿が貼りついていた。
頭のおかしい伯母と、二歳年上の従姉が一人。両親は俺が五つの時にいなくなった。
ある時、おばさんが「美味しいものを食べさせてあげましょう」と言って大きなマグロの身の塊を買って来た。俺は驚いたが従姉は見慣れていたのかあまり反応は無かった。元々やる事が極端な人だった。その日はおばさんの調子が良かったのだろう。何の問題も無く買い物が出来たようだ。おばさんが台所へ入っていくと、すぐに軽快な包丁の音が聞こえてきた。
音はいつまでも止まなかった。
「母さん……?」
従姉が様子を見に行った。
これは後から聞いた話だが、おばさんはマグロの赤身をひたすらに刻み続けて細切れにしてしまっていた。皿の上には刺身のツマが用意されていたから、本当は刺身にするつもりだったのだろう。
要するに、おばさんは自分が何をするつもりだったのかも、今は何をしているのかも分かんなくなっちまってた、って事だ。
「母さん! 母さん!」
いとこがいくら話しかけても包丁の音は止まなかった。包丁を持ってるおばさんを無理矢理止めるのは危険だって事で、その日は予め炊いておいた白米と味噌汁と刺身のツマを食べて終わった。
寝る頃には包丁の音は止んでいた。
次の日、マグロは残飯として捨てられてはいなかった。夜中に泣き声が聞こえた気がするから、正気に戻ったおばさんが泣きながら食べたのかもしれない。その代わり、女性がやったとは思えない程に痛めつけられたまな板と包丁がゴミに出されているのを見た。
「はいよ聖次くん、連絡帳チェックおーわり!」
「サンキューおばさん!」
調子のいいおばさんに、連絡帳を書いてもらった。
おばさんは科学者だ。専門はインターネットとかそこら辺の分野。好きな物質は液体窒素。趣味はテレビゲームとおバカな発明。シングルマザーでありながら第一線で活躍する超人。ただ、ちょっと……いや、かなり変な人だった。根は真面目で良い人なんだけど、基本的にはピエロみたいな人。そう、あの驚異の脚力を持つ女子高生と同じタイプの人間。
だから正気なのかおかしくなっているのか、境目が分からなかった。
「んじゃ、次は心菜の分持ってきてください。いやー、それにしても暑いっすねー。私が絶対零度にも耐えられる肉体を持ってたら間違いなく、液体窒素にダイビングしてましたよ。やだなーあっつくなったゲーム機持ちたくないなー。あ、そうだそうだ連絡帳。心菜の分書かなきゃ。ごめんなさい聖次くん。いやー、それにしても暑いっすねー。陽炎ですよほら。空がゆらゆらっと。揺れて揺れてほらぐらぐらぐらとなってますよあの時みたいに。ああごめんなさい聖次くん。暑いっすねえ熱い熱い。空が地獄の業火に焼かれて熱いって訴えてますよ。ああ、ごめんなさい聖次くん。空が、空が、ああぐらぐらと開く反転する原子の海が電子の大地が混ざり合ってああごめんなさいごめんなさい聖次くん、みんな私のせいなんです。ああ魔子空が燃えるよ魔子。あああ迎えが来た来てくれたあああ見よこれが貴様が捧げた人生の輝かしき人命トイフモノノ軽視デス今スグ凍結ヲ実験は成功ですおめでとうございますさようなら我が妹よああ聖次くん、お小遣い上げるからアイスをあああアイスをああくわばらくわばら来たのですよ貴方のおわ……始まりが」
「……おばさん、俺もう行くわ」
「んあ、あ、ああ、壊れた壊れたそんなつもりじゃなかったいやそうするつもりだった、だってだってみんなああああああ」
その頃には俺は、おかしくなったおばさんはしばらく放っておくと良いと学習していた。
「キャー!!」
中学に上がったばかりの頃。ある肌寒い夜に従姉の悲鳴が聞こえたので、急いで部屋に向かった。
「母さん! やめて! やめてってば!」
おばさんは従姉に、つまりおばさんの娘にケタケタ笑いながら覆いかぶさっていた。長すぎる黒髪とまっさらな白衣のせいで、幽霊みたいだった。
