××しないと出られない部屋

攻め側が手作りのアクセサリーをその場で作って相手に贈らないと出られない部屋









「お疲れ様です」
「お疲れ〜」

 制服のネクタイを緩めながら部室の扉を開けると、噎せるような暑さが顔を襲う。今日もこの暑い中部活をするのかという憂鬱と、早くボールを触りたいバレーをしたいという弾む心が絡み合う。なんだかんだ言って、赤葦だって十分バレー馬鹿だ。今日もやるぞ、と息巻いてロッカーへと向かった。はずだった。

「……なんでですか」
「うーん」

 猿杙が苦く笑って首を横に振ったところを見ると現状はあまりよくないらしい。なんでだ。なにがあった。まだ部活も始まっていないというのに、なんですでに、

「しょぼくれてんすか……」

 効果音にすれば、ずーんという音が響く気がする。部室の角で体育座りをしている我らがエースは、きっちりとセットされた髪を垂れさせて、膝に顔を埋めている。木兎が部活が始まる前にすでにしょぼくれているということは、考えられるとしたら学校生活でなにかがあったか。
 ただ、木兎は些細なことや、「え? そこで?」って思ったところでいきなり落胆する性質あり。1時間目から6時間目まで全部体育で良いとか言い出す男なので、その日に体育がなかった、焼きそばパンが売り切れていた、クラスの女子に脛を蹴られたなどという些細なことでも木兎はしょぼくれる。そのため、考えられるとしたらやはり授業中だ。この人はスポーツ推薦で引く手数多だろうけれど、一応受験生。3年は1、2年よりも圧倒的にテストといった類が多いと聞く。

「小テストかなにかありました?」
「違うみたいだよ?」

 0.5秒で可能性を考え、そして猿杙に訊けば再度首を振られてしまった。どうやら赤葦の見解は外れたらしく、木兎のこの状態の原因は小テストで酷い点数を取ったからというわけでもないらしい。じゃあなんで。やはり焼きそばパンか? またクラスの化粧中のギャルに「目に毛虫ついてるぞ!」とでも言って蹴られたか?

「木兎さんどうしました?」

 正直関わりたくない。しかし、部活が始まる前からテンションを地の底どころか地下深くまで落としている木兎を宥めなければいけない。続々と部員たちが集まってきているが、木兎を視界に入れるだけで我関せずである。皆、救いの手を差し伸べるのは赤葦の役目だと思っているらしい。
 赤葦は木兎の前で膝を折ると、耳を傾けた。「着替えるの早っ」と猿杙が後ろで言っているけれど、今はそれに反応している暇はない。

「木兎さん?」
「あかーし……」

 あまりにも気が抜けすぎている。伸びた声にいつもの覇気はない。「はい」溜息を押し殺して返事をすると、膝に添わせていた木兎の手が動いた。

「……聞いてくれる……?」
「はい」

 なんで涙目なんだ。もはや意味が分からない。よっぽど辛いことがあったのか? でも木兎さんは些細なことでもしょぼくれるので深く考えてはいけない。幼稚園児の先生になった気持ちで言葉を待つしかない。

「実はだな?」
「はい」
「えーっとな?」
「……はい」
「実はぁ……」
「木兎さん」

 なにを勿体ぶる。人差し指同士をつんつんとさせて、金魚のように視界を揺らす木兎が何故か焦らしてくる。面倒くさい。ほんと、めんどくさい。
「木兎さん」もう一度嗜めるように語尾を少しだけ強めると、びくっと体を揺らした木兎はやっと口を開いてくれた。




「……それで悩んでいると」
「おう」

 赤葦は唖然とした。前に新聞部から取材を受けた時、悩み≠キらも漢字で書けなかった先輩が悩んでいる。いや、よく考えれば木兎はいつもなにかと考えている。レシーブやスパイクなどのバレー中のプレイは勿論、学校生活でもそれなりに思案したり悩んでいることはたしかだ。ただ、それが時折人と少しズレていることがあるだけで。
 今だって、聞けば立派な悩みだった。

