短編集




※ホラー注意








――ねぇ、隙間の小人って知ってる?

 はた、と呼吸が止まった。

 風情を重んじて作られた旅館の一室、見事な紅葉を隠すように遮断されたカーテンと、消された電気のせいで、灯る光は蝋燭一本というなんとも心許ない空間の中、彼女はひとり息を吐きながら言葉を続けた。先程まで蝋燭は六本立っていたのだが、時が進むにつれて一本、また一本と消されていったばかりだ。

「先輩から聞いた話なんだけどね?」

 まるで、宝物の在り処を仲間内だけで共有するように息を潜めながら話す話し手の彼女に、普段放送委員として学校中に声を届けている明朗快活な声はない。雰囲気重視だと謂わんばかりに潜めた声は、彼女の思惑通り小さな百物語に相応しいトーンだった。
 周りには、ぎゅうっと耳を塞いで身を縮こませた女子生徒がぶるぶると背中を丸めていたり、先程怖くないと豪語した男子生徒は腕を組みながら続きを待っている。
三者三葉の反応が浮かぶ中、黒尾鉄朗は震える体をなんとか抑えながら、同じように震えている自身の彼女である名字名前の手を握り、口許をきつく結んでいた。修学旅行ということでどこか浮足立つ気持ちに勝つことが出来ず、そして妙なプライドが口を動かしてしまったためにこんな悪趣味な場に身を置いている。なにより、名前を置いてはいけない。

 修学旅行ということで、思ったよりも疲れていたのか、与えられたホテルの自由時間中に僅かに眠ってしまったことも申し訳なかった。同じ班の友人は「気にしてない」と笑い飛ばしてくれたが、結果として、なら一緒に怪談聞きに行こうぜという提案に乗ってしまったのである。しかも、名前の親友であるとある女子の好きな男も、その怪談部屋に集まるらしく、その親友が顔を引き攣らせる名前に一緒に行って欲しいと頼み込んだらしい。断れなかった名前が親友と共に怪談部屋に行くと聞けば、黒尾も行くしかなかった。

 震えるほど怖いということを口に出すのは無様なので、悟られないようになんてことないフリをしているが、こんなことならば起きなければ良かった、或いは名前を連れて別の部屋へ行けばよかったと、今更後悔しても遅い。後悔先立たずとは言い得て妙だ。

「隙間の小人は雨が降った日の夜に現れるの。時にはクローゼットの隙間から、時にはタンスの隙間から、時には扉の隙間から。小人が出てくる時は決まって、カン、カン、カン、と小さな足音が聴こえる」

 語り手の彼女は、右手で握りこぶしを作り、コン、コン、と蝋燭が置かれた木目のテーブルを二度ほど小突いた。それを三度繰り返す。これが小人の足音だ、と示唆する握り拳は、ひとつだけ灯る蝋燭の小火の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。火のせいで滲んだ情景の後ろには、丁度掛け軸が垂れており、中で舞う狐までもひらひらと揺れていた。

「座敷童とかは幸せを運ぶけど、この小人が運んでくるものは不運や不幸。部屋に招いてはいけないもの」

 テーブルを小突いていた拳が開かれると、次は人差し指と中指を二本、テーブルの上に立てて交互にテーブルの上を滑る。彼女の右手は、コンパスのように、或いは人の足のように机の上を歩いた。僅かに伸びた爪が着地するたびにカツンと音を鳴らすが、彼女の指が足を止めることはない。握り拳よりも小さい音であるはずなのに、呼吸すら潜められた室内に、広く浸潤しているようだった。音と語り手の声で作られていくジワジワとした恐怖に、黒尾の手を握る名前の掌に力が込められる。

「隙間の小人はどんな格好してるんだよ」

 間合いを読んで質疑を挟んだのは、先程『怖くない』と豪語したクラスメイトだ。
 疑似的な百物語を始めて一時間は経っているし雰囲気は上々であり、怖くないと強気でありながらも、彼の声も僅かに震えているのだが、特に誰も触れはしない。今までに6つの話がされており、どれも身が凍るような話ばかりだったばかりに、揶揄う気すらも沸かない。皆仲良く体を震わせている。
 どこか訝し気に聞く彼に、語り手の彼女の動きがぴたりと止まり、柳眉を垂らすと、困ったように苦く笑った。

