物語2・10(ゼノン)
 ぎらついた太陽の下、眩しく輝く海の上で航海中の豪華客船が一隻。

「ゼノン殿下こちらをどうぞ」

 不規則な揺れに耐え、潮風に吹かれながらどこまでも続く水平線を眺めていれば、白い口髭を上向きにそろえた男に声をかけられた。

「ありがとう」

 襟に指をかけ身なりを整え、勧められた酒をそっと受け取る。
 男はシーラの国務大臣、ルイス・ベガだった。
 国産であるこの酒によほどの自信があるのか、これは西の山で収穫できる特別な木の実を使っているのだと大臣はグラスを空へかざし目を細めていた。
 そのように言われては飲まないわけにもいかず自分も酒を口へ含んで舌を転がせる。
 確かに香ばしさのようなものを感じる。
 一番上の兄が好きそうな味だ。
 素直に意見すると、彼は肥えた腹を撫でながら土産にどうぞと笑い、次いで俺の隣にいる男へと目を向けた。

「公子殿下もいかがかな」
「殿下は違いますので、アルウェスなりフォデューリなり気軽に呼んでください」

 殿下という敬称に苦い表情をするアルウェスが、青い礼装の袖を正して首を振っていた。
 緩く結わえた長い金髪が動きに会わせて揺れている。
 出発前にこっちのほうが絶対に良いとミスリナに三つ編みを所望されたうえ髪をグシャグシャにいじり倒されていたのは今思い出してみても面白い。

「しかし貴殿も王族ではあるまいか」

 思い出し笑いでニヤついた自分の顔をよそに、また違う理由でニヤついたであろう表情のベガを見て、これは話が長くなりそうだと酒をもう一口含む。
 外国の大臣に血筋や家柄を探られるのも慣れているアルウェスは、ハハハと笑いを返していた。
 こうした場で王侯貴族がする話題の数などたかが知れている。

「私は気楽に生きている身ですので、おこがましいですよ。婚姻もすべからく自由になりましたしね」

 このあとに来る内容を察知していたアルウェスが先手を打った。
 ベガの身分を確かめるような質問、ようは彼は結婚について聞きたいのだろう。
 そうそうそれ、と貴族にしては珍しく何も隠そうとしない反応で前のめりになるベガに思うのは、シーラは裏表のない人間が多いのかという感心と心配である。

「若き天才、麗しの貴公子を国が手放すようなことをなさったとは、よほど徳をお積みになられていたのかね?」
「貴公子って歳でもないですよ」
「それか、これからも王国内にとどまるよう約束されたとかかな?」

 しつこいなぁ、とでも思っていそうな顔で大臣からこちらに視線を移して訴えてくるアルウェスに、俺は酒を飲むのに忙しいのだとグラスに口をつけて無言でただひたすらに二人の会話を見守る。

「外国に行く気はまだないと?」

 ベガはギラギラと目を光らせている。
 確かにしつこいなこれは。

「外国ですか……」

 アルウェスは外国という言葉に悩む素振りを見せた。

 貴族の男が国を出て外に生活を移す。
 国にもよるが、貴族間では血が第一という考え方がある。
 子孫を残していくという点ではまずそれが頭にくる。

 しかし国内の貴族に限定していくと血の交わりの度合いが上がり、近親婚率も上がり血が異様に濃くなってしまうため、外国の血を混ぜることもある。
 あくまでも由緒正しい血であればよいため、外国の貴族であれば問題はない。
 なので家柄が良しとされれば嫡男でない限りは他国に暮らしを移すことも珍しいことではなかった。

 他国の血を混ぜるより血が近すぎることのほうが問題とされているのは、近い故にペスト(いたずら)という子供が生まれてきてしまうためであり、なるべくならそれを避けたいからである。

 ペストの別名は未成分児。

 母親の体内から出てきた時に胎児が結晶化、また液体化していたりする現象のことをさす。
 近親婚の水型と火型であれば水蒸気化して生まれてしまうという記録もあった。
 詳しい原因は未だ分かっていないが、家系図をたどると血が濃い者同士のみの胎児にそれが起きているということが判明したおかげで、その事例は現在少ない。

 アルウェスも生まれた直後はペストなのではと疑われていたようだった。

「いやぁ。結婚したい人は自分で決めさせてくれとお願いしただけです」

 何も詮索してくれるなというアルウェスののらりくらりとした態度と表情に大臣はひるまず構うことなく、婚約者がいないのであればシーラの女性はどうかと侯爵家や伯爵家の名前をつらつら上げだした。
 社交界では日常茶飯事である会話だがこうも自分の前でその話をされると、遠回しに俺へ早く身を固めろと言われているような気がしてならなくなる。
 単なる被害妄想だと理解しているが、チラチラとこちらに視線をやってくる大臣には、さすがにこっちを向くなと言いたい気分にもなるだろう。
 ただでさえ自国の宰相や大臣にまでせっつかれているというのに。

「おや、ではうちの娘はどうですか。器量はどこの誰にも劣りませんよ。――――本日のカーロラ王女には敵いませんが」

 ベガはそう呟くと、船上の中心に輝く純白の花嫁に目を向ける。
 俺たちも今回の主役である女性へと視線を変えた。
 アルウェスは眩しいものを見るように微笑みを湛え、シーラ王国の大臣の言葉にうなづいていた。

「ええ、ごもっともです」

 アーランド記、三六六九年。

 シーラ王国第四王女であるカーロラの結婚式は、今日この日、コックウィル海域を目指したこの船の上で執り行われていた。

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