捕まえた魔物がついに口を開いた。
貴女になら話してもいいと言っている。
そんなことを昨日の夜所長づてに聞かされて、なんで名指し? と不思議に思いつつも、翌日の今日、私は王の島シュゼルク城の地下にある拷問部屋へと来ていた。それにしても城の門番に所長から手渡された登城許可証を見せたとき「まだ許可証必要なんですか?」と門番のお兄さんに目を丸くして言われたのは何だったのか。
さておき、ここは城の地下。
この拷問部屋についてあえては詮索しないでおこう。私はただ与えられた役目を全うするのみである。
とはいえ、おどろおどろしい、何に使うのか聞くのもはばかられる道具たちを横目にびくつきながら、私は件の魔物を前に仁王立ちで構えていた。
薄暗い拷問部屋には私と、天井から吊るされた鳥かごのような檻に入れられている黒い霧状態の魔物だけで、騎士団長や他の騎士は部屋の外で私たちの様子をうかがっていた。
壁にあるランプの灯りがゆらゆら揺れている。
『これをどうぞ』
『む、鞭……?』
ゴンザレス・ピーニャッツという拷問を担当している騎士の男性からは黒い鞭を渡されていた。
その場で試しに床をバチンと打ってみたが、いったいこれで私に何をどうしろというのか。
魔物が口を割らなかったら使えってことなのか、魔物が襲ってきたら使えってことなのか、魔物が逃げようとしたら使えってことなのかとか想像が広がるが、私は魔法使いなので何かあったら魔法で対処しようと考えるのをやめた。
「……」
魔物と話すっていっても、ごきげんようとかこんにちはとか、とうぜんそんな雰囲気ではない。
私に話すとか言われたから、かれこれ一時間こうして腕を組んで突っ立って今か今かと構え続けているのに、拷問部屋に入ってからずっとこんな風に無言状態が続いていた。
拷問を受けていたから傷ついて疲弊して話すことができないということならしかたがないとなるけれど、私がこの部屋に入る前ピーニャッツさんへ向けてペチャクチャ悪態をついていたのが聞こえていたのでこいつが元気であることはバレバレである。
なにこれ。
今日休日返上できたんですけど私の休日返してほしいんですけど。
言っておくが私も暇じゃないんだ。
魔法陣作りの続きをしたかったし、新しい服を買いにも行きたかったし、無事赤ちゃんが生まれたという行きつけの店の店員さんに贈る花を選びに行く予定だったのに。
拷問部屋に魔物と二人きり。
外からは監視されている。
これじゃあどっちが拷問受けているんだかわからない。
「アノ男はオレの魔力を取り込んで一時的に己の魔力をなくしている」
「へぇそうなんですね。……え?」
突っ立っていても暇なので豆の補充しなきゃとか肉づくりのことに思考を移し油断していたら、おもむろに魔物が口を割った。
聞き間違いとか空耳じゃないかと思って聞き返すも、舌打ちされて一回しかしゃべらないとか言われた。
なにこの魔物。こっちなんて一時間も待ってやったんだぞ。
魔物相手にムキになっても仕方がないので私も舌打ちし返すだけにとどめる。
「契約も何も、全部アノ男が一人でやったことだ」
「あんたはあいつに呪いをかけてないの?」
拷問の人に罵詈雑言吐いていた魔物とは思えないくらい冷静で落ち着いた声だった。過去に戻っていた時に対峙したあの荒々しい態度とも違う。
魔物なのに人と話しているようだった。
うひゃひゃと不気味に高笑いしていたのがウソみたいである。
「オレがそそのかしたのに違いないが呪いを込めてかけたのはアノ女だ。それを男のほうが魔力を吸収し呪いを変えた。オレの魔力を吸収するなど、アノ人間はなんなんだ」
「さ、さぁ」
気味が悪いとでも言いたげな声色で訴えられる。
私からしてみればある意味どっちもどっちなのだが、吸収と聞いて、私は以前ゼノン王子が話していたのを思い出した。ロックマンが幼くなった時のことだ。
『魔力がおさえられず、生まれる時も母親の魔力を吸収しようとして母子共に危なかったらしい』
このことが関係しているのかはわからないけれど、自分で新しい魔法をいくつも作り出す能力がある男だ。何をしても、何を知っていてもおかしくはないだろう。
「女はオレとの契約通り、やることはやった。死ぬことはあるまい。だが男はあのままだと早死にするだろう。違う力が体に流れているとはいえ、瀕死の状態がひと月に一度は訪れる」
「ひと月に一度……まさかあれきりじゃ?」
あの黒髪になる現象はまだ続いているというのか。
あれからまたああいう状態になったとか誰からも聞かないけれど、もしかしてあいつ隠していたのか。そんな重要なことを。
たぶん生活や仕事にギリギリ支障が出ていないから皆気づいていないんだろうがそんなのダメに決まっている。
尋問の時にしばらく屋敷に帰っていないと言っていたので宿舎か別のどこかで過ごしているのだろうが、んんん、もうなんでこんなことを私が心配しなくちゃいけないんだ。
いや、でも、普通そう思うだろう。
ゼノン王子なんてこれを聞いたら絶対に怒るはずだ。
「それって治せないの?」
「氷の血を持つオマエたちが、オレをあいつの身体から祓ったように祓えばいい」
「……本当に? それだけで?」
簡単すぎて怪しい。
「オマエは自分の傷や他人の傷を治すのが苦手だろう」
「は、え、いやそれはまぁ、っちょ……なんで知ってるのよ!?」
「当たり前だ」
当たり前?
確かに学生のころから治癒の魔法だけはからきしだった。どんなに努力をしてやっても一定以上の効果は出せず、人に自分の傷を治してもらうほうが断然に早かった。治癒の先生も、治癒苦手なのに喧嘩をするなと怒られていた。
私に治癒の才能がないことはわかりきっていたけれど、自分の欠点を世間様にさらけ出すほど命知らずな女ではない。それなのにこの魔物は私がそうだと見抜いている。
「氷の力はオレたちに、特に知恵をつけたマモノ、シュテーダルに近い物体に対して恐ろしく力を発揮する。その力を削ぐため、オマエたちには種を減らすための呪いがかけられている。怨念に近いだろう」
氷の始祖も同じようなことを言っていた。
シュテーダルによって火と氷の間には子供ができない呪いがかかっている。