赤葦くんと○○ちゃん

黒焦げクッキー

「え!? 赤葦にバレンタインチョコ作ったことないの!?」
「しーっ!」

 心底驚いた、という言葉を滲ませて目を見開いた親友の口を思わず塞いでしまう。そんなに驚いた顔をしなくても、と頭を抱えたくなるが親友の言葉通り私は京治にバレンタインチョコを作ったことがなかった。親友の飛び跳ねた声が、向こう側で男子数人と談笑している京治に聴こえていないかを念のため確認して、交わらない視線に安堵する。「ご、ごめん……」私の掌の中でもごもごと言った親友に首を振って「こっちこそごめん……」と手を離した。

「あげたこともない?」
「いや、あげたことはある……」

 先程よりも幾分潜められた配慮に感謝しつつも、実は……と開いた口は酷く重たい。

 あげたことはある。それこそ一応バレンタインチョコは毎年あげている。しかし、それは2月10日から13日の間に母親と共にデパートに行き、父と従兄弟の分を買うついでに京治の分も買っているという、いわゆる市販のチョコレートである。お母さんも京治が大好きなので(それこそ我が子のように接している)お母さんに出してもらえれば豪華なものを渡せるし関の山――だなんて今までは思っていた。

「たしかにチョコ高いもんね」
「うん……高い……」

 杜中は親の許可と先生の許可、そして正当なる理由がなければバイトは認められていない。勿論私にはバイトをする正当な理由はないので、バイトの許可も下りない。こっそりバイトをする子もいるという噂も聞いたけれど、中学3年のこの大事な時期に高校の内定を天秤に掛けてまでバイトをする勇気は私にはなかった。すでに推薦を貰っている京治と親友と一緒に梟谷に通うため、ここ最近は死ぬ気で勉強をしているのだ。1ヶ月もしないうちに来てしまう高校受験を、バレンタインのために無駄にすることはできない。
 そのため、バイトができない中学生のなけなしのお小遣いで高いチョコを買うよりも、お母さんに出してもらった方が良いと考えるのは仕方のないことだと言い訳をさせてもらう。

 今年もそうやってバレンタインを迎えるつもりだった。14日までにお母さんとデパートに行って、お父さんよりも従兄弟よりも豪華なバレンタインチョコを買って京治に渡すんだって考えていた。しかし、もうすぐで卒業をしてしまうというタイムリミットを背負った女子の行動力を私は軽く考えていたようだ。

「なにがあったの?」
「みんな京治に手作りチョコあげるんだって……」
「去年もあげてる人いなかった?」
「ほら、今年は卒業だから。人数も増えるらしいしみんな気合入れるって風の噂で……」
「どんな噂なのそれ。というかこの学校で赤葦と一番仲良い女の子は名前なんだし、大丈夫でしょ」

 たしかに私と京治は幼馴染だ。京治は優しいし面倒見が良いので、ありがたいことに隣にいさせてくれる。ただ、家が同じ区域というだけでお隣という訳でもなく、同じ部活でもなく、何より来る受験で落ちたら高校は離れ離れだ。いくら今まで一緒にいたとしても、高校で疎遠になる可能性だって否めない。
 それに、もしバレンタインデーで告白をしてきた女の子の中にすごく可愛い子がいたり京治の好みの女の子がいたとして、その子とお付き合いすることなったら、私は離れなければいけない。京治の邪魔にはなりたくないのだ。

「だから、頑張らなきゃって思った……」
「……」
「私も手作りで勝負しなきゃって……」

 なにか言いたげな親友の、呆れたような視線から逃れるべく顔を伏せた。はぁ、と重たい溜息が聴こえて、ビクッと無意識に体が揺れる。言いたいことは分かっている。私は料理とかが苦手で、お菓子作りなんて以ての外。ちなみに一番最初に相談した母親にはやめておけと忠告されたばかりだ。

「しょうがないなぁ……。私のお姉ちゃんがお菓子作りとか得意だし一緒に作る?」
「い、いいの!?」
「うん。私もあげたい人いるし」
「待って、それ初耳……好きな人いるの!?」
「好きな人、というか頑張っている名前にエールも兼ねてあげたいかな」
「す、好き……」

 大好きな親友と恋バナができるのかと思いもよらない朗報に息巻けば、想像を優に超える言葉が落とされ膝から崩れ落ちるかと思った。持つべきものはやはり親友だ。「がんばろう、」と気合いを入れてなんとなく京治へと視線を移せば、偶然だろうかこちらを見詰める京治と目が合った。なんとなく顔が不機嫌なような気がしてならないけれど、手を振ると振り返してくれたので気のせいかもしれない。












          **

 とはいえ、現実はチョコのように甘くない、らしい。


 親友のお姉ちゃんに助けてもらい、親友と共に作ったものは初心者でも簡単と言われるクッキー。たしかにクッキーを作ったはずだ。しかし私の目の前にあるものは炭と大差ない有機物である。親友と同じ材料で同じ手順で作ったはずなのに何故か私のだけ焦げてしまった。お姉さんが原因を教えてくれたような気がしたけれど、料理のできない私からするとまるで呪文の様。結局原因を究明することができず――というよりも理解ができず――私は市販に頼ることした。
 もうすでにお母さんがお父さんと従兄弟と京治の分を買っていたので、私もそこに便乗させてもらった。人間向き不向きがあって、『ギリギリになって突然慣れないことをするものじゃない。こういう時に成功する人はきちんと準備をしているんだよ』という厳しくもありがたい母親の言葉に返す言葉もなかった。