「私の可愛い失敗作、ああごめんなさい、ごめんなさい。空が燃えている二人とも燃えているああやんぬるかなやんぬるかな回転して弾けて融けて死んだごめんなさい召しませ召しませ終末の龍地獄の女王よ我が救いよああごめんなさいごめんなさい全部私のせいなんです。よかれとおもってやったことがぜえんぶはじけましてそれからというものは龍が食ったんだ割れる空に見えてる消滅してあの女がやれって言ったんだ私は悪くないごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう許さない計画ハ失敗デス計画及ビ検体の凍結ヲ願イ出出出出出出出出出見えた全部見えた幸せな終わりなどある筈が無かったのだ助けてくださいごめんなさいごめんなさい」
この時ばかりは全力でおばさんを突き飛ばした。
この後、俺は従姉の計らいで独り暮らしする事になった。それまで一体どうやって、誰に支援されて生きてきたのか。おばさんの変わりようがあまりに鮮烈で苛烈で激烈で、全く覚えていないしそれどころじゃなかった。
俺の両親、おばさんの妹夫婦の火葬の日。俺も空も涙を流していた。従姉は俺を慰めていた。おばさんは両手で俺といとこの手を繋いでいた。
おばさんは終始無言だった。大きな丸縁眼鏡の奥の、大きな目は多分涙に濡れていた。
その次の日からおばさんはおかしくなった。
「やはり来てくれたか」
一際天井が高い部屋。円筒形の部屋の中央、床が数メートル盛り上がったその場所に聖次はいた。おそらく社長室の物であろう、豪奢な椅子に背をもたれかけて熟睡している。
「聖次を返しなさい今すぐ!」
ヴェロニカはマチの腕から飛び降り、怒りを露わにする。
対して、誘拐犯であろうデジモンは余裕たっぷりに含み笑いを浮かべてこう言った。
「安心しろ。君だけは彼に嫌でも会わせてやる。そのデジヴァイスを彼に渡しに来い」
「は?」
そのデジモンが何を言っているのか理解できず、ヴェロニカは固まった。
「その前に、私の計画について話しておこうか」
黒と赤の人骨、それに包まれた黒い電脳核、黄色い宝玉が設えてある杖、これらの特徴から陽は黒幕の種族を「スカルサタモン」であると判断した。
スカルサタモンはその場から動くことなく彼の動機を語り始める。
「初めに私は『人間とデジモンのパートナー関係』に目を付けた。人間の精神状態はデジモンのコンディションに大きく影響する。逆もまた然り。では、第三者が意図的に感情と意思を操作した場合も同様の現象が見られるのか?」
聖次が僅かに顔を歪めて唸った。
「次に私は頭目を失い混乱を極めているベルフェモン軍に取り入る事を思いついた。ベルフェモンの軍では『悪夢』を利用した兵器の研究が盛んだと言われていてね。悪夢を用いた実験で成果を出せば入軍も出世も容易という訳だ」
聖次の唸り声が大きくなる。
「そして私が考案した計画及び実験はこれだ。まず、魔王軍に敵対している人間を確保する。次にその人間に悪夢を見せる。私の仮説が正しければ悪感情が誘発され、パートナーデジモンの暗黒進化を促す事が出来る筈だ。ポイントは『我々の味方をしたくなるように』仕向ける事だ。これで敵の戦力を削ぐばかりか我々の戦力の増強も可能となる。この実験が成功し、有用性が認められれば私は晴れてベルフェモン軍に認められ、重要なポストに就ける……という訳だ」
「ねえ、計画べらべら喋るのって負けフラグじゃない? つーか頭良さげに言ってるけど結構大雑把じゃない? っていうかこれセラフィモンに丸聞こえだけど大丈夫? そして私達は何要員?」
スカルサタモンが堂々と演説する様を見て、愛一好は訝しげにこう言った。
「私の目的は君達に勝つことではなく、実験データの収集だ。例え暗黒進化が起こらなくともデータさえ残ればそれで良い。そして君達は……彼の絶望をより深い物にするための『材料だ』」
「なんか死亡フラグ増えてない?」
「そこの餓鬼、いい加減黙れ。……彼はサンプルに相応しい人間だ。パートナーが我々とは真逆の存在である天使型デジモンであり、彼は心に深い傷を負っている。暗黒進化させるのにうってつけの……」
スカルサタモンは自身に迫る巨大な刀を受け止めるため、演説を中止せざるを得なかった。
見た目以上に硬い材質で出来ているらしい杖が、甲高い音を立ててその刀を受け止める。
「俺はお前の長え台詞を聴いてやれるほど気が長くも暇でもねえんだよ。とっとと終わらせてやる」
スカルサタモンに斬りかかったのはブテンモンに進化し、巨大な翼で飛び上がった村正だった。
