人事異動

 路に芽吹く蕾が今か今かと開花を待つ三月一日。芸能プロダクション『呪力舎』では、主にマネージャー陣に向けて辞令が出される。
 内容としては、担当しているタレントないし部署への異動ーーいわゆる異動辞令だ。
 呪力舎では、四年に一度の三月一日に異動辞令が出て、一ヶ月で引き継ぎを行い、四月から新体制として新年度を迎える仕組みだった。

 呪力舎所属の芸人『祓ったれ本舗』の片割れである夏油傑は、与えられていた控え室にて、プライベート用のスマートフォンをいじりながら新マネージャーと相方を待っていた。
 ちなみにここ、芸能プロダクション呪力舎東京本社は、七階建てという都心に佇むオフィスビルのような外観で、所属している芸能人は、俳優、タレント、芸人、アクション俳優、舞台俳優、歌手などと幅広い。大きな社屋のおかげで、タレントが少しの時間でも気を休めるようタレント用の控え室が幾つかあった。
 その一室が、傑が相方と新マネージャーを待つ部屋なのだ。

 今はちょうど、マネージャー陣に辞令が出され、最上階にある広い会議室で新体制に対する打ち合わせが行われていた。
 それには、所属タレントたちは参加しないので、各控え室で待機するようにとは、元マネージャーの伊地知潔高からの指示であったが、傑の相方ーー五条悟は、指示を無視する形で打ち合わせに着いて行ってしまった。
 きっと会議室には入られないので、ドア前でソワソワと待っているのだろう。どうにか会議内容が聞こえないか、必死に耳をそばだてているかもしれない。もしバラエティ番組で同じことをすれば、『内容が聞こえないか必死な五条悟』というテロップが出ていたはずだ。

「どうなると思う?」
「さあな。ただアイツの希望は通らない気はするが」
「悟曰く知っているのは一部って言っていた気がするけど」
「社長が知っているだろ」
「そうだった」

 同室にて、同じように新旧のマネージャーを待つ、女優の家入硝子に訊いてみれば、ため息混じりな意見が返ってきた。彼女の意見は言い得て妙で、納得してしまう。

 そんなやり取りを経て、控え室のドアが開いた。さてどうなったーーと、横目でドアを見れば、不機嫌な悟と顔を青白くさせた伊地知が並んで入ってくる。
 ああ、やはりそっちだったか。傑は考えていた可能性の内の一つを頭に思い浮かべた。

「どうだった?」

 自分にも関わる問題なので一応訊いてみる。

「悠仁と葵のマネだって」
「ふうん。私たちは?」
「変わらず伊地知」
「そうか。よろしくね、伊地知」
「は、はい!」

 伊地知が肩をびくつかせながら返事をした。彼の怯えようを見る限り、この道中で相当嫌味と文句を言われてきたのだろう。
 有り得ないんだけど。と、不貞腐れながら隣に座った悟と、可哀想なまでに身を縮ませている伊地知を見、傑は「仕方ないじゃないか」と宥めた。
 伊地知の名誉のために言っておくと、悟だって伊地知が嫌なわけではない。悟は、その人の得意分野を把握することに長けており、得意分野に対して信頼を寄せている。
 例えば、伊地知の場合は、物事の管理やサポート業務が得意だ。効率が良く記憶力もいいし、機転も利くので、上と下からの信頼も厚い。
 だから悟は、伊地知がマネージャーであることに不満を持っているわけではなかった。むしろ、サポートを任せるなら伊地知がいいと思っているほど。
 よって、今回の人事異動で、悟が会議を盗み聞きしたり、不機嫌になって帰って来たのは、完全に彼の私利私欲なのだ。
 
「ねー、こういう人事異動ってマネージャー本人の希望は反映されないの?」
「そうですね……まあ、仮にハラスメント問題などがあれば反映されるかもしれませんが希望とかは特に聞かれません」
「はあ……絶対に上のジジイたちからの嫌がらせだろ」
「幹部は知っているのかい?」
「……社長が言わなければ知らないはず」
「じゃあ嫌がらせではないじゃないか」