「それがね、隙間の小人の姿ははっきりと分かっていないの」
「は?」
「隙間の小人の姿を見た人は皆死んでしまうから」

 きゃっ、と女の高い声が響いた。名前の友人だ。長い髪の毛を巻き込みながら必死に耳を塞いでいる。悪趣味な催しものの参加者の中で、名前と話し手を含めて女子生徒は5人だが、皆似たような格好で体を丸めていた。

「でも諸説もあるんだよ? 小人の姿を見た者は死ぬんじゃなくて呪われるとか。あとは小人の姿を見たことがある人は事故に遭うとか、小人の話を聞いただけで呪われるとか色々」
「なんだよそれ!」

 はぁ……と、緊張し強張っていた体を解しながら息を吐いたクラスメイト同様、黒尾も小さく息を吐いた。少々物騒な事柄も含まれているが、怪談なんて所詮そんなものだと黒尾は思う。
 先程されていた怪談にもあったが、怪談やホラーには言い伝えが曖昧なものが多い。見たら死ぬと噂されている傍らで、見たら事故ってしまうと伝えられることもある。怪談好きの芸能人が、とある番組で『私の後輩が体験した話なんですけど』と前置きした話を、クラスメイトが『俺の先輩が体験したんだけど』と話すことだってよくある。トイレの花子さんは全国の学校に出ると言われているし、世の中には似たような話で有り触れている。

「小人の姿を見たことある奴もいるってこと?」
「うん、そういう話もあるよ。そもそもそれじゃないと小人だって分からないじゃん?」
「たしかに……」

 話し手の彼女はどこか可笑しそうに口許を緩めて口角を上げた。尤もなことを言う彼女こそ、実は然程信じていないのかもしれない。
 緊迫した空気が一瞬緩み、思わず身を固め正座をしていた数人が足を崩す音が響いた。

「じゃあここからは小人を見たことがある人の話」

 ごくりと誰かが生唾を飲む。

「小人は十五センチくらいだったり人間の足の膝くらいとも言われていて、全身が真っ黒なの。まるで黒猫みたいに黒い。背格好は小さいんだけど……」
「だけど……?」
「ぎょろりとした真っ赤な目玉でこちらをジーっと見てる。見つめられた人は背中から冷や汗が止まらなくてね? 思わず振り向いてしまいそうになるの。でも絶対に振り向いてはいけない。小人と目を合わせてはいけない。絶対に」

 彼女はゆっくりと口を閉じた。絶対に――。次に続く言葉は、先程彼女が言っていた不幸や不運や死であることは、なんとなしに想像できる。よくある怪談話ではあるものの、妙に語りの上手い彼女の声ひとつひとつには迫力があった。

「ね、そこの隙間閉めてもらってもいい?」

 ふと。枕を抱きしめていた女子がおずおずと手を挙げて、目線を枕に落としながら言った。指は、敷布団が積まれていた押し入れの隙間を差している。

「おう、閉めようぜ」

 なんてことない隙間でも、なんとなく気になってしまうのが人間の性だ。語り手が許可する前に男子が立ち上がり、スーッと音を鳴らして押し入れの襖を閉めた。

「こっちも閉めとく?」
「お願い」

 ひとつ見つかれば意外と隙間が多いことに気付く。立ち上がった拍子に玄関入り口と、部屋を繋ぐ障子の隙間などを閉めていった。




 さて、閉めていた彼が座り、無くなった隙間に女子達が僅かに安堵したところで、怪談は続く。相変わらず、蝋燭の光だけがゆらゆらと揺れていた。

「隙間の小人を部屋に招かない方法がひとつだけあるの」

 絶望ばかりが続いた話だったが、逃げ道はあるらしい。皆が息を潜め彼女の口許を辿った。

「小人は自分の話をしていた者のところへ現れる。そして、隙間と隙間とを伝って外へと出て行く」
「え?」
「出て行ってもらうためには二つ以上の隙間を用意しなければいけない」
「ちょっと……」
「小人の話をするときはふたつ以上の隙間を用意しなければいけない。小人の話が終わるまでは、ふたつの隙間を」
「開けて!!」

 女が悲鳴染みた声で叫んだ。兎のように体を弾ませた男子数人が勢いのまま開ける。黒尾もその中のひとりで、思わず名前の手を離し先程男子が閉めた押し入れを力いっぱい開けた。僅かに爪で襖を引っ掻いてしまったが気にしている余裕はない。
 スパァンと勢いよく開いた襖は大口を開けており、隙間というよりは『開いている』という言葉の方が相応しいが、押し入れには積み重ねられた布団があるだけ。妙な安心感があり、気にする者はいない。それどころか皆なるべく隙間を目視しないようにしている。
 ただひとり語り手の彼女だけは冷静で、口許に小さく笑みを浮かべて一体感のある室内を見つめている。