「彼女さんの誕生日プレゼント、ですか……」
「ん」

 木兎には彼女がいる。別に初めてできた彼女という訳ではないけれど、木兎から告白をしたくらいには木兎はその彼女を大切に思っていた。一度、小見が木兎に「バレーと彼女どっちが大事?」と訊いたことがあるのだが、その日は全く使い物にならないくらい木兎は悩んだらしい。結果は、どっちも大事だから彼女にもバレーやってもらう、というこれまた不思議な結論に至って皆木兎らしいと笑っていた。
 その彼女と迎える初めての誕生日が1週間後に控えているのだという。
 木兎曰く、プレゼントに対して最初は全く考えていなかった。当日好きと伝えられればそれでいいと。しかし、それを聞いた白福と雀田から批判が来て、ならば何をあげれば良いんだという新たな悩みができたらしい。そして今に至ると。

「ダイヤモンドの指輪とか考えたんだけど、雪っぺに重いって言われた」
「まぁたしかに高校生の……しかも付き合ってからの初めての誕生日でダイヤモンドの指輪は避けたほうが良いですね……。貰った彼女さんもびっくりすると思いますし」
「でも指輪あげたいんだよなぁ……。あいつは俺のー! って言いたいじゃん」
「指輪が無くてもいつも叫んでるじゃないですか」

 よく練習を見に来た彼女を、見つけた瞬間に部員や他の見学者に向かって叫ぶ姿は何度も見ている。木兎の彼女はどちらかというと恥ずかしがり屋という類で、木兎が叫ぶ度に顔を真っ赤にしていてなかなかに微笑ましい。(勿論木兎は、監督に集中しろと怒られているが)
 
「雪っぺにばっさり言われる前から絶対に指輪って決めてたから、もう指輪しか思いつかなくなっちゃった」
「……そういうことなら指輪でも良いと思いますよ。ペアリングとかもありますし」

 ダイヤモンドの指輪は高価すぎる故に避けたとしても、世の中には比較的安価で学生でも買えるようなペアリングなども存在する。会話の中に出てきた彼女の誕生日までに部活の休みはないけれど、1日自主練をやめて原宿や新宿に行けば可愛らしい指輪が買えるはずだ。

「それマネちゃんズにも言われたんだけど……」
「まだなにかあるんですか……」

 赤葦が提案したところで、木兎の顔に生気は戻ってこなかった。それどころかさらにしょぼくれる始末。もしかしたら、一番の根源はここなのかもしれない。女子へのプレゼントなので、マネージャー2人の意見は聞き入れたいところ。

「どれにしようかな、ってカタログとかネットとか見まくったんだけど、どれも良く見えたしどれも微妙に見えて、わかんなくなっちゃった」
「あー……」

 負のスパイラルというか堂々めぐりというか。目移りしすぎてどれも微妙に見えてしまうというのは赤葦だって理解が出来る。たしかに木兎が言う通り、カタログやネットは沢山の情報に溢れていて、迷ってしまうのも頷けた。
 ならば、あげる人間の好みや嗜好に合わせるのが妥当だ。

「彼女さんが好きそうなのは?」
「これかなぁと思ってもなんかちげぇってなるし、他のページ見てやっぱりこっちかぁ? ってなってもやっぱり違うなぁってなるし……」
「あー……」

 これはダメだ。気持ちはわかるけれど。

「じゃあ彼女さんと一緒に買いに行くとか……」
「んー……たしかに……」
「明日にでも一緒に買いに行ったら良いと思います」
「んー……」
「まだなにかありますか?」

 解決したし部活をやりましょうと腰を上げようとしても、やはり木兎はどこか煮え切らない様子。好みの問題は誰しもぶつかることだが、それは一緒に買いに行くことで解決となる。もしかしたら指輪以外の選択肢も生まれるかもしれない。なのに、なんだ。まだあるのか。部活しないつもりか。

