赤葦くんと幼馴染ちゃんの結婚式


12月5日10時30分
 このホテルは2階が婚礼用の美容室になっていて、新郎新婦の準備は勿論、来賓のヘアメイクもここで行うという。私が足を踏み入れるのは前撮りの時を含めて二回目だけれど、担当の美容師さんたちが前回同様とても優しくて緊張が少しほぐれた気分だった。

 美容師さんの案内で、美容室の奥にある部屋へと入り、大きな全面鏡の前の椅子に座る。京治はその手前のソファーに座って待機となるらしい。どうしたって新婦の方がお支度に時間がかかるので、その準備時間に新郎が時間を持て余してしまうというのは、予め美容師さんや介添人さんから聞いていた。
 実際、私はこれからメイクとセットをしてもらうけれど、京治の準備開始時間はまだ先である。

「名前、俺ちょっと挨拶してくるから」
「うん、わかった!」

 京治は美容師さんたちに「お願いします」と声をかけると、靴を履いて美容室から退室した。そろそろ私たちの両親や親戚がホテルに着く頃だし、今回披露宴の受付を担ってくれる共通の友人達も挙式に参列してくれるので、それらへの挨拶に行ってくれたのだ。

「素敵な旦那さんですね」

 ヘアセット担当の美容師さんが、私の肩と鎖骨にタオルをかけながら言った。感心するような物言いに、心の底から頷いてしまう。京治は私には勿体ないくらい素敵な旦那さんで、母親からも「よくぞ結婚した」と褒められるほど。まあこの場合、お母さんが褒めてるのは私じゃなくて京治なんだけれど。

「幼馴染なんです」
「へえ、素敵! 小学からとか?」
「はい、小学一年生です。私はその頃からけい……主人が大好きだったので、お嫁さんになれて嬉しいです」

 言ってからちょっと恥ずかしくなって姿勢を正した。鏡越しに目が合ったメイク担当の美容師さんの視線が温かくて、更に恥ずかしくなる。既にセットに取り掛かってくれている美容師さんの表情も微笑ましげで、顔を伏せた。メイクさんに顔の位置を戻されてしまったけれど。


















     
    ▲▽


 今日担当する新郎新婦さんは、赤葦家と名字家夫婦である。おふたりには前撮りの時に一度会っているのだが、このご夫婦がとっても可愛いのだ。新婦さんから新郎さんに向ける大好きオーラはさることながら、新郎さんから新婦さんに向ける表情も随分と柔らかい。
 幸せの絶頂と言わんばかりの仲の良さは新婚夫婦のそれだけれど、垣間見える仕草や雰囲気は熟年夫婦さながらで、付き合い自体は長いんだろうななんて思っていたが、まさか幼馴染だったとは。あの雰囲気も納得である。
 愛想が良くて人懐っこい新婦さん――もとい名前さんが、メイク担当に促されるようにして、旦那さんとのあれこれを教えてくれた。小学時代の運動会で助けてもらったこと、それからずっと好きだったこと、高校卒業と共に付き合ったこと、プロポーズの話など。
 名前さんは始終照れくさそうに、けれども幸せいっぱいな顔をしているものだから、希望通りのセットにするべく、コテでトップからベースを巻いたり、編み込みをしていた私までもがきゅんっとしてしまった。それはメイク担当も同じようで、ひと工程終える度に破顔しているようだ。
 名前さんから出てくるエピソードは、甘すぎる少女漫画で描かれていそうなものばかりで、もし私が少女漫画家だったら彼女をヒロインのモデルにしていただろう。

 名前さんの数多の幸せを分けてもらうこと40分、いよいよ名前さんのセットとメイクが終わった。これから名前さんには挙式用のドレスに着替えてもらい、その間に先程戻ってきた新郎さんのお支度に取り掛かる。とはいえ、男性の場合はヘアセットと着替えだけなので、さほど時間はかからない。

 名前さんのドレスはメイク担当に任せて、私は新郎さんのセットに取り掛かることにした。
 ドレスや着物着付け用の部屋から出て右に、美容室用の椅子が5個と1台のシャンプー台が置かれている。イメージとしては個人の美容室だ。ここで来賓や新郎さんのセットをすることが多い。
 新郎さんには既にタキシードのトラウザーズとシャツを着てもらったので、ジャケットに腕を通す前にセットをする算段である。
 椅子に座ってもらい、肩にタオルをかけ、予め温めていたストレートアイロンを手に取り、ブロッキングしつつセットしていく。本人は特にヘアセットの希望がなく、お任せで――との事だったので、今回の挙式用衣装であるオールホワイトのタキシードに合いそうな髪型にすることにした。
 名前さんに比べて、物静かな人だけれど、改めて観察すれば顔が整っている。いわゆる美男美女夫婦で、こちらとしては眼福である。

 セットしている間、新郎さんはスマホを眺めているようだった。変に動かれるよりはこちらとしても楽なので、この間に仕上げていく。
 スマホの中身をまじまじと盗み見るつもりは無いが、後ろに立ってヘアセットに取り掛かるとどうしたって画面が視界に入ってしまうもので、たまたま見えた光景に私は心臓を掴まれそうになった。
 新郎さんが見ていたものは、名前さんとのツーショットや名前さんの単独写真だった。スマホの画面に写る名前さんも新郎さんも随分と幸せそうな顔をしている。
 こちらのご夫婦、お互いのことが好きすぎる……。

 そうして出来上がったヘアセットに承諾を貰って、新郎さんにはジャケットに腕を通してもらった。肩の部分を整える手伝いをし、カフスボタンや手袋などの小物もあるべきところにセットして――身長が高くてちょっと大変だった――、いざ名前さんとのご対面である。

 先程の部屋へと新郎さんを案内し、ノックをひとつ。どうやら名前さんの着付けも終わっているらしい。ドアを開けると、真っ白いウェディングドレスを着た名前さんが立っていた。私は新郎さんに道を譲る。

「……名前」
「京治!」

 名前さんは新郎さんの姿を見、双眸を輝かせて「かっこいいね」と笑った。一方、新郎さんは名前さんの名前を呼んだきり、固まってしまっている。新郎さんが私の前に立っているので彼の表情は伺えないが、次第に名前さんがびっくりした顔をして、「京治……?」と心配そうに訊くものだから、ちょっと気になってしまった。だって名前さんの隣に立っているメイク担当もかなりびっくりしているのだ。一体なにがあったんだ。
 さてどうしたものかと、事の行き先を見守っていると、新郎さんが私の方へと振り向いた。え、ちょっと待って。
 新郎さんめっちゃ泣いてるんだけど。名前さんとメイク担当がびっくりしていたのは、新郎さんが泣いてしまったから……?
 案の定「あの」と言った声は震えている。思わず身構えた。

「妻のこと抱きしめてもいいですか?」

 しかし、新郎さんが泣きながら至極真面目そうに訊くものだから、肩の力は抜け、代わりに力強く頷いた。

 10時30分、「勿論です」と言った私の声は幸せに満ちている。




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