日向雨





 標高300メートル弱の小さな山は、その標高と緩やかな斜面から、登山初心者にも比較的優しいと言われており、ある程度体力や脚力に自信がある人間ならば気軽に登ることができるのが売りなようだ。しかし、その気軽さが仇となり、登山初心者の登竜門のされる一方で、心霊スポットとして名を馳せてしまった悲しい過去を持つのだけれど。

 旅館の正面玄関を出て右に曲がり、旅館用の駐車場を抜けた先に、入山口がある。そこには、山の歴史や逸話が綴られた看板と、簡単な地図が設置されていた。
 先程、自分たちは東京のとある宗教系高校の民俗学部に所属しており、口頭伝承と文献の相違について纏めるために訪れたと嘯いて、旅館の従業員から山に関する幾つかの情報を得たわけだが、教えてもらった事柄と設置看板の間に矛盾点は見当たらなかった。

 地図と従業員の情報を照らし合わせると、この山は、『足』『胴』『顔』の3つのポイントに分けられており、足から胴は比較的緩やかで登山だけではなく地元民の散歩コースとしても人気のスポットだとか。
 胴から顔にかけては若干急斜面になるものの、全ての道がしっかりと整備されているおかげで、遭難や迷子は滅多にないと言う。

 山の歴史については、秋頃には美しい紅葉が見ものであり、特に山頂の『顔』部分を山装う朱色の紅葉が女の紅のように見えることから、『女来山』と呼ばれることもあるのだと、看板には記されていた。従業員も似たようなことを言っていたので、こちらも間違いは無さそうだ。

「にょらいやま……」

 フリガナ付きで看板に書かれていた山の名前を、名前がぽそりと読み上げた。由来こそ美しいのだが、なんとなく心に引っかかる名前である。

「相変わらず呪力と残穢は感じ取れねーな。よっぽど隠れるのが上手いかここにはいないか」
「ただ心霊スポットになってしまったというのが引っかかる。話題になったのがマニアの中とはいえ、心霊スポットになってしまった以上呪いの受け皿にはなっていると思うよ」
「それは俺も思う。となると、やっぱり隠れるのが上手いやつって事だな」
「ヒントを得るには登ってみるしかないようだ。名前大丈夫かい?」
「うん、スニーカー履いてきたから大丈夫だよ」

 名前が靴を指さしたのを見、傑は「偉いね」と頭を撫でた。そもそも、高専出発前に、今回の任務は山を登るかもしれないからスニーカーがいいよとアドバイスをしたのは、傑自身である。

「じゃあ行こうか」
「おー。名前、辛くなったら言えよ?」
「ありがとう」

 比較的緩やかで登りやすい山だとはいえ、山頂までは1時間ほどかかる。普段、山を登る機会なんて高専が所持している峰くらいしかない名前にとっては、なかなか厳しい任務になりそうだ。








          ▲▽


 入山口から歩いて20分。3人は、女来山の『胴』に着いた。
 胴では、切妻造りの小さな祠と、木で作られた簡易ベンチ、3体の地蔵菩薩が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
 まず祠だが、木の部分が若干朽ちていたり、真鍮部分が錆びていたりと、ところどころに年季を感じる。しかしながら、定期的に手入れはされているようだし、造り自体はしっかりとしているように見える。
 そして、そんな祠と共に鎮座しているのが、3体の地蔵菩薩だった。右手に錫杖、左手に宝珠、首元には前掛けという見てくれこそ一般的な地蔵だが、隣に祠があることも相まって、筆舌に尽くし難い物々しさが漂っている。この山が、心霊スポットとして有名になった原因の欠片に触れた気分になった。

「名前、悟、呪霊の気配は探れるかい?」
「……ダメみたい」
「こっちも見えねーな」

 傑の問いかけに、名前が術式を発動し、悟がサングラスを外して六眼で辺りを見渡すが、やはり呪霊の気配は感じられそうになかった。いくら田舎とはいえ、山道を20分も歩いたのに、呪霊の1匹も見つからないのはやはり異質である。
 名前の『綺麗すぎて不自然』という言葉が、いよいよ現実味を帯びてきた。

「帳下ろしてみる?」
「パンピーいねーのに?」
「呪霊を誘き寄せるためにはアリじゃないか? それに名前の帳は特殊だからね」

 今度は名前が訊ね、悟が面倒そうな顔をし、傑が名前に同調した。
 従来、帳には、外から中を視認させない役割の他に、呪いを炙り出す効力があるのだが、名前の場合は、補助監督が下ろす通常の帳にプラスして、彼女の術式である探知能力が付随されるのだ。そもそも、名前の術式のベースは結界術であり――半径200メートルに大きな結界を張り自身の結界内で呪霊を探すイメージだ――、帳との相性はいい。
 こういった、補助監督が送迎でしか付けないような任務時では、名前が代わりに帳を下ろすことが多々あった。

「仕方ねーな。じゃあ任せたわ」
「うん。闇より出でて闇より深く、その穢れを禊ぎ祓え」

 人差し指と中指を立てて帳を下ろした名前により、辺りは段々と夜を纏った。帳が下りたのと同時に、傑が期待込めて2人の顔を覗くが、どちらもあまりいい顔をしておらず、表情が正解を物語っていた。

「やはりなし、か……」

 傑は親指で額をかいた。ここまでしても尚見つからないということは、この山に呪霊はいないと考えた方が妥当である。
 ただ、再三言うが、心霊スポットは負の感情が溜まりやすい。負の感情が溜まると呪いを形成し、呪霊となるのだ。仮令、件の核となる呪霊はいなくとも、別個体までも存在しないのは違和感だった。それならば、共食いをしたと言われた方がまだ納得出来る。

「まあこの山にはまだ顔≠ェ残ってんだろ? まず一旦登ってみようぜ」
「そうだな」
「……! 悟くん、傑くん」

 悟が頂上目指して指を差し、傑が同調した時だった。名前が2人の名前を呼ぶようにして会話を遮る。声に若干焦りを滲ませており、呼ばれた2人は「どうした?」とすぐに反応した。

「呪霊いるかも」






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