 傑が指摘すれば、悟は頭をガシガシと掻き回した。この様子だと、我らが社長は心のうちに留めてくれているのだろう。

「私たちの仕事量を考慮されて伊地知が良いと判断されたんだろうね。それにマネージャーが変わらないなんてことは珍しくないんだろう?」
「それはわかるけどさあ……」

 昨年の年末に行われた若手芸人最大の賞レースC-1にて、祓ったれ本舗は見事に優勝を飾った。まことしやかに囁かれていた、優勝後一年ないし二年は寝る暇もないくらいに忙しいという噂に説得力を持たせるほど、祓本の二人のスケジュール帳は真っ黒である。
 それらを鑑みた結果、優秀な伊地知を祓本から外すのは本意では無いと幹部が判断するのは妥当だった。
 更に言えば、四年に一度のサイクルで人事異動の辞令が出ても、必ず受け持ちのタレントが変わる≠ニいう訳では無い。引き続き担当するなんてことは珍しくもなかった。

「家だと全然会えねーの。せめてマネージャーになれば常に一緒にいれるだろ」
「私利私欲だな」
「あ? 喧嘩なら買うけど。つーか嫁に会うよりオマエらに会う方が多いってどういうこと? 俺達一応新婚だよね?」

 嘆息した悟はテーブルに向かって項垂れた。
 現状、新婚で尚且つ大好きな奥さんに会うよりも相方やマネージャーに会うことの方が多い。売れっ子芸人ならではのエピソードであるが、本人としては死活問題らしい。それこそ、勝手に人事会議を盗み聞きするほどには。

 祓ったれ本舗の五条悟が結婚したのは一年ほど前のことだ。
 お相手は、呪力舎にてマネージャーとして務める二歳年下の女の子。出会いは彼女が入社してきた頃で、悟いわく一目惚れである。それから紆余屈曲を経て、見事交際に至り、晴れて昨年結婚した。
 しかしこの結婚、呪力舎の中でもトップシークレットである。知っているのは社長の夜蛾を含めた極一部であり、幹部連中すら知らない極秘婚。理由としては、祓ったれ本舗の一部のファンによる暴走を危惧しており、様々な意見交換を経て、婚姻の公表はしないこととした。
 厄介なリアコを持っているのは傑の方だから、というのは悟の意見だけれど、念には念をという形である。
 祓本は言わずもがな、彼女だってマネージャー業務を担う忙しい身。それぞれのタレントに与えられたスケジュール通りに動くため、時間のすれ違いが起きてしまうのは必然的だった。
 だからこそ、悟は彼女にマネージャーをして欲しかったのだ。

「今日は会えるのかい?」
「一応な。硝子が離してくれればだけど」

 碧眼をジトリと細くし、向かい側に座る硝子に向ければ、彼女は面倒そうにタバコを咥えた。その顔には、巻き込むなと書かれている。

「悟。硝子だって仕事だよ」
「だって俺より硝子の方が会ってる時間多いじゃん。それにこの前なんかやっと時間が合うと思ったのに硝子が飲みに連れてっちゃうし」
「まああの子可愛いからな」
「硝子も煽らないよ」

 悔しそうにする悟と悠々とタバコの煙を吐き出す硝子に、傑は親指で額をかいた。伊地知を見やると、なるべく巻き込まれないよう気配を消しているので、自分も放っておいて良いかと傑がスマートフォンを開いた矢先、

「失礼します!」

 ノックと一緒に控え室の扉が開いた。
 フレッシュさを感じる爽やかで軽やかな声に、真っ先に悟が反応する。先程まで項垂れていた姿とは打って変わって、俊敏に席を立ち、瞬く間に駆けて行った。控え室に入った小さな体を勢いよく抱きしめる背中に向かって「悟、バレるからやめな」と、傑が一言だけ声をかける。

「いあももいまいた」
「うん、そのデカいの避けてからおいで」

 ぎゅうぎゅうに抱きしめられているせいで、発した声が服に吸収されてしまっている彼女に、硝子は呆れながら答えた。呆れの部分は主にデカいの≠ノ向けられているが。

「悟。仕事の邪魔をしないよ」
「はあ? 邪魔ってなんだよ。俺達新婚なんだけど。つーかこれくらい良くない? 滅多に会えないんだからさ」
「誰が入ってくるか分からないだろ」