二人の間にはかなりの体格差が存在しているが、スカルサタモンも完全体である。たった一つの要因で相手の有利を許す事は無い。殆ど本能的に判断し、自身の力が最も楽に大きく働く体勢を取っていた。
「貴方……いや、お前のその台詞こそが敗北の布石になるだろう。いや、してくれる!」
人質から離れる訳にはいかないスカルサタモンは、僅かに浮かび上がる事で力の均衡を崩し、刀をいなす。当然村正の攻撃は止まらず、再び鍔迫り合いの体勢に持ち込む。するとスカルサタモンの杖から怪光線が放たれ、村正はそれを躱す事を余儀なくされる。
「待って!」
加速し始めた2人の戦いを、少女のような高い声が制止した。
村正が視線を下に移すと、ヴェロニカがこちらへ小さな翼で飛んで来ようとしているのが見えた。手には聖次のデジヴァイスらしきものが握られている。
「あんた、どういうつもりだよ」
「ごめんなさい、ここは私に任せてくれないかしら? ……貴方、私を暗黒進化させたいのよね?」
デジヴァイスを聖次の手の上に置くと、ヴェロニカはスカルサタモンと対峙する。二者の間には大きな世代差があるが、それでヴェロニカが怯む事は無かった。
「その通りだ。随分と物分かりが良いが、どういう心境の変化かな?」
スカルサタモンもまた、格下のパタモンを相手にして慌てる事も侮る事もしなかった。あくまで取引の相手として対応する。
「私は協力してあげないなんて一言も言ってないわ。データが取りたいなら好きなだけ取りなさい。暗黒進化だって出来るもんならしてみなさいよ」
「あんた、本当にどうした? 催眠かなんかされてんのか? それとも勝算があるのか?」
村正は仮面の下で怪訝な顔をする。戦いを止められた不満以上にヴェロニカに対する疑問の方が大きいようだ。
「勝算がある方に決まってるでしょ。下の皆にも話はつけてきたわ」
「そこまで言うんなら……は?」
気が付けば村正は何故か退化し、落下していた。
大きな衝突音の後にやはり大きな怒鳴り声が聞こえてきたが、喧嘩を仲裁したい気持ちを抑えてヴェロニカは対話を続ける。
「いい? 私は貴方の実験とやらに協力してあげてもいいわ。その代わり……もし実験が失敗したのなら、私が正気を保っていたのなら、貴方を絶対に生かして帰さない。ここで殺してあげる」
「なるほど。『絆の力』とやらに頼るのかな?」
「実験が成功する自信があるのか逃げる自信があるのかは知らないけど、随分と余裕なのね。貴方がどんな手を使おうと絶対に逃がさないわ。……覚悟できたなら始めなさい」
ヴェロニカは怒りを表しながらも冷静でい続けた。それをスカルサタモンは心の中で嘲笑する。
「君こそ覚悟は出来ているのかな? 私も早く始めた」
「いいから始めなさいってば」
「分かった」
スカルサタモンは「やれやれ」と溜息をつくと、ヴェロニカの胴体を鷲掴みにした。
「え、ちょっと待ちなさいよ? 聖次に悪夢を見せるんじゃなかったの!?」
「おや、言っていなかったかな? パートナーとより深くシンクロするために、君にも彼と同じ悪夢を見てもらおうか」
「待ってこれでどうやって眠らせるつもりなのよまさか気絶させるつもりじゃないでしょうね!? 馬鹿な真似は止めなさい睡眠と気絶は違うのよ!? ちょ――」
椅子のひじ掛けが目の前に迫った所でヴェロニカの意識は途絶え、目の前が真っ暗になった。
「聖次、来月から独り暮らしした方がいい」
少女が言った。その碧眼からは悲痛な叫びも静かな怒りも感じ取れない。ただただ真剣な面持ちだった。
「な、なんだよ急に……。それ、大丈夫なのかよ」
少年は狼狽えた。深紅の瞳の奥で、金髪の長いツインテールが微かに揺れた。
「大丈夫。部屋は用意してあるから」
「いや、そうじゃなくて」
「お金? それも気にしなくていいよ。うちの貯金から出す。どうせもう、数字もろくに読めないだろうから」
「だーかーらー!」
「大丈夫だって! 私も時々行くから」
「だーかーらー……心菜は、心菜はどうなるんだよ!」
自分が声を張り上げている事に気付いた少年は、伯母に聞こえやしないかと慌てて口を押さえた。
「私は大丈夫。二人で一緒に逃げたら面倒な事になるだろうし。大丈夫。私もちゃんと逃げるから」
「それまで俺は独りなのかよ!」
