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旧男子寮の一室に灯りが見える。
いつもなら、既に眠っているはずの時間に煌々と灯りがついている
兄がこの時間まで起きていることは計算外だった。雪男はそれを確認するや否やはぁと溜息を吐いて、一瞬中に入るのを躊躇した。
(きっと怒っているだろうな...)
兄の性格は熟知している
自分の言動がおかしいことをどんなことをしても聞き出すに違いない
それに今日は皆の前で感情を露わにしてしまった。
顔を合わせるなり、自分に問いただしにくるだろう
その上任務のことを話すとなれば...
これから待っている兄による尋問を思うと気が重い。
はぐらかすのは簡単だった
以前の自分ならば。
だがあの真っ直ぐな瞳で、問い詰められると今の自分ではいちいち胸を締め付けられてどうにもこうにも対応に困る
明後日の朝には、ここを出る
長期間とどまることも考えて荷造りをしなければいけない。
(こればっかりは、避けられないな...)
兄が眠るのを待っていては時間がないと雪男は諦めて再度大きく溜息を吐くと傘を畳み寮へと足を踏み入れた。
濡れてズシリと重くなった分厚いコートを脱ぐと雪男は身震いした。
そういえば、あれから微熱が続いている
いちいち測っていられないがなんとなく身体が熱いのはそのせいだったと冷えきった身体をタオルで拭きながら思い出す。
あれこれ考えているうちにいつのまにか406号室の扉の前にたどり着いた。
意を決して扉を開けると、ペンを持ったまま机に突っ伏し眠っている燐が目に入った。
開いた窓から雨水が入り込んで机の上を僅かに湿らしている
(こんな所で眠って...)
そう思いながらも、これで、今日のところは兄による尋問は避けられそうだ。と雪男は胸を撫で下ろした。
物音を立てないように静かに近づき窓に手を伸ばした時、眠っていた燐が微かに呻き声をもらした。
怖い夢でもみているのだろうか
窓を閉めると大きめの鞄を引っ張り出して荷造りをはじめた。
燐の眠りの深さは長年寝食を共にした雪男自身がよく知っている
ちょっとやそっとでは目覚めないだろうと思いながらテキパキと荷を詰めていく。その時だった
机から、燐の持っていたペンがカツンと音を立てて床に転がった
「ゆき...お」
はっとして振り返る。
荷造りの手を止め固唾を呑んでその横顔を凝視する。
名前を呼ばれ、内心ドキリとしたが起きる気配がない
しかし、燐は苦しそうに眉を顰め小さく呻き声を漏らしている。
まさか起きやしないだろうかと再度燐の方に目をやる
すると、燐の表情がみるまるうちに険しくなるとぎゅっと閉じた瞼から一筋の涙が頬を蔦い落ちた。
兄が泣いているーー
子供のように無垢な兄が何かに怯えるように夢に魘されて
(...兄さん)
兄の唇に初めて触れたあの夜のように、熱いものが胸の奥底から湧き上がる
大丈夫だと言って
この腕で抱きしめてやりたい
眉間に皺を寄せて悪夢に魘され涙を流す兄を見て雪男は胸の奥をぎゅうと掴まれるような感覚に陥った
触れたくともそれは許されない
僕たちは兄弟だ
胸が疼き、歯痒さで身体がバラバラになりそうだ。それを鎮めるように雪男は唇を噛むと燐の頬に伸ばしかけた手を引っ込めた。
羽織っていた上着を燐に被せてやるとその背中を抱き締めるようにして自身の身体で覆った。
まだ、迸った身体がとくとくと響いて軽く握った燐の手に伝わりそうだ。
(恐れることなんて何もない。兄さんは僕が守る、何にかえても)
しかし、今の自分にはこれくらいしかしてやれないーー
後ろ髪を引かれながらも雪男は荷物を持って部屋を出た。
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