赤葦くんと○○ちゃん

木葉パパの憂鬱

※木葉さん既婚者です。
奥様とお子様がいます。お名前は出てきません。







「ってことがあって……って木葉さん聞いてます?」
「……聞いてるっつーの……」

 めんどくさい、非常にめんどくさい。




 都心から僅かに離れたベッドタウンにて、今後のためを思い借りた2DKのマンションは中々に広い。
 そのせいか、それとも俺だからか、否――遠慮を知らないあいつらだからなのか、この家はすっかりとたまり場となっている。都心から離れているとはいえ、中央線で東京駅や新宿駅から1本で来られるということから、終電を逃しかけた奴らが押し寄せることも屡。
 それでも、子供ができてからは夜中に押しかけてくることは減ったけれど、時折こうして元チームメイトが酒を片手に訪れることはあった。
  
 そして今日。空いた缶をそこらに散らかして、ビールが入ったジョッキを煽るのは、梟谷時代の後輩の赤葦京治である。
 2年ほど前に購入した木目のテーブルに項垂れたり、かと思えば握り拳でテーブルを小突いたりと中々に忙しない。コンコンコンコンと、お前はキツツキかと言いたくなるほど。同じようなことを木兎がしようものならば、だらしがないと窘めていた立場のくせに。こいつも意外と変なのだ。

 あの有名な出版社にて、あの有名な週刊少年雑誌の編集者として働いている赤葦は、持ち前のスキルと、器用さと、頭の良さという贅沢盛り合わせセットのようなスペックで、新人当初から、上司からも同僚からも引っ張りだこだという。現在はそれなりの地位と名誉を掲げているんだとか。
 とはいえ、職場である出版社は話をきけばかなりのブラックらしいので、もしかしたら社畜となってしまったせいでおかしくなったのかもしれない。とも考えたけれど、やっぱり赤葦は元から少しだけ変なのだ。特に、バレーをしている最中と、あの例の幼馴染ちゃんのことに関しては。

「赤葦顔赤いぞ? 大丈夫か?」
「大丈夫です。俺のことなんてどうでもいいんですよ」
「あ、ハイ」

 俺達と飲んでいる時はあまり酔っ払わない、自分の限界を把握しているであろう赤葦の、今日のジョッキを傾けるペースは早い。先程まで日本酒の熱燗も飲んでいたので、酔いが回るのも早いのかもしれない。珍しいなんて思いながらも話を聞けば、やはり原因は赤葦の奥さん……元幼馴染ちゃんの名字ちゃんだった。

 高校時代ひと悶着あったとは言え、赤葦が考えていたプラン通り大学卒業から2年後に結婚したふたりだが、ふたりの間には中々子供ができなかった。赤葦曰く、相性というよりも名字ちゃんの体の問題で――赤葦は高校時代のあのことがトラウマらしいので、相性が悪いとは意地でも思いたくないらしい――、製薬会社に勤めている今の俺にとっては専門外だけれど、大学の授業でチラりと触れたことがある。要は母体の問題だった。
 何度も何度も不妊治療をしてきた名字ちゃん。産婦人科は俺が営業に行っている病院の中にあるところにしていた。大将の彼女の美華ちゃんも働いている病院で、よく2人が話しているところを見かけている。それでも赤葦と名字ちゃんの間に子供ができることは暫くなかった。
 しまいにはあとから結婚した俺らの方が先に子供出来ちゃったし。

 そして治療すること5年。やっと子供を授かった赤葦夫婦である。このまま子供ができなかったら一旦諦めると、顔に影を灯していた名字ちゃんが、晴れやかな笑顔を見せて俺たちに報告してもう6ヶ月。お腹も順調に大きくなってきていると、俺の奥さんや赤葦が言っていた。
 今日はそんな名字ちゃんが、後に生まれてくるであろう子供のために、先輩ママだと慕ってくれている俺の奥さんと一緒に、買い物兼女子会に行っているので俺と赤葦はお留守番だ。

 赤葦は、危ないからあまり行かせたくないって言ってたけれど。できることならば家から一歩も出したくないと言っていたけれど。……それはさすがに過保護過ぎないかと俺は思うわけだが。
 ちなみに、相変わらずバカップルぶりを発揮する赤葦夫婦だが、ご懐妊したならしたでまたもや悩みがあるらしく(つーか赤葦が一方的に悩んでるらしい)、酒も入っているからか、口を開けたらもう止まらない。
 普段どちらかといえば冷静な赤葦は、口数もさほど多くはない。大人になってから表情筋が若干豊かになったとはいえ、やはりどちらかというと寡黙な類だ。そんな赤葦がここまでなるのだから相当悩んでいるらしい。

 話を聞けばこうだ。
 名字ちゃんが、妊婦さんとしての自覚が足りないらしい。普段料理なんてしないのに、妊娠してから母性本能が現れたのか、台所に立つようになったとか。重いものを平気で持とうとしたり、普段はエレベーターを好むのに、何故か階段を使ったり。それで赤葦がもう気が気じゃないらしく胃に穴があきそうだと。仕事のことも相俟って胃潰瘍になりそうだと。やはり過保護すぎる。俺も奥さんが妊娠している時心配だったけれどここまでではない。

「しかも昨日のドキュメンタリー番組で、お産した後に奥さんが亡くなった人の話をやってたんですよ……」
「うん、なんで見るかな」
「名前が死んだら俺も死にます……」
「縁起でもないし。つか死なないし」

 テーブルの木目を指の腹でいじいじと滑らせながら、とんでもないことを言いのけた赤葦の情緒は、かなり不安定だ。
 俺の奥さんと名字ちゃんがこの家から出るとき、ゆっくりしておいでとは言ったけれど、前言撤回させていただきたい。早く帰ってきてくれ。
 はてさてどうしたものか。意外と涙腺の緩い赤葦が泣き始めないか、そんな懸念が頭の中を支配したところで、とてとてと可愛らしい足音が聴こえた。
 
「けーじ、げんきだして」
「ありがと……」

 がっくりと項垂れる赤葦の膝の上に座って、小さな紅葉のような手で赤葦の頭を撫でるのは、俺と奥さんの子供。現在4歳の可愛い可愛い女の子。なぜか一番最初に鷲尾に懐いて次に赤葦に懐いた。黒尾と木兎は怖いらしい。あいつらうるさいもんな。
 よく小見やんと猿がおもちゃを買ってきてくれる。木兎と黒尾のことは「ぼくと」と「くろお」呼び。あ、そうそう。何故か音駒の孤爪にも懐いていた。
 そんな娘は鷲尾と赤葦のことが大好き。悪いけど、お前らふたりには絶対にあげません。

「ほら、おいで」
「ぱぱ、やー。けーじがいいー」
「……」

 奥さんと名字ちゃんへ。早く帰ってきてください。