その時は叫ばなかった、叫べなかった想いを発露したその瞬間、世界は暗転した。
「俺は、独りじゃなきゃいけないのかよぉ……」
震える声に嗚咽が混じる。少年は右も左も分からないその空間にうずくまった。何も分からない、分かりたくもない永遠のようで一瞬のような独りの時間。風も吹かないその場所で、ただただ孤独に対する嫌悪感だけが彼の感覚を侵そうとする。
「そうか、君はひとりなのか」
少年の隣でぼおっと明かりが灯る。それは「明るい」というよりは人魂のように「妖しい」光。
幽霊というよりは悪霊に近い存在。しかし悪霊と称するには少々恐ろしさが足りない、愛らしささえ感じる絵本の登場人物のような姿。紅い頭巾に鼠色の布、そして大きな鎌。力無き幼い日に見なくていい悲しみを見て来た心を優しく刺激する。
「なら、ぼくたちと行こう」
小さい頃に慰めてくれた絵本の登場人物たちを思い出させる姿と声で囁く。少年は闇の中から現れた闇による甘美な誘いに乗り、身をゆだねる事を決めた。
「俺の事、独りにしないか?」
「もちろんだ。さあ……」
そのお化けはぶかぶかの布に隠された手を差し伸べる。少年はその手を迷わず取ろうとした。
「なーに言ってるのよ。あなた、独りじゃないじゃない」
少年の視線のその先に、ぼおっと明かりが灯る。天から差した日差しのようで、後光のようで、直視出来ない光。
見覚えのあるオレンジ色の塊が少年の膝に飛び込んだ。
「俺は独りだよ」
少年は虚ろな瞳で呟く。その目はオレンジ色の塊――ヴェロニカ――を見ていない。
「そう、君はひとり。だから……」
「ちょっとジャマしないで!」
ヴェロニカはお化けを翼ではたいた。
「え、あの」
「聖次、よく聞きなさい。貴方は独りじゃないわ」
僅かな段取りで蚊帳の外にされたお化けはヴェロニカの様子をただ見ているしかない。
「父さんも母さんもいなくなった。どうしていなくなったのかも知らされてないんだ。もう顔も声も思い出せなくなってきた。おばさんもいなくなった。いるけどそこにいないんだ。おばさんの中からも俺はいなくなっちゃったんだ。心菜だっていなくなった。怖くて俺からは会いに行けないんだ。みんな、みんなみんなみんなみんなみんなみんな俺の前からいなくなる!」
「今の貴方には仲間がいるわ。みんな貴方を助けに来てるのよ。独りだなんて冗談でも言わせないわ」
聖次の叫びを優しく受け止める。ただし、確実に力強く否定する。
「いつもすぐそばにいてくれる訳じゃないだろ。どうせこの戦いが終わったら切れる縁だ」
「この子、こんなにマイナス思考だったかしら? ……確かにそうかもしれないわね。だからこそ私がいる」
ヴェロニカはいつの間にか手の中にあったデジヴァイスを、聖次にしっかりと握らせた。聖次ははっとして顔を上げる。その瞳には光が戻っていた。
「そうだ、お前がいる!」
聖次は瞬く間に笑顔になった。そしてヴェロニカの小さな手を掴んだ。
「お前! 俺と一緒にいてくれるんだよな! な!?」
「そうよ。私はずっと貴方の側にいるわ」
短い四肢は長く美しい手足に、小さな羽は黄金色の四枚の翼に。ヴェロニカの姿は天使のそれへと徐々に移り変わっていく。
「じゃあさ、じゃあさ……俺を一人にするこの世界を壊すの手伝ってくれよ!」
聖次が手に込めた力が一層強くなる。
「だって、この世界があったら、俺また独りになっちゃう。俺がいると、俺が独りになるから、だから、一緒に壊してくれよ! な! な!?」
小さな我が子が駄々をこねる様子を見た母親のように、ヴェロニカは溜息をついた。
「まったく、何言ってんのあんたは」
すると、ここぞとばかりにお化けが聖次に近付いた。
「その通りだよ聖次くん。悪いのは君をいじめるこの世界だ。大丈夫。ぼくたちがついている」
「ほら! みんな言ってくれてる! 一緒に壊そう! 俺、たくさん力やるから、母ちゃん面して小言いっぱい言われても嫌いにならないから、お願いだから、俺と、ずっと、一緒に……」
聖次は涙を堪えられなかった。「みんながいる世界を壊してみんなと一緒にいたい」というねじれた理想は誰にも頼ることなく世界を壊した。自暴自棄と自制心は彼を守ることなく押しつぶした。讌聖次は彼自身の決断に心を殺された。