「黒焦げだ……」

 部屋の椅子に座り、勉強机に置いてあるクッキーのようなものを見ては重たい息が零れる。食べるだけでお腹を壊してしまいそうな、体に悪そうなこれはやはり自分で食べるしかないらしい。お母さんはお父さんにあげなさいって苦笑いで言ってくれたので、もしかしたら父親の胃袋行きになるかもしれないけれど。

 黒焦げクッキーの隣にあるのは綺麗にラッピングされた市販のチョコレートで、相変わらず記されたブランド名は有名なやつだ。母親のセンスに感服せざるを得ない。さすが大好きな京治にあげるものだ。それなのにこの黒焦げクッキーよりも霞んで見えるのはどうしてだろうか。京治のお腹のためにも絶対市販のものをあげるべきなのに、切なくなってしまうのはどうしてだろう。

「それ、なに」
「これは焦げたクッキーって、えっ、京治!?」
「へぇ」

 突如真後ろから聴こえた声に慌てて振り向けば、案の定京治がこちらを覗き込みながら立っていた。「なんでここに!?」「今日母さんたちいないから名前の家行けって……朝聞いてない?」「そう言われてみれば聞いたような聞いてなかったような……」だなんて会話をしつつ、記憶を手繰り寄せる。記憶にないような気がするけれど、京治の御両親が仕事で不在の時に京治が我が家へ来ることはよくあることなので、きっとそうなんだと納得することにした。
 それよりもだ。まさか京治にこの黒焦げを見られるとは。しかもクッキーだとバレるなんて。不覚である。

「名前が作ったの?」
「え、いや、うん……まあそうなんだけどね?」
「誰宛て?」
「だ、誰宛てって……」
「クラスの奴? 俺知ってる? つーか男?」

 想像以上にぐいぐい訊いてくる京治に思わず狼狽えてしまう。京治にしては珍しい。京治宛てではあるけれど、さすがにそれは言えない。幸いにも京治宛てのチョコも此処にあるし1日早いけれどこちらを渡せばいい。

「えっと、京治のはこっちだよ」
「……ありがと」

 綺麗にラッピングされた有名ブランドの書かれたチョコレートを渡せば、京治は若干顔を顰め乍らも受け取ってくれた。これで今年のバレンタインは終わる。どこか煮え切らない様子の京治に申し訳なさを感じつつも、早くバレンタインの話から逃げたくて次の話題を考えるべく頭を回した――時だった。

「で? それは俺以外の奴にあげるんだ?」
「へ?」
「あ、いや……」

 どこか刺々しい物言いに、間抜けな声と共に京治を見詰めてしまう。当の本人はというと、私以上にぽかんとしており、すぐさま手の甲で口許を隠してしまった。ただ、そんな顔をさせてしまったことに申し訳なさと、ほんの少しだけおかしさが込み上げてきて、ほくそ笑んでしまった。私の悶々とした感情は、なんてちっぽけなものだったのだろうか。なんだか許されたような気がした。

「京治、あのね?」

 答え合わせをしようと思う。










 
          **

「じゃあそれは俺にあげようと思ったけど、焦げて渡せなかったってこと?」
「そうです」

 私のあってないような小さなプライドを全て捨てて、京治にあらましを話した。周りの女子たちから向けられている京治への恋情と、私から彼へと向けている恋情などは掻い摘んで、偶には京治に手作りのバレンタインチョコを贈りたかっただけだと白状する。「俺、名前が誰かに手作りチョコをあげるってことは知ってたんだ」という思いもよらない京治からの暴露にはさすがに吃驚したけれど、風の噂というものだろうか。恐ろしいものである。

「結局私が食べることにしたんだ。最初はお父さんにあげようとしたけど、お腹壊されたら困るしね」
「そう……」

 ベッドに座りながら、膝の上に置いた皿に乗ったクッキーを人差し指で突いてみる。ざく、ざく、とクッキーとは思えない音がするそれに、慣れないものはするべきではないと肝に銘じた。これ以上この粗末な姿で置いておくのも可哀想なので、さっそく食べてみることにする。

「焦げの匂いがすごい……」

 親指と人差し指で摘まんで、ここまで漂ってくる焦げ臭さに苦笑いを零し、隣に座る京治が見守ってくれている中でそれを食べようと口許へ運ぼうとした時だ。「名前、」大好きな京治の声が聞こえて、それで――

「え、京治……? な、なんで……」

――私が口に入れる前に京治が私の手を掴んだと思えば、そのまま京治は自分の口に中に入れた。京治の柔らかい唇と舌先が指の腹を撫でたおかげで私の心臓は破裂寸前だ。いやいや、そんなことよりも。クッキーと呼ぶのすらも申し訳ない黒焦げクッキーが京治の口の中に入りしっかりと咀嚼され、ごくんと胃の中へ落ちたことの方が問題である。私はと言えば、ただ唖然とすることしかできなかった。

「たしかに苦いけど、」
「……だろうねって、ちょ、ちょっと、待って、お腹壊しちゃうよ……」
「俺のために作ってくれたってだけで特別。今までのバレンタインの中で一番嬉しかったよ」
「っ、」

 勿論今までの名前の母さんとの共有のバレンタインチョコも嬉しかったけど。と、完璧なフォローまで付け足した京治は相変わらず。

 あー、もう、大好き。