赤葦くんと○○ちゃん

可愛い顔

「ままだいじょーぶ?」

 息苦しさとガンガン痛む頭の中に舌足らずな声が響いたので、まどろみから抜け出し酷く重たくなってしまった目を開けば、少しだけむちっとした幼児特有の腕がゆっくりと動いているのが見えた。その小さな掌は、額に貼られた熱さまシートを撫でているらしくスリスリと優しい音が聞こえる。マスクは触っちゃダメだよ、って教えたのを覚えてくれたみたいで良かった。この子達には絶対に移せない。

「ぱぱがねー、いまねー、ごはんつくってくれてるの」
「ん、……嬉しいね」
「ねー」

 ぱぱのご飯だ、ときゃっきゃする娘はなんとも微笑ましい。実は京治の方が私よりも料理が上手で出産前はほとんど京治が作ってくれていたことをいつか話してあげたい。この子がもう少し大きくなって、好きな子や彼氏ができた時に、私の旦那さんでありあなたたちのパパである京治はこんなにも素敵な人なんだよ、なんて恋バナをするのがちょっとした夢である。

 ふふ、と零れてしまった笑みに娘も釣られて笑声を零した。小さい子って感受性が豊かでそしてよく見ている。生まれてすぐのまだ寝返りすらできなかった時、私と京治が2人に向かって笑うと娘たちが同じように顔を綻ばせた思い出は私の宝物でありあの瞬間を私は一生忘れないと思う。

 少しだけ汗ばんだ傷み知らずの髪の毛を梳かしてあげると、娘は両の人差し指をいじいじと動かし、ほんのりと頬を赤らめた。
 この仕草は、娘がなにかを訴えたい時のもの。子育て4年目ともなれば、娘の仕草や口の形でなんとなく分かるものだ。例えばこの顔は、なにかをおねだりしたり照れたりする時に出る表情である。最近見たのは日曜朝に放送しているアニメの女の子たちが持ってるステッキをおねだりした時。クールごとやキャラクターごとに新しいものが出るにも関わらず、音と光と細部の精密さのおかげか6000円もするそれを欲しいと駄々を捏ねていた。
 娘は息子に比べて比較的飽きやすく、半年前に買った同じようなものはおもちゃ箱の奥に眠っているというのに。
 ちなみにそのおねだり作戦に見事に絆された京治が買ってあげたことによって、娘の勝利となったわけで。私のお父さんも京治のお義父さんも、京治のバレー仲間も、なにより京治が一番子供たちを甘やかすので子供部屋は似たようなおもちゃで溢れていた。

 はてさて今日は何用だろうか。娘の駄々を聞くのは楽しいので、もじもじとしている口が言葉を紡ぐのを待ってみる。

「ままきいてー」
「なぁに?」
「娘ねー、けっこんのおやくそくしたの」
「え?」

 はにかみながらそんなことを言った娘はきゃっと、両手で顔を隠した。一体どんなお買い物が待っているんだろうと身構えてしまったばかりに、娘の口から出てきた言葉に唖然としてしまう。一瞬風邪による幻聴かと思ってしまったくらいだ。結婚の、お約束……?
最近の子は早いとはよく言ったもので、頬にちゅーは当たり前だという情報は幼稚園の先生やママ友さんたちから聞いたことはあったけれど、まさか結婚相手まで見つけてくるとは。
 いつか恋バナをしたいという願いが早速叶ったことに喜んでいいのか、不意打ちにより心の準備ができていないことを嘆くべきか。娘たちが通っている幼稚園の全生徒を把握している訳では無いけれど、娘の心を1番に掴んだ男の子は誰なのかはなんとなく知りたくて、「何くん?」と訊けば娘の小さな口は小さく動いた。そして、私の耳に入ってきた名前に本当に熱による幻聴かと思って人差し指を立てる。「もう1回教えて?」

「てつろーくん!」
「鉄朗くんって、黒尾さん?」
「名前、熱下がった? あ、娘いた。ママが寝てるところに入って行ったらダメだって言ったーー」
「うんっ! てつろーくんとけっこんしたいの!」

 なんというタイミングだろうか。ひょこっと顔を出したエプロンをしている京治の声を遮って、娘が爆弾発言をする。案の定、がちんと固まった京治は顔を真っ青にしていた。私としては、黒尾さん素敵だと思うけどきっと京治にとってはNGなんだろうなぁ。まぁ京治は相手が誰でも頑固オヤジになりそうな気がするけれど。

 さて。京治をどうやって戻そうか。

「娘、パパに可愛い顔してきて」
「あ! ぱぱだ!」

 ぱぱみてみてー、かわいいかおっ!