深淵 | ナノ


これがある種私の肉体から来るモノだけでは説明のつかない闇とも言うべき某かなのかもしれない。


「モース様はどうあっても――」


結論を言おうとして、私に宿っているのかどうか甚だ疑わしいがしかし平生よりは明らかに目から光が消えた筈のそこに畳み掛けるように何らかの負の感情がよぎったにも違いない。仕方がない。たった十数分前、犯人、モースは私にとってある意味総長以上に警戒に値すると、更に言えば少なからず仇敵と見定めてしまったのだから。それなのに原作に必要な人物な事もあって私は何も手を下せない。詮ずるところ復讐なんて以ての外であって、言ってしまえばやられっぱなしのままで、殺意は上手く呑み込まなければならなかった。その葛藤の結果が私のその目だった。
イオンは私のそれを見て、再び、仮にも自分の生死が関わっている筈の先よりも酷く息を呑んでいた。

今は状況整理をすべきであって私が苛々していていい状況でもなかったため、私はきちんと呑み下して、続けた。
緩んだ空気にイオンが息をついたのがわかって、落ち込んだ。仮にも戦い慣れてる人間を相手に緊張走らせる程私って脱一般人してたんだっけ、と……。

今更だろうに。


「イオンを、死なせたいんだね。預言通りにする、したいがために。あの人が直接やったまたは誰かに命じたっていう証拠はないけど……多分、そういう事なんだろうね」

「アイツはそういう奴だよ。じゃあ、ここ最近調子が悪かったのは…」

「毒だね。一気にやる、致死量を一度に混入させた場合日を特定出来るから足もつきやすくなるって事で毎日微々たる量でじわじわと…まさに真綿で首を締めるってこの事だよね、予想だけど」

「…ムカつく。全然気づかなかった。でもよく毒が混ざってるだなんてわかったねナマエ、流石だよ」

「ま、まあね」


犬並なので。


「それにしても…毒にしてもその量を調節する手口にしても、随分といやらしい手で来たものだね」

「きっといくら預言遵守を名目にしてるとはいえ導師を殺したともなれば如何なモース様といえどただじゃ済まないからだろうし……まあ生死が絡む時点で秘預言なんだからそのある意味最強の大義名分も一部を除いて言い訳には出来ないだろうけど」

「…そう簡単にやられてやるつもりはないけどね」

「いやいや気持ちはわかるけどイオンさん、毒になんて人体の場合まず勝てないからね」

「何かその言い方だとまるでそれ以外の生き物なら耐えられそうな言い方だよね。魔物の事を言ってるの?」


おおっと。


「あ、いや。まあ確かに人間よりは耐性ありそうだけど。ええっと、こ、こんな事なら毒に耐性つける訓練も修行の一環に入れとくべきだったね。…毎日毒入り、いやむしろ毒仕立てフルコース食べ続けるとか」

「……ナマエって時々僕の予想のナナメ上を行くよね」

「エ、そ、そう?」


お(略)だけどぶっちゃけ何と二回目で経験済みで毒中りや毒殺されるくらいならってんでどっかで特訓してそして大して強くなってもない時調合失敗してマジで死にかけた事すらある。人間じゃないのに。

お互い修羅場には慣れてる方だ。私はあまりに長く多い生と経験から、イオンはその狙われやすい立場から。
私がそのイオンをも凍りつかせる程に空気を縛ったとか考えるとまあ鬱な訳だけど、だからこそお互い普段の調子に戻るとイオンに至っては命を狙われかけた後にも拘わらずこうして比較的容易にポンポン会話が運ぶ。
本当は殺伐とした会話であろうともっとイオンとこうしていたいのが私の本音だ。

私だと死ぬどころか人間が思い付く程度のモノなんて物ともしない肉体が勝手に打ち勝つしたとえ負けたにしても治癒術でどうにかするから毒味したところであまり問題はなかったのだろう。そうはいっても身体に異常を来すのは嫌なのでそのまま朝食はあの娘に下げさせたから今はもう確認のしようはない。

だけどだからこそそんな今、気づいた犯人が次にどんな手で来るかわからないのだ。
…モースの手下どもが大挙して攻め寄せてきたら私が傍にいる時はまだしも今のイオンにはとてもじゃないが捌ききれないだろう。流石に今すぐはないと思いたいけれども、


「……ナマエ?さっきもだけど、あんなに殺意に塗れていたのに、何でまた――泣きそうな顔、してるの」

「だって、……」


しかしそれは、イオンをこの地から一刻も早く逃がすべきなのだという事。
そして即ち、私とイオンの――永遠とは言わなくとも良いだろうし絶対に言いたくない事でもあるけれど――別れをも、表すという事。

けれども私は母の事があるからこの地、ダアトを離れる訳にはいかなくて、その気もやっぱりなくて。このままイオンとどこへなりとも逃げてしまえばたとえ逃亡生活になろうともきっとこれから色々なコトが起こるであろう教団に留まるよりは厄介事に巻き込まれずに済むと、わかっているのに。

私はこの世界に来てから惜しみ無い愛情を注いでくれたお母さんを母としてきちんと敬愛していて普通に好きだし、何よりお母さんにはアリエッタのいるイオンと違って今は私しかいないから。…祖母はトンズラ、片割れは雲居、父は……まあ、あんな状態だしね。
だから私はイオンより母、シルヴィアさんを選ぶ。そしてきっとその優先順位は、父、が母の許に戻ってきでもしない限り、私の中でこれからもひっくり返る事はないのだろう。

そしてそんなアリエッタがいるイオンだからこそ、私は今から提案し且つ絶対に押し通さなければならない。提案だけど是のいらえ以外受けつけられない、それ。

彼女こそが、私がさっき考えていた協力者だった。


「あのさイオン、いきなりだけど落ち着いて…いや怒らないでか。聞いて、ほしい」

「何?改まって」

「イオン…このままここにいたら、正直言って、危ないと思う。今回は未遂で済んだからまだ良いけど、現実的に見て四六時中私が張ってる訳にもいかないのはわかるよね。……だから」


息を深く吸って、私は意を決した訳である。

眉間の両隣に強く八の字が刻まれているのは、わかっていた。
だけど、この後私が告げた一言がこんなに辛いモノになるくらいなら。

どうしてあの時あの11年前、私は超振動まがいの事故を引き起こしてしまったのかと、そう思わずにはいられなかった。


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