深淵 | ナノ


ある程度の自分が知るがままの未来が欲しいならそれがどんな道のりであったとしてもいつかは通る道なのである。路草も迂回も許されないのである。

第一、渡る教団に聖職者はないのだから。



29.闇



昨日の時点で人為的な可能性も疑っていない訳じゃなかった。何故ならイオンの具合に違和感を持った時点で私はそこまで気づいてなければおかしいからだ。不調に気づいたと豪語するのなら何がどうなっているかまで察してこそ気づいたと言えたからだ。
医者が患者の様子を見て何が原因かをきちんと当てる、正確に把握するように。

ただ、そうであってほしくないと思っていた。だから昨夜、この部屋だとか周りを見回したりなんかした。悪あがきとばかりに。周りに置かれた物に原因があったらそれを捨てれば済むのだから。こんなに穏便な手はないだろう。
なにとも争いたくない。人相手なら尚更。いつだって私は平穏を望んでいるのだから。

だけどこんな誘い水なんて聞いていない。
まさに手段を選ばずに来た訳だ。……やってくれる。


「あー…イオン、体調悪いのにいきなり抱き着いたりなんかしてごめん」

「別に、構わないけどさ……でもナマエ、」


けれども意外に私の頭は冷静だった。イオンから何事もなかったかのように離れられるくらいには、これからまず最優先に何をすべきかに頭を絞りなけなしの知恵回せるくらいには。後者に至ってはむしろフル回転だった。
結局死に続けたとはいえ偏にそうでなければ生きていられなかった人生ばかり歩んできたからかもしれない。

歪む視界は私がどれだけ今の生活を手放したくないと思っていたのかという心底の表れに違いなかったけれど、残念ながら構っていられる状況じゃなかった。とはいえ、けしてこのままが続く筈がなかったのだろうし続いて悪い事とは言いたくはないけど続かせるにはそれ相応の覚悟が必要だったのだろうから、こういう形で来た事を私は喜ぶべきだった。
不幸中の幸いであってけして諸手は挙げられないけれど。

原作――イオンのいない未来は、いつかは来るのだから。
もし本気で今のままでいたいのなら私は邪魔者を片っ端から壊さなければならないという事になる。原作の壊れる音をも聞きながら。

……確かに、イオンが私の治癒術でもどうにもならないようなやり口で今すぐ殺されるというのなら、もしかしたら私はそうしていたかもしれない。そう思う程に、私はイオンが大事だから。いつの間にか、そうなっていた。今までの自分の行動を振り返ってみると中々明白だったけどこう命を脅かされるようなぶあっつい壁を目の前に置かれると否応なしに自覚させられる。再確認と言ってもいい。

可能性を憂えども、そんな覚悟を背負い続けられる程強靭な精神が自分にあるとも思えないけれど。


「さっきのアレ、何」


イオンが疑問に思うのは尤もだ。あの謡長の娘を始め彼にだって訳がわからないだろう。ともすれば私がトチ狂ったとも勘違いされかねまい。…御免である。私無防備しかも無抵抗の相手いたぶって悦ぶとか、んなイカれた趣味持ってねーよ。

今の状況大袈裟に言い換えるのならこの絶体絶命の現状を把握してるのは今のところ私しかいない。しかも今のままでは私一人で何とかするしかない可能性大。てかそれしかない。
出来れば協力者が欲しい。私一人じゃいくら何でも限界がある。一応アテはある。あの人物ならイオンに関する事それも危機に力を貸してくれない筈がない。――たとえ誰が何と言おうとも。
だけれどもそうなると全てを明かす事になる。果たしてイオンがその延命策に頷くだろうか。いやここまで来たんだからもう洗いざらいで行くべきだと思うけど。いや私はやる。最悪イオンをはっ倒してでも私はやるぞ。

そしてアレとは勿論、数分前の私の前触れなしのマジギレ状態を指す。それなのに今の私の状態といえば正反対もいいトコだ。
そして上の人生で培わざるを得なかったからってまるで息をするかのようにごく自然に殺気を飛ばせるようになってたとかいう自分の人外さ具合に…いやこれは人外というよりは脱一般人?まあ何でもいいけれど、そんな自分に久しぶりに唖然として同時に呆れた。
私がどこかに人間と普通の人らしさ置き忘れてきたなんて人生ならぬ人外生、今に始まった事じゃないのにね。
ただそんな長さに比例して潜り抜ければ潜り抜ける程練られて否応なしに重くどす黒くなりゆく修羅場の空気完全にとばっちりでしかない娘に一瞬といえども浴びせかけたとか私何やってんのって話なんだけど。

あのイオンでさえも体調の悪さとはまた違った意味で具合悪そうに訊いてくるのが何とも言えない。


「……毒が、入ってた。料理……ニオイでね、わかった。仮にもイオンのご指名だしあの娘が犯人じゃないってのは私もよくわかってはね、いたんだけどね、卑怯な上何よりこんな怖いやり方で来るとは思わなかったから。だから何か頭に来ちゃったといいますか」


私の嗅覚が捉えた。実は今までにしてもこの世界に来てもこれに助けられた事のある私だった。出来れば間違っていてほしかった。でも間違いようがなかった。
たった一文字で終わる筈の漢字が現実として口に出すまで、出すだけなのに、何故だかどうしてこんなにも重い。


「……毒、」


流石のイオンもこんな強引な手で排除しにかかってくるとは思ってなかったんだろう、息を呑んだ。

そして結果的に、私は友達を、また仲間で教え子で何より家族を殺されかけた事にこの毒殺、手前で済んだけれども、殺されかけた事に違いのない事だった。

私には元より光より闇に適性があった。でも、それを差し置いても今まで蓄積されたまたもはや脱け出せないところまで来てしまっている二回目人生の文字通りの地獄やこの世界に来ても猶職業柄か推進力を得続ける弱肉強食の倣いが、私に暗い願望を抱かせる。ヤツは所詮地位があるだけで戦闘能力は無きに等しい。きっと私が手を薙ぐだけでその首を斬り落とせる。そんな考えがつくくらい、少なからずそう出来たらいいのにくらいけくしている時点で、また、久しぶりに私がどんな世界を生きてきてどう染まったかに思い当たった。思い当たって、愕然とした。
これは生前ただの一般女子高生で死んじゃって肉体的には変化しても精神的には私の時はそこで止まったままだから血腥い世界なんてと嘯きながらそっぽを向こうとする者の思考では、ない。


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