 傑による説得の末、悟は不承不承大好きな奥さんーーもとい名前を離した。それでも手を繋いでいる辺り、半分以上聞き流したと見ている。しかしこれくらいならばまあ……と傑は伊地知に目配せをした。伊地知が渋々頷く。

「硝子さん、お待たせしました!」
「どうだった?」

 悟から開放された名前は、傑の向かい側に座る硝子の前へと趣いた。勿論、悟も着いていく形になるが、硝子は一度鬱陶しそうにしたあと、すぐに彼女に視線を向けた。

「硝子さんの他に、悠仁と葵≠フマネージャーも担当させていただくことになりました。それで今、七海さんと一緒に、おふたりに挨拶をしてきました」
「すごいじゃないか」
「硝子さんのおかげです!」

 喜色満面に笑う名前は微笑ましく、硝子は緩やかに口角を上げる。そしてサラリとした頭を撫でてやると、名前が更に顔を綻ばせた。一方、彼女の後ろでは、悟が絶句している。

「は? もしかして名前の担当二つ?」
「はい!」
「しかも引き続き硝子も?」
「はい、また硝子さんのマネージャーが出来て嬉しいです」

 震える声で詰める悟に、律儀に悟の方へと振り向いた彼女が嬉しそうに答えた。この温度差たるや、傍から静観していた傑が苦笑する。

「悪かったな、五条」
「は、はああああ?」
「こら硝子、煽らない」

 謝罪の言葉とは裏腹に、彼女を背後から抱きしめて悟を見やる硝子である。案の定「何抱きしめてんの!」と悟が憤怒するけれど、硝子からすれば、名前は、悟と結婚する前から可愛がっていたマネージャーだ。

「硝子絶対不正したじゃん! もしかして金詰んだ? 冥さんの力働いてる?」
「被害妄想だな」
「とりあえず悟は名前ちゃんの昇進を祝ってあげな。硝子も名前ちゃんのことを困らせないよ」

 大人しく硝子に抱きしめられたまま、悟と硝子の間でソワソワとしている名前を見、傑が声をかけた。間に挟まっている彼女が、捕獲された小動物に見えたのだ。
 硝子はフッと小さく笑い、漸く名前を解放した。次の瞬間には、彼女の体は悟の腕の中に仕舞われるのだけれど。
 先述の通り、呪力舎の人事異動では、マネージャーが変わらないことがある。祓本然り、今回の硝子然り。
 更に、ある程度マネージャー業務に慣れてくると、担当タレントを掛け持つことがあった。伊地知だって、祓本の他に担当しているタレントがいる。掛け持ちはいわゆる昇進であり、マネージャーにとって目出度いことだった。
 この度、名前は見事に会社側から認められ、硝子の他に駆け出しの若手芸人悠仁と葵≠受け持つことになったというわけだ。

「他には? どういう体制になったんだい?」

 よく頑張ったね、でも俺以外に付くのはムカつく。あと受け持ち二つになったら余計に会えなくなるじゃん。と、労いと呪詛を吐きながら頭を撫でる悟の横で、名前は「はい、私が把握している限りですが……」と前置きをして今回の異動について答えた。

 伊地知のサポートもありながら名前が答えた体制によると、元々芸人の悠仁と葵、某教育番組にて体操のお兄さん≠ニして活躍している灰原雄を担当していた七海建人は、この度、俳優の伏黒恵と灰原雄を担当することになった。
 新田明はファッションモデルの釘崎野薔薇とアクション俳優の禪院真希を担当。狗巻棘は、人気舞台俳優の乙骨憂太とジュジュチューバーのパンダを担当する。
 孔時雨は、引き続き、世界を飛び回るアクション俳優の伏黒甚爾につくので受け持つタレントは甚爾一人。
 他にも、呪力舎では『キンキラキン』と呼ばれるジュジュチューバーコンビや、庵歌姫という歌手、俳優の禪院直哉、女優の禪院真依、真人と漏瑚による『ジュレーズ』や、羂索と高羽の『ピンチャン』と呼ばれる芸人コンビなど、数多くの所属タレントが所属していた。

 このお話は、そんな大手芸能プロダクションに所属する祓ったれ本舗五条悟が、周りの人々にバレないよう、事務所やスタジオで大好きな奥さんとイチャつく物語である。