××しないと出られない部屋

お互いに手の甲にキスをしないと出られない部屋







注意
・似非関西弁注意




 今日部活あらへんさかい一緒に帰ろ。たしかにそう、メッセージを送ったはずでその3分後に可愛らしいスタンプと共に『はい!』と元気のいい返事を貰ったはずだ。侑のクラスは帰りのHRが始まる前に少々担任が遅れてきたので他のクラスよりもHRが終わったのは遅かった。教室の外の廊下から聴こえた賑やかな声は、少しずつ大きくなっていって担任の声とちょっとした物音しかない閑静な空間が聊か異質に感じるほどである。
 だからこそ、まばらな挨拶が飛び交う中廊下へと飛び出した時にはほかのクラスは掃除を始めていたしてっきり彼女――名前も終わっているかと思っていた。
 なにより、名前から10分前に『私の方は終わりました! 侑先輩も頑張って!』とこれまた可愛らしいメッセージを受け取っている。HRで頑張ることなんて先生の話を聴くことくらいしかないし、さすがにHRまで怒られることはないだろうし。飯のことばかり考えてるサムは怒られるかもわからへんけど。

「なんでおらへんのや……」

 既読もつかないし。
 いつも待ち合わせ場所にしている1年の渡り廊下で10分待っても彼女は来なかった。ひとつ下の名前はいわゆる小動物という性格で、一言で言えば臆病。出会ったきっかけは同じ委員会で侑と深い関係になるまでは、侑も相当警戒されていた。今後の交流も兼ねてと委員長が提案した『他クラス、他学年の生徒とペアを組んでとある仕事に取り組む』という計らいで、同じペアになったというもの。良好な交流も兼ねてどころか、更に深い関係である恋人というものにまで発展するだなんて、委員長は思ってもいなかっただろうけれど。
 前に移動教室以外ではなるべく上級生の階に行きたくないと、制服の裾を掴みながら懇願されたことがある。双眸に溜まった涙の膜に、首を思いっきり振ってしまったのは言わずもがな。彼女の意見を尊重しつつ、他の奴への牽制にもなるし。というのは、侑の見解であった。

 だからこそ、名前が2年――もとい3階の渡り廊下に行ってしまいすれ違っているとは思えない。たとえ侑が彼女よりも遅れてしまったとしても。
 掃除も終わっているだろうしもしかしたら教室でクラスメイトとお喋りを楽しんでいるのかもしれない。先程吹奏楽部が楽器と譜面台を持ちながら列になって移動していたし、八方から音楽が聞こえるので可能性はかなり少ないのだろうけれど。確かめるだけでも損はないはずだ。
 マンモス学校とはいえ、校内で有名かつファンの多い宮侑ともなれば、その彼女が誰でどこのクラスでという噂は絶えず、侑も名前も特に関係を隠しているわけではないので、1年の廊下を歩くことは別に億劫でもなんでもない。そもそも、侑にそんな感情なんて初めからあるわけがなかった。

「おらへん……」

 案の定、中ではトランペットを持った女子生徒たちがパート練習をしている。曲名は分からないけれどよく試合とかで流れるような曲。その音色を聴いてバレーがしたくなるのはどうしたって避けられない産物ではあるものの、今は行方不明の彼女を探してデートするために学校を出ることが最優先。生憎名前は吹奏楽部には所属していないし、たとえ吹奏楽部内に友達がいても、エールは送っても居座り話しかけるような性格でもない。

 もしかしたら、保健室でも行ってるのかも。心配しつつ場所を訊いたメッセージは既読にならず、ならば体調不良かと懸念するがさすがにトイレを覗く気にはなれない。携帯を見ることすらもできない程の体調不良ともなれば、トイレよりも保健室が妥当か。部活の生徒のために、放課後でもある程度の時間まで空いている保健室へと踵を返した。

 保健室は1階の体育館前から僅かに離れたところにある。なんとなく急ぎ足で、長いコンパスを存分に利用して訪れた保健室は、侑の思考通り電気がついており鍵が開いていた。一応軽くノックをして、空けたドアから顔を覗き込む。