「以上、隙間の小人の話でした」
「蝋燭まだ消すな! 先に電気付けるから!」

 語り手の彼女が蝋燭に唇を近づけたところで、最初に豪語した男子生徒が彼女の動きを静止した。見たことがないほどの俊敏な動きをする彼に、彼女は苦く笑いながら大人しく動きを止める。パチン、と押しスイッチが可愛らしい音を鳴らすと、室内が白く明るい色に包まれた。一瞬、電気つかなかったらどうしよう――と黒尾は身構えていたが、どうやら心配は杞憂に過ぎなかったらしい。四方八方から安堵した息が零れる。

「てっちゃん……」
「お、おう。手離してごめんな」
「ううん。開けてくれてありがとう」

双眸に涙を貯めて眉を垂らしながら、おずおずと手を伸ばす名前の小さな掌を握った。




 語り手の彼女が、小ぶりの唇でやっと火を消したのはそれから数秒後のこと。半泣きになりながらクレームを入れているのは、語り手の彼女と一番の仲良しの女子生徒で、彼女は謝りながら頭を撫でていた。怪談の後とは思えないなんとも微笑ましい光景に、やっと全員の体の力が抜ける。
 部屋に戻ったら、以前、梟谷の木葉から送られてきた木兎による爆笑動画を見て、夜久と一緒に寝てもらおう、本当は名前と寝たいけどさすがに怒られるしなあ――、と寝る前の作戦を企てながら部屋を出る準備をする黒尾の横目で、「そういえば」と語り手の友達が質疑している。

「なんか話し方怖すぎた……というかリアルすぎたんだけど……。声優にでもなるの?」

 たしかに声優でも志望しているのかと訊きたくなるような話し方。さすが放送委員というべきか、言葉のひとつひとつにリアリティと引き込まれる声色があった。携帯の、動画フォルダの中から該当の動画を探しながらも、黒尾は内心大きく頷きたかった。

「ならないよ〜。でもリアルだった?」
「かなりリアルだった……」
「ほらさっき言ったじゃん? この話を聞いた人の家に出るって。先輩の家でこの話を聞いたんだけどね?」
「え、まって。な、なにが?」
「私もその日の夜に見たの」

――隙間の小人を。















          **
 
 修学旅行明けの久しぶりの部活ともあり、どっぷりと疲れた体は睡眠を欲していた。しかし、来年度には最高学年であり受験生である身としては、普段からのテストが大事だと黒尾は思っている。
 とくに先日、念願の猫又監督も復帰し、三年生たちの引退により世代が変わり、黒尾が求めていたチームが着々と出来上がっている。せっかくの好機、成績を落として部活に参加できないなんてことが起きないよう努めていた。
 あと10分やったら今日の分は終わりにして名前にメールを送ろうと、シャープペンシルをノートに走らせたところで、ふと後ろから感じた視線。ジリっと背中の焦げるような視線が肩甲骨を刺している。
 そして――。
 コン、コン、と床が小さく鳴いた。握り拳で床を小突いたときのような、爪でテーブルの上を歩いたような、足音のような音が辺りを騒がせる。犬猫が走り回るにしてはゆっくりで、包丁でまな板の上の野菜を切るにしては一定的な――いわゆる足音のような音。
 ふと。頭を過ぎったものは、修学旅行の一室、遮られたカーテンと、蝋が溶け受け皿に垂れている小火が灯る最後の蝋燭、女の握り拳、僅かに伸びた爪が足のように机を闊歩し、そして紡がれる7つ目の話のあの隙間の小人。

 ぎょろりとした赤い目玉でジッと見ているそいつと目を合わせたら終わり。
 そいつは話を聞いた者の家に現れる。

「っ、」

 黒尾は左手で口許を抑えた。突き刺さる視線と近づく足音にはなるべく気づかないフリをすることにしたが、それでも彼女が言っていた姿が脳内に連想されて思考を奪っていく。もし本物だったとしても隙間はどこかしらにあるはずだ。そこから出て行ってほしいと願いながらも、頭では必死に別のことを考えようと努めていた。ロシアンシュークリームで木葉がワサビを引き当てた話とか、笑いすぎた木兎が過呼吸になりかけて一年の赤葦が急いで袋を当てに行った話とか、四つ目の話で出てきた座敷童の背格好が研磨に似ていると思ったこととか、名前との初デートとか。
 しかし、その間も音は鳴りやまない。カン、カン、とそいつは足音を立てて近づいてくる。