「特別感が欲しいんだよなあ。買いに行っても、その、き……きせ……なんだっけ? もうあるぞーって言うの」
「……既製品?」
「そー! きせー品! 既製品だとほかの奴らもそれを持ってる可能性があるってことじゃん?」
「まあ……売り物なので」
「特別感がないだろ? それを例えばほかの男もほかの女としていて、でもそれを知らないやつが俺の彼女のことそいつの彼女だって思うこともあるってことじゃん」
「それはないと思いますけど……」
「んや! ある! あると思う! だからあいつにあげるのは世界でひとつの指輪じゃなきゃダメなんだっ」
「めんどくさ……」
「赤葦なんか言った!?」

 世界で1つの指輪なんてそんなの――。







          **

「本当に入って良いの?」
「おう! しゅしょーけんり!」

 おずおずと辺りを見渡しながら、木兎の彼女――もとい名前は小さい体を更に縮めて、木兎に手を引かれるまま部室へと入った。今日は体育館点検のために体育館が使えず、しかも外はしとしとと雨が降っているため外周もできないということで、部活は休みだと木兎から聴いていたが、まさか忘れ物を取りに行くから一緒にと、木兎に部室に招待されるとは思ってもいなかった。
 運動部の部室に入るのは初めてなので、見慣れない光景にきょろきょろとしながらも、置かれた椅子に促されるまま座る。勝手なイメージだけれど、男子運動部の部室にはよくグラビアアイドルのポスターが貼っていたりペットボトルなどが転がっているものを想像していたからきちんと整頓された部室は少し意外だったりする。名前が感服する裏に、赤葦の「汚いと嫌われますよ」という言葉がきっかけで男子バレー部レギュラーによる大掃除が行われていたことを名前は知らない。

「光太郎くん、忘れ物はあった?」
「あった!」

 木兎の専用ロッカーだろうか、『木兎』と書かれたラベルを貼っているロッカーをがさごそとさせて、そして中から百均と見たことのある雑貨店のビニール袋を取り出した。しかし、何故か木兎はその袋を名前が座る机へと置く。「光太郎くん?」

「忘れ物っつーのは嘘で」
「ん?」
「実は名前に誕生日プレゼントをあげたくて」
「っ、」

 嘘ついてごめんな? と小さく謝ると、木兎はそのビニール袋を下に向けた。出てきたのはカラフルなビーズや真珠、そして巻かれたワイヤー。そうだ、どこかで見た雑貨屋は有名な手芸屋さんのものだ。

「名前がどんなものが好きかすげぇ考えたけど、やっぱりわかんなくて本人に訊こうって思って、」
「っ、うん……」
「でもそれだとほかの奴と被るかもしれないって思って……」
「……ん? う、うん……」
「だから作ることにした!」
「光太郎くん……」

 名前の心の中がほんわりと温まり、鼻がツンと痛んで喉が震えてしまう。被ってしまうという意味を最初は理解できなかったけれど、次に言ったハンドメイドという言葉でわかったような気がした。まさか貰えると思っていなかったプレゼントに、双眸に涙が溜まり瞬きの瞬間に一粒落ちる。すると、木兎があわあわと顔を顰めて泡を食ってしまった。

「嫌だった!?」
「ううん、違うの。すごく嬉しくて……」
「そっか!」

 名前がやっと笑顔を見せてくれたところで、木兎は作業へと入る。今日が来るまでに、何度も新宿へ行って女子たちに囲まれる中共に道具や材料を買ってくれた木葉にも、説明書やネットを見ながら何度も作り方を教えてくれた赤葦にも、大掃除に付き合ってくれた部員たちにも全員に感謝してもしきれない。幸せというものを改めて感じるのだ。