聖次はヴェロニカの腹に顔を埋め、肩を震わせ始める。
「……そうね。この世界は貴方には辛すぎたわ」
ヴェロニカは聖次の頭に手を乗せた。
幼少期にストレスを受けすぎたためか十分に伸びなかった身長。低すぎる位置にある頭。地毛だという銀の髪を柔らかく優しく撫でる。
「壊してよ……壊してよ……」
「そうね。壊してしまいましょうね」
ヴェロニカの翼が枝分かれを始めた。身長も髪も伸び始め、仮面が顔を覆う面積も広くなる。
「これがデジヴァイスによる進化……。……!? 何故だ!? 何故!!」
それはデジモンを正しく導く力。
それは人の心の闇さえ打ち払う力。
「……何故! 暗黒進化しない!?」
それはまっすぐ前へ進むための力。
それは邪悪な誘惑を断ち切る力。
ソレハデジモントイフ生キ物ノ有リ様ヲ歪メル脅威。
それは二人の前途を明るく照らす力。
息子を守る母の愛。
「貴方を苦しめて笑っている奴らなんて、皆壊してやる!」
黄金色の光が弾けた。八枚の翼も身を覆う布も、全てが白金の煌めきを放つ純白に。その煌めきは清らかな桃色の羽衣によって神威を増す。
天使でありながら女神と称されるそのデジモンは「お化け」を騙る不届きものに向かって矢をつがえる。
「ホーリーアロー!」
刹那、一閃。彼女の光が煌めいた。
鏃は寸分違わず悪霊のデジコアを貫き、闇は余波を受けて飛び散った。
気絶していたヴェロニカに変化が起きた。彼女とデジヴァイスが輝き、独りでにダルクモンへと進化したのだ。
「どうやら夢の中でも進化させるほどのエネルギーは生まれるようだ。さあ、暗黒進化の始まりだ」
成熟期への進化が完了すると、次の変化はあっという間に訪れた。
「おお……よくやったぞファントモン。私達の計画は……」
人間の精神データにデータに直接介入し、協力者のファントモンを潜り込ませて負の感情を刺激させる。パートナーを暗黒進化させるように誘導し、デジモンの精神データとも接続させて感情エネルギーの伝達効率を高める。これほどまでに深い傷を負った子供であれば、簡単に暗黒進化させてくれる筈だ。
例え失敗した場合でも、人間や天使型デジモンを用いた実験は軍も行っていない筈。データとしては貴重なものだ。きっと有用性が認められる。
しかし、物事はスカルサタモンの願望とは大きく異なる方向へと転がり始めていた。
「……何? どういう事だ?」
ヴェロニカが起き上がり、光の矢を射た。透明化して潜んでいたファントモンが貫かれ、霧散した。何が起きたのか分からなかった。
「何で……何で……?」
「よくもやってくれたわね!」
驚き、狼狽え、脅えるスカルサタモンにもヴェロニカは矢の先を向ける。
「凄い、エンジェウーモンだ……」
眠ってしまったマチを支えながら、陽が呟く。
八枚の翼を持つ大天使型デジモン、それが今のヴェロニカ。
「え、なんで、え、ファントモン、え」
「天使型デジモンを堕天させて貴方の名に箔を付けたかったんでしょうけど、残念。甘かったわね。セラフィモン様が私と聖次をお選びになった理由を教えてあげる」
ヴェロニカは聖次の背をゆっくりと起こす。聖次の目がゆっくりと開いていく。
「聖次の特殊能力は『パートナーを暗黒進化させない』というもの。一度ダルクモンとして聖なるデジモンに進化した私は、例え聖次の心が砕けようと闇の力を手にする事はないわ。そうでしょ?」
「おうよ。お陰様でナイスバディーを拝めいででででで!」
目覚めたばかりの聖次の頬をヴェロニカがつねった。今ので聖次は完全に目覚めたようだ。
驚いたのはスカルサタモンだけではない。仲間達もまた聖次の力に驚き、同時にヴェロニカの行動に合点がいった。
「欲をかこうとするからこうなるのよ。さあ、貴方も……」
「ま、あ、に、逃げ……」
スカルサタモンはリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押そうとする。
「アイヤー!」
その刹那、甲高い掛け声と共に何かがミサイルの如き勢いで飛来した。それはスカルサタモンの手首を折り、リモコンを吹き飛ばした。
「今だヴェロさーん!」