(まじかよ……)

 脳内で描いていた同志や、友人や、恋人まで音に塗れるように消えてしまい、黒尾はやっとぎゅうっと双眸を閉じた。零すようにシャープペンシルを放り投げ、音から逃げるかのごとくきつく耳を塞ぐ。額には汗が浮かび、また背中には冷たい汗が流れていた。
 気づけば、足音は耳の傍で大きく響いていた。一定に刻まれていた音は、音量と共に早さまで備え、大きな音で耳の周りを這いつくばっている。まるで得体のしれないものが匍匐前進するように段々と近づいていき、最後は――

 カンカン、カンカンカン、カンカンカンカンカン!! 

 ――足音は大きく暴れた。

(くっそ……)

 助けて、助けて、心の中で何度も何度も叫ぶ。じわりと滲む双眸を拭うことすらもせず、ひたすらに助けを乞う。全身の血が沸騰するのではないかと懸念するほど大きく叫んだ。

(たすけて、たすけて……誰か助けて!!)

 ひたっ。

 振り払うように叫んだ刹那、音は消え閑静な空気が浸潤する。
いち、に、さん……。念のため心の中で十秒ほど数えてみるが音はさっぱり消えていた。不思議なもので、音が無くなると、背中への視線も消えた。止めていた息を零して、目尻や瞼が皺ばむほどきつく閉ざしていた双眸を開いて、そっと息を吐いた。見慣れたノートとシャープペンシルが転がる部屋に変わりはない。

「あ゛ぁ〜……」

 気の抜けた返事を零して背もたれに体を預ける。だらりと脱力した体が重く、深呼吸をしようと天を仰いだときだった。

「っ、ひッ」

 すぐ後ろに立ち、こちらを見下ろしている黒い影が、恐ろしい形相で上から顔を覗き込んでいた。大きくて真っ赤な目と――合う。












「うぉぁぁあぁッ!!」
「びっ、っくりしたぁ……どうした黒尾」

 布団を蹴飛ばす勢いで上半身を起こし、はぁっと細切れに吸う。全身の毛穴から噴出する勢いで流れた汗が酷く冷たい。
 黒尾の声に、びくりと大袈裟に体を揺らしたのは見慣れたクラスメイトで、ばくばくと鳴り響いているのであろう心臓を抑えながら、顔を顰めさせている。

「大丈夫か?」

 心配そうなクラスメイトを傍目に、黒尾は必死に辺りを見渡した。風情を重んじてそうな一室に、そういえば修学旅行中だということを思い出す。上半身を屈ませた拍子に申し訳程度に掛けられていたタオルケットが置ちて、寝落ちしてしまったことまでも思い出せた。そう言えばと、携帯を開けば、名前へのメールを送る最中であった。

「悪い……。なんかやべえ夢見た気がする」
「気にしてないから大丈夫! つーかどんな夢だったの?」
「……そういえばなんだっけ……」

 夢というものは不思議だ。とんでもなく恐ろしい夢であったことは確かなのに、内容は一瞬で消えてしまう。思い出そうと記憶を手繰り寄せたところで、浮かぶのは自分の部屋で何かをしていたことだけだった。

「それよりもさ、隣の部屋で怪談するらしくて。一緒に行かね?」
「……夜っ久んは?」
「別の部屋の奴のとこ行った。黒尾はどうする?」
「ええ……。あ、待った。……行く」

 怪談はあまり乗り気ではないものの、妙なプライドと寝てしまったという背徳感が襲ったために首を縦に振ってしまった。何より、大事な名前がその怪談部屋に行くらしい。あの怖いものが苦手な彼女が行くと言うのだから何かしらの事情がありそうだと思案する。
 よし、と笑顔を見せた友人は誰かに連絡を取り合っているようだった。相手はきっと、怪談を考えた悪趣味な主催だろう。

「行くぞー」
「おう」

 僅かに眠い体になんとか鞭を打って立ち上がると、部屋と玄関入り口を繋ぐ襖を潜り、隙間なく閉めた。






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