          **

「まずは、このワイヤーを定規で測って切って、マニキュアの蓋に巻き付けるだろ?」
「うんうん」

 今回作るものは、ワイヤーリングと呼ばれるもので、ワイヤーをハートの形にしたり英語にしたりとハンドメイドを楽しむ人たちの間でも人気の代物である。用意するものも、ニッパーや定規、マニキュアやリップなどの筒状のもの、ヤットコ、やすりと言った比較的用意がしやすい道具ばかり。ちなみにリップとマニキュアはマネージャーたちが貸してくれた。
 名前に見守られる中、木兎はワイヤーを決められた長さに切りヤットコを駆使して曲げていく。しかし、

「あっ!」
「潰れちゃった……」
「また失敗した……」

 練習でも何度も失敗した場所だ。形を作るためにある一定の形に曲げるとき、力を籠めすぎてぺしゃんと潰れてしまわないように気を付けなければいけなかった。こうなってしまうとまた初めから。勿論失敗することを想定していたので、ワイヤーは幾分長めのものを買っている。赤葦サンキューです。

 もう一度最初から。定規で長さを測って、そして切る。だけど、事件は何度だって起きる。

「あっ! 今度は短く切っちまった……」
「あらら……」

 これでは指輪を作るところか形すらも作られない。

「もう一回!」
「光太郎くん頑張れ!」

 手を貸してあげたいもどかしさがふつふつと湧き上がるが、これは名前自身へのプレゼントであり木兎が頑張っているので見守ることしかできない。
 
 次はなんとか切る作業を成功させ、ワイヤーを曲げていく。名前が先端で怪我をしないように先端にやすりをかけることも忘れない。何度も赤葦と共に練習した過程を思い出してヤットコでワイヤーをつまみ丸めていく。最後、メガネ留めと同じように巻きつければ第一関門突破。

「わぁ! ハートだ!」
「おう!」

 ハートのワイヤーリングの完成。明るい声を上げる名前に太陽の笑顔を向けて、仕上げにマニキュアの蓋に巻き付ければ、指を通す部分が出来上がる。「光太郎くんすごい!」名前の明るい声が部室内に充満した。なんだか擽ったくて鼻先をかく。そして、表情は真剣なものとなる。

「名前」
「は、はい」
「右手の薬指出して」
「っ!」

 おずおずと右手を差し出した名前の柔らかくて温かい掌を握ると、作った指輪を通した。名前の顔が真っ赤に染まるのがなんとも可愛らしい。またもや名前の瞳に涙が溜まるけれど、これが悲しいや嫌だという感情から生まれたものではないことはよくわかっていた。だからこそ、嬉しくて仕方がない。

「本物は将来ちゃんと渡すから。だから今はこれを持っていてください」
「はい!!」

 



          **

「いっぱいだぁ……」
「だな!」

 切れたワイヤーなどを片付けている木兎の横で、名前は指に嵌められている沢山の指輪を眺めている。材料が余ったため、今度はビーズを入れてみたりイニシャルを作ってみたりと作業が続いた。その度に何らかの失敗はあったけれど、その失敗作すらも愛おしかった。

「片付け終わった!」
「手伝えなくてごめんね……?」
「なんで名前が謝んだよ! 今日は名前が主役だから座ってていーの!」

 素敵なプレゼントを貰えただけでも嬉しいのに、更にこんなにも尽くしてもらっていいのだろうか。ぽかぽかと温かい胸の内で考えるけれど、木兎の言葉には裏表がないので甘えることにした。

「じゃ、帰っぞ」
「うん!」

 そして2人は指輪を嵌めている手を握り合う。相変わらず雨が降っているけれど、相合傘をして帰ればいい。木兎が部室の扉を開けたので、名前もそれに続いた。パタン、と部室のドアが閉まる。







【木兎光太郎:攻め側が手作りのアクセサリーをその場で作って相手に贈らないと出られない部屋】