南柯の夢2
「その後どう?体調の方は」
珍しく心配するような台詞に、眼前の雇用主をまじまじと見つめてしまった。 それを察したかのようにパソコンから目を離し、じっとこちらを見てくる。いや申し訳ない、けど普段不遜な態度を取っているのは貴方じゃないか。
「……まあ、変わらず。薬はまだ飲んでますけど」
答えるも、何も返事は無い。いつものことだ。いつものことだけど、なんなんだ一体。 その雇用主―折原臨也の元で、私は小遣い稼ぎをしている。諸事情により戸籍が無いも同然の私には、こんな頭のてっぺんから爪先まで怪しいで固められた人間のような所にしか仕事は無いのだ。ちなみにもう一つの『健全なほう』はお隣さんの娘の家庭教師である。不定期非常勤。
「今日は……そうだね。ここと、ここ。宜しく。移動方法は昨日と同じでね」 「はい」
書類を渡されると同時に、自分の携帯にメールが入る。依頼内容の詳細メール。終わったらこのメールに返信して、その日の業務は終わり。 何をしているかというと、まあ、簡単に言えば『受け子』みたいなものだ。 今日みたいに臨也さんから書類を預かって届けたり、逆に臨也さんに届けたり。 言われてはないけど、中身は一切見ていない。
「架月ちゃん」 「はい?」
この人は大して私と仲良くする気もない癖に、私のことをちゃん付けで名前を呼ぶ。 冷静に考えてちょっと気持ち悪いのに、顔が良いからか違和感は感じない。 こういうところだよなあ、この人の胡散臭さって。
「今夜暇?一緒に鍋でも食べようよ」 「えっ、キモ」
けどこれは流石にキモかった。
「新羅のことは?」
2人きりでの鍋はさぞかし居心地が悪く無言が続くのだろうと覚悟を決めていたが、今日の臨也さんは饒舌だった。 いや、よく考えたら元々こういう人か。仕事中は必要最低限しか話さないだけで、初めて会った時はうざいくらい話しかけて来た気がする。 その時はいっぱいいっぱいで、あんまり覚えてないけど。
「熱っ。……なんですか、新羅さんのことって」 「好きだったよね?」 「グッ」
もやしが気管支に入りかけ、必死で咳き込む。早めに収まったからいいものの、タイミング的にも赤っ恥だ。新羅さんの前じゃなくて良かった。
「オッサンと恋バナとか本当にキモいんですけど……」 「俺はまだ24だよ」 「それ、嘘ですよね。新羅さんと同い年でしょう」 「うん」
うんて何だうんて。特に必要ない嘘をつくな。
「まあいいじゃない。他に話せる人も居ないんだしさ」 「だからって貴方には話したくない」 「嫌われてるなあ俺」 「だって、貴方には気をつけろって」 「新羅が?」
黙って鍋をつつく。それを見た臨也さんはふーんと声に出して妙に納得し、なるほどねえと自らの箸も鍋の中へと伸ばす。
「俺も似たようなことをしてた頃もあったけど。宗教みたいだよね。新羅教」 「……五月蝿いな」 「進展はあったの?」 「ある訳無いでしょう」
よく見たらこの鍋の肉牛肉だ。牡蠣も海老も入ってるし、なんか基本的に高級感がある。味わって食べよう。 私の返答に臨也さんは見るからにつまらなそうだった。そんな顔をされても。
「顔にメス入れようって考えるような女の子が、そんなに保守的とはね」 「入れたくて入れた訳じゃないですけど」 「そう?俺にはそう見えたよ。お陰で新羅にも会えた。もっと君は俺に感謝すべきじゃないかな」 「事の発端も貴方の所為ですよね」 「俺はレールを敷いただけ。その通り進んだのは君の意思だ。責任転嫁は良くないよ」
なんとなく初めて話した日を思い出してきた気がする。そうだ、こんな感じだった。 こんな感じで、人の神経をいちいち逆撫でするようなことばかりつらつらと並べる人だ。お願いしてもないのに人の言動に赤ペンを入れて、心臓にサクサクとナイフを刺す。反論をしても煙に巻かれるだけ。 絶対この人友達居ない。……いや、居たか……一応。
「俺はね、君に期待してるんだよ。あの新羅が君にどういう態度を見せるのか。果たしてあの運び屋との関係は変わるのか否か」 「もしかして寂しいんですか?」 「は?」
初めて『何を言っているのか分からない』という表情を見せた。それだけで胸がすっとし、ちょっと満足してしまう。
「唯一の友達をセルティさんに取られて、寂しいのかなって」
私の言葉を聞いて臨也さんは少し考える素振りを見せた。 人の事には異常なくらいのめざとさで心を射るのに、自分のこととなると考えなくちゃ分からないらしい。意外と可愛らしいところもあるじゃないか。
「いや。そうじゃない。まず俺が知り合った時には奴は既に運び屋にどっぷりだったしね」 「あ、そっか」 「ただ……、運び屋の存在を知る前は、確かに、新羅がどこを見ているのかは興味があったかな。それが人間だったらもっと良かったんだけど」
いつの間にか鍋の具材は無くなっていた。臨也さんは細身に似合わずよく食べるようだった。 ご馳走様でしたと手を合わせ、牛肉に感謝する。美味かった。
「洗っておいてくれる?」 「勤務時間外なんで」 「冷たいなあ。俺の奢りなのに」 「……じゃあ、牛肉分だけ」
お椀を流しながら、手術の日のことを思い出した。 あの時は精神がぐちゃぐちゃで、私を覗き込む新羅さんは心配の色など一つも無くて、まるでハンバーグを切るみたいに私の皮を削いでいた。無論手術中の記憶は無いけれど、そんな印象を受けて、私は少し、
「(うれしかった)」
私のことを無機物みたいに見るあの目が、術後あっけらかんと詳細を私に話すあの声が、私の血で真っ赤に染まったあの手が、私が生きてきた人生の常識から酷く外れていて、官能的だった。 お腹の底がジリジリと疼いて、すごく、興奮した。
「ねえ。やっぱり期待してるからさ。色仕掛けでもなんでもして、あいつを変えてみせてよ」
皿を持って隣に立つ臨也さんは、完全に面白がっているようだった。
変わらなくたって別にいい。 例えセルティさんのことを好きじゃなくなったとしても、私が好きなのは、あの時の新羅さんだ。 記憶の中の像である限り、消えないし、満たせない。
「お断りします」
どちらにせよ、私に救いはない。 きっとずっとこんな仕事に縛られながら、日々をやり過ごすんだろう。
私の夢は叶わない。 新羅さんに、もう1度顔を刻んで欲しいなんて夢は、きっと。
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