吐かない桜 5



黒木田の濃い眉尻がひくりと脈打つ。
――真実。真実? 真実だと? もっとも滑稽でもっとも愛おしい冬木の、真実だと?
「ひどい眼つきだ」
苦笑気味に零した乃木坂を剣の帯びた視線で突き刺す。
全身からありとあらゆる感情を噴出させる黒木田に対し、乃木坂は臆することなく見つめ返した。
「お前、変らないんだな……羨ましいよ」
年月を経て渋みを増した乃木坂の目尻が懐かしむように窄まった。
前置きは良いからさっさと吐けという意味を込め、高架下に広がる湿った土をエナメル質の爪先で蹴り飛ばす。砂利は乃木坂の腰辺りにまで飛び散ったが、その足は銅像のように不動でピクリともしなかった。
苛々する。ああ、苛々する。この胸糞悪いむしゃくしゃを徹底的に叩き潰したい。
「お前がそんなだから冬木も瀬戸際で堪え切れなくなったんだろうな……」
回りくどいッと黒木田は大声をあげた。
「冬木にもそんな風に怒鳴りつけたのか、黒木田」
「はァ? お前、ここに来て説教かよ」
「お前と初めて会った時、冬木はどんな顔をしていた」
まるでこちらの話を聞いていない乃木坂にふつふつと怒りが湧く。
このインテリ野郎は冬木の真実とやらを言いに来たのではないのか。俺の知らない冬木をしたり顔で教えるのではなかったのか。どうしてこんな当たり前のことをいちいち言わなければならないのだ。
「“笑ってたに決まってんだろ!”」
苛立ちあらわな黒木田の叫びが高架下に反響した。
遠くの方で他人事のように鳴らされる車のクラクション。
乃木坂は一拍置いて、そうか……と感慨深げに頷いた。
「よかった、冬木は幸せだったんだ」
「…………なに?」
「あの時のあいつは、お前に殴られることで自分を保っていたから」
どういうことだと小刻みに揺れる瞳で訴えると乃木坂は罠にかかって手足をひくつかせる鼠でも見たような目で見返した。
「一般常識で考えてみろ。いじめのターゲットになっていたとは言え、冬木はそれなりに気は強い方だっただろ。なのに何故、殴られても文句一つ言わなかった」
「それは」
「お前が好きだったから? まあ、そうかもな。それもあるだろう。お前と離れない為に殴られるというのも理由のひとつだろうな」
だが、と乃木坂の瞳に淡い暗闇が揺らめく。
「それだけなら普通ぎりぎりのラインで告白なりなんなりして暴力から逃れるのが筋だろう。あいつに被虐趣味はなかったからな。あいつはそれをしなかった。何故だと思う」
「別に理由があるって言うのかよ」
黒木田の脳は煮えくり返っていた。
自身の愛が、冬木の好意が、すげなく否定されるのはこの上なく耐え難いことだった。
それも、この男に。
学園の廊下で盗み見た光景は未だ色濃く覚えている。
「お前も冬木の実家である道場は知っているだろう。歴史ある古武道もその時代の流行に乗り切れなきゃ、ただ金が掛かるだけのマイナーなお遊戯だ。元々借金はあったが、冬木を学園に入学させた辺りから更に経営不振の翳りが出ていたらしい」
あの夜。鬼気迫る勢いで土下座した冬木の丸まった背中を思い出す。
「道場主である冬木の父親はいわゆる頑固親父ってやつでな、何が何でも道場を存続させる方針を貫いた。それも誰の手も借りずにな。おかげで赤字が赤字を呼び、膨れ上がった金額、およそ5000万。母親はこの数字を見る前に家を飛び出したそうだ」
5000万。あのクズ男の12倍以上の債務額に瞠目する。
「古武術の道場なんて銀行は見向きもしない。とくればサラ金だ。サラ金の融資限度額は良いとこ1000万……」
「いや、800万でもラッキーだぜ。複数企業のハシゴだって限界がある。借りた直後30分もしない内に各企業のネットワークに乗ってバレるからな。いわゆるブラックリスト入りってやつだ」
「そうだ。まず、審査で通らない」
そこで出てきたのがお前の業界だ、と乃木坂の眼が黒木田を射抜いた。
「親父さんは悪魔の門をくぐったって訳か」
「そこからどうなったか、お前なら解るだろう」
全部が全部そうな訳じゃないが闇金の取り立てはとにかく債務者の一番痛い急所を突いてくる。
「しかも一本だけじゃなく複数噛んでいた。自転車操業だ。冬木の姉の勤め先には連日、人相の悪い男が乗り込んできたらしい」
黒木田の眉間には自然と縦皺が刻み込まれていた。
乗り込んで喚き立てるだけなら、まだマシだ。耳や眼を覆いたくなるような電話、メール、落書き、ビラ配り……それは親戚、友人、勤務先、果てには知り合いまで手が及ぶ。
当然のように債務者の信頼や信用は削ぎ落とされ、捕食者から取り囲まれるようにじわじわ孤立していく恐怖を味わう……どれだけ地味なことでも債務者の精神を追い込み、搾り取るためなら全ての手を尽くすのが闇金の搾取のありかただ。
「流石に学園の頑丈な壁の中にいた冬木本人までには辿り着かなかったがな。実は学園の校門前まで奴らが来ていたこともあったんだ」
「…………」
「そう睨むな。あの時、対応した風紀と警備しか知らされていない事実だよ。あれは俺も冬木も二年生になった頃……ちょうど、桜の綺麗な時期だったかな」
冬木とはその騒動で出会い、友人になったのだと乃木坂は零した。
「学園にいるとはいえ冬木も相当プレッシャーを感じていたようだ。さっさと退学して家計を手伝いたかったらしいが父親と姉が全力で止めたらしい」
父親が血だるまになっても、姉が労苦に痩せ細っても、冬木は帰ることを許されなかった。
切り取りに来た輩の一人が帰宅した冬木に行われる予定の拷問を怯える家族の前でつらつらと並べ立てていたのだという。
「家族の犠牲による身の安全。その罪悪感は計り知れないものだっただろう」
――そして、あの転校生がやって来た。

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