高台の遥か下方に茶駆使したそれの正体は、レキスモンに進化した跳兎だ。彼女は愛一好の折り畳み自転車の上に乗り、自転車が走るスピードと彼女自身の跳躍力を以てして文字通り弾丸となったのだ。
「ありがとう!」
ヴェロニカは弓を引き絞る。矢は確実にスカルサタモンを射抜くだろう。
「くっ、小学生相手なら上手くいく筈だったのに!」
「俺、あと数か月で高校生ですけど!?」
スカルサタモンが無様に狼狽する姿を見ても、ヴェロニカが弦を緩める事はない。今の彼女の中には「容赦」の二文字など存在しないのだ。
「ま、待て! いいのか!? 私はまだ魔王軍じゃない! お、お前達の敵じゃない! それなのに、ころっ、殺しっ、殺していいのか!? わたっ、殺していいのかっ!?」
「言ったじゃない。『私が正気を保っていたのなら、貴方を絶対に生かして帰さない』って。私は聖次を傷付けた貴方を許さない。それだけで十分な理由になるわ!」
矢は放たれた。光は静かにデジコアを射抜き、スカルサタモンは塵も残さずこの世界から消え去った。
「……貴方の命を奪うに足る理由にね」
ヴェロニカの弓が消滅していく。彼女は一度溜息をつくと、聖次を椅子から抱き上げた。
「さあ、『みんな』の所に帰りましょう」
八枚の翼で優しくはばたくと、二人の体がふわりと浮き上がった。見守ってくれていた仲間達の下へゆっくりと降りていく。
「わり、心配かけちまった……で、なんでお二人さんは喧嘩の体勢を取ってんの?」
聖次が無事に帰ってきたことを喜んでいるはずが、タツキと村正の二人は何故か取っ組み合っていた。
「おう、聞いてくれよチビ。タツキの奴、飛んでる真っ最中の俺を進化解いて落としやがったんだ」
「だからわざとじゃないんだって! 何度も謝ってんじゃん!」
「ちょ、聞いて!? 今回の話誰一人として私の話聴いてくれないんですけど!? つーか私の自転車パート本当はもっと長かったのに削られて」
「メイちゃんの出番削られたせいでボクの出番も自動的に減ったってこれおかしくない!?」
「すごーいエンジェウーモンだ! きれーい!」
「あの、みんな、落ち着いて」
「マチは〜、午後八時を過ぎると〜、もう〜、眠……ぐぅ……」
口々に喋り出す面々を見て聖次は大爆笑、ヴェロニカは大激怒する。
「二人とも喧嘩はやめなさい! そっちの二人は何を言ってるのか分からないけど時と場所を考えて発言してから『話を聴いてもらえない』と言いなさい! クラリネ、褒めてくれてありがとう。陽くんも仲裁してくれてありがとう。ちょっとこんな所で寝ちゃだめよ! そして聖次は笑いすぎ」
ヴェロニカに叱責され、一先ずは皆が落ち着いた。
「どうやら無事に救出出来たようだな」
静かになったそばから、それぞれのデジヴァイスに通信が入った。
「セラフィモン、話が早過ぎるもうちょい空気読んで」
愛一好の(別に聴かなくてもいい)話を聴かない人物の筆頭であるセラフィモンは、この無礼な言葉もやはり気にしない。
「ご苦労だった。君達を早急に家まで送り届けよう」
「ところでこの建物、元に戻る気配が無いんですけどどうなるんですか?」
「電脳世界を通じた現実世界へのハッキングの専門家に既に依頼してある。じきに元の姿を取り戻すだろう」
タツキの疑問は安心という形で解消された。
「ヴェロニカさん」
「なあに? 陽くん」
ヴェロニカは退化しても成熟期のままだった。対して陽は未だに成長期の姿を保っている。
「……一人で完全体の所に行って、怖くなかったんですか?」
結果的に完全体への進化を果たしたとは言え、あの時のヴェロニカは成長期の姿。万が一スカルサタモンが――
「怖くなかった……というより、聖次を助けたいって気持ちが恐怖に勝ってたわ。だから行けたの」
「もし、二人とも攻撃されたら?」
「私はそれでも負けない。……そう信じて聖次の隣にいようとした」
彼女は母親が子供を見て浮かべるような、決して神聖ではないが決して侵される事はないであろう笑みを浮かべる。
「私はどんな誰よりも聖次の事を信じていたわ」[ 29/66 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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