あなたが好きです

01. Eye Opener

 出会いは店の近くのコンビニエンスストアだった。



 2部出勤が終わり、どろどろに疲れた体に鞭を打ちながらネオン輝く街を歩く。履いた革靴がいつもよりも重く感じた。
 規則正しいとは決して言えない生活をしている自覚はあるが、だからといって今の仕事――もといホストを辞めようとも思えないのだからどうしようもないと思う。
 ひとつの言い訳として、俺が務めている店は少し特殊で、ホストとして所属する全員が個人事業主であり完全なる歩合制で成り立っているため、土地代さえ払えばあとは自身の懐に入ってくるという、この業界では珍しい優遇が、なかなか革靴やスーツを脱がさせてくれないのだ。
 何より人が良かった。風の噂で耳に入ってくる他店のホスト同士のいざこざすらもなく、個人事業故にランキングもないため、嫉妬や嫌がらせがない。だからと言って我関せずかと言えば、そういうわけでもなく、誰かのヘルプに着くことはよくある。個人事業と謳っている割には助け合いの精神が強いところが不思議だが、2年も働けばそれに対する疑問さえもとっくに消えていた。

 今日は誕生日イベントということで、珍しく木兎さんが吐くほど飲みすぎて、最後に木葉さんのスーツにぶちまける事件が発生した。主に木葉さんが阿鼻叫喚する中、酔いを少しでも和らげるアイテムを購入するべく、コンビニへと派遣されたのが俺だった。パシらされたとも言う。
 歩きながら、締めていたネクタイを緩めても喉の奥に蟠る息苦しさは取れないし、店から出て外の空気を吸ったところで、鼻にこびりついた酒と香水の匂いは取れない。そもそもこの街全体の香りが、酒とタバコと香水でできているため、逃げ道はなかった。

 9月の後半とは言えまだまだ暑く、騒々しさと暴行やキャッチを禁じる放送がひたすら流れる、眠ることを知らない夜道を、酒臭い人混みを避けて進んだ。全身を包むもわりとした空気に、名前ばかりが高いスーツのジャケットが酷く煩わしく感じた。

「いらっしゃいませー」

 入店と同時に、気だるさを孕んだマニュアル通りの挨拶をした店員は、俺に一瞥すらくれることなく棚の物を並べている。別に深夜のコンビニに華やかさを求めている訳では無いし、普段から店員の態度なんてあまり気にするような性格でもないので、どうとも思わないが。むしろこんな深夜に、治安の悪い街のコンビニで働くことに同情してしまう。

 そんな繁華街のど真ん中に佇むこのコンビニには、店から近いことも相俟って、何度もお世話になっている。さすが夜の街の住人をターゲットにして商売しているだけあって、こんな時間帯にも拘わらず、栄養ドリンクや、軽く食べることが出来る弁当などの品揃えがピカイチだった。おかげで、店の人間は重宝していた。もちろん俺もその一人である。

 入ってすぐの右に曲がったところにある一角が、この店の栄養ドリンクコーナーだ。
 ホスト店を出る時、『悪酔いには絶対これ』と黒尾さんから渡されたメモを改めて確認しながら、陳列された物をひとつひとつ見比べる。相変わらず感服するほどの品揃え具合だ。
 しかし、一箇所だけ、このコンビニにしては珍しくぽっかりと空いたスペースがあった。なんとなく値札へと視線を落とせば、そこには黒尾さんが言っていた商品名が綴られていた。たまたま近くに来ていた店員に声をかければ、そこになければ無いと。百均かよ。

 俺は頭を抱えた。黒尾さんがメモ用紙と一緒にこの栄養ドリンクを提案した時に、散々項垂れていた木兎さんが、双眸を煌々とさせ『赤葦! 俺それがいい!』と手放しで喜んでいたのだ。あの様子だと、完璧に治ると勘違いしていそうだ。
 仮にこれを買わなかったとしたら、あの栄養ドリンクじゃないと治らないとしょぼくれる恐れあり。今度は別のコンビニへと駆り出されるのは目に見えている。
 どうせ駆り出されるなら、先に違うコンビニへ行こう。そう、誓った時だった。

「お探しのものはこれですか?」

 聞こえたのは、先程の店員よりも高く柔らかい声だった。
 振り向いた先、視界に入ってきたグレーのスーツは、煌びやかなスリッドが入ったドレスや、ツーピースドレスが溢れるこの世界では随分と物静かなものにも拘わらず、シワのないワイシャツとジャケットが酷く眩しかった。
 しかも、白く細い掌に差し出された栄養ドリンクは、たしかに黒尾さんが言っていたもので間違いなかった。
 一体誰が……と見上げた先、決して濃い訳では無いのにしっかりと施されたメイクと上を向く睫毛、そして大きくて愛らしい瞳がこっちを見つめていた。

「あ、それです……」
「良かった! これ差し上げます」
「えっ、でも」
「これを求めてるってことは相当具合が悪い方がいらっしゃるんですよね? 身内がこれを飲んだら絶対治るってよく言ってるんです。オススメですよ」
「……それはありがたいですが、あなたが飲もうとしていたのでは?」
「私はほんの少し酔ってしまっただけなので大丈夫です」

 別に押しに弱いというわけでは無いが、にこにこと微笑まれてしまっては口を噤むほかないし、不格好にも、おずおずと受け取り「ありがとう、ございます」と細切れなお礼を言うことしか出来なかった。なんとも格好悪い。
 それでも、目の前の彼女は、ドリンクを受け取った俺を見て、本当に嬉しそうに顔を綻ばせて「お大事にしてくださいね」と言ってくれた。

「名前ー! 行くよー!」

 そして、彼女は、入口から顔を出した友人らしき人間に呼ばれると、一度返事をし、「では」と会釈をしてレジへと向かった。すれ違うとき、鼻を擽る香りのは、花のようであり柔軟剤のようであり、なんとなく安心できる香りだった。

(名前さんって言うのか……)

 もう一度会いたいだなんて。きっと一目惚れだったんだと思う。







Eye Opener(アイオープナー)
カクテル言葉:運命の出会い