「宮くんやないの。どないしたん? 怪我?」
「今日はちゃいます。1年の名字名前来てます?」
「ん? 来てへんけど」

 初老の保健医とは部活の関係上すっかりと顔なじみだ。一応部活でも氷嚢や湿布や消毒液と云った備品はストックしてあるし、製氷機室も部活の生徒が使用して良いきまりになっているのだが、足りない時にお世話になるのが此処だった。保健医は侑の問いかけに一度名簿を確認するが、名前の名前はなく首を振る。嘘を吐く必要は彼女にはないだろうし、名前を匿っているようにも思えず。そもそも、そんなことをされる理由も心当たりもない。

 困った。一礼をして保健室から出て頭を抱える。さすがに置いて帰るわけにもいかないし、保健室に行く前にちらりと覗いた1年の下駄箱にて、名前の位置にまだローファーが置いてあったことから帰ってしまったことはないだろう。
 まるで、ここはダンジョンの中。或いは、出られない部屋のような緊張感。名前を見つけなくては。

 それから侑はありとあらゆる場所を探した。念のため体育館や視聴覚室、購買、そしてもう一度名前のクラスと侑のクラス、それぞれの階の渡り廊下。しかし、メッセージは既読になることも無く、どうしても見つけられない。残るは屋上。まさか、と思いつつも足は動く。


 


          **


 階段を上った最上階。立ち入りは特に禁止されておらず、鍵は中から開閉できる仕組みなので問題はない。そもそも、生徒が屋上の鍵を開閉することは禁じられており、施錠される時間まで誰も弄ることはないので、屋上への扉の鍵は開いている。
 ふわりと鼻孔を擽る夏の夕焼けの香りを浴びながら、辺りを見渡せば緊迫した声が耳を打ち侑は瞠目させた。

「嫌です! 離してください!」
「振ったんやから少しくらいええやろ」
「離して!!」

 左手で嫌がる名前の腕を掴み腰に右手を回す低劣な男の名前は知らない。そんなこと、今はどうでもいい。

 近づいてきた男の顔、声を上げる名前がぎゅうっと目を瞑った時、体を押さえていた力が無くなった。代わりに、コンクリートを滑る布の音と男の呻き声が浸潤する。咄嗟に目を開けば、先程まで知らない男がいた位置に、大好きな背中が立っており力が抜けた。「侑、せんぱ……い……」

「消えろや」

 痛みから体を丸めた男が何を叫んだかは分からない。名前には届かない。ただただ、男に向けて冷酷な声を投げた侑の背中に酷く安心して、その背中に抱き着くことしかできなかった。男はまたなにかを喚くと、足を引きずりながら屋上から慌ただしく出て行く。階段を駆け下りる無様な足音だけが残る。




「遅なって堪忍な?」
「あつむせんぱいぃ……」
「ほんまにごめん……」

 振り向いた侑がぎゅうっと名前を抱きしめ、あいつに触られていた腰を真綿を扱うように撫でる。先程まで背中へ抱き着いていた体は、今は侑の胸板に預けられ制服を濡らした。ひくっとしゃっくりをしながら、名前も侑にぎゅうぎゅうと抱き着く。

「侑先輩やないとっ、嫌やのに。せやけど逃げれなくて……」

 いつもの位置で侑を待っていたらとある男子高校生が声をかけてきたらしい。かなりの警戒心を持ちつつも、赤面する男の気持ちを無下にすることもできず。結局屋上まで着いてきた。そして告白を受けた。勿論断った。侑が好きだと。それが男を刺激し、名前の腕を掴み迫ってきてそこからは攻防戦だったという。
 大粒の涙を流しながら、名前が話してくれたことに、侑は頭に血が上る思いだったが、今は彼女を慰めることが最優先である。
 嗚咽を漏らしながら涙を流している名前の双眸を指で掬い、頬を撫で、手の甲で唇を拭った。名前は双眸を閉じると大事なものに触れるように、愛をくれる侑の手を握り鼻先と口許で手の甲の体温を感じた。先程までの恐怖感はゆっくりと薄れていく。「名前」心地の良い侑の声が耳元で響く。

「ちゃんと守る。もう怖い思いはさせへん」
 せやから、これからも隣で笑とって。

 侑は名前の手を改めて握りなおし、口許へと持っていくと誓うように名前の手の甲に唇を落とした。まるでプロポーズだ。やっと、名前の顔が花開き大きく頷いた。

「侑さん。帰ろ?」
「おう。ほなデートするで」

 2人は手を繋いで校門を潜る。吹奏楽の音楽が祝杯に聞こえた。



【宮侑:お互いに相手の手の甲にキスをしないと出られない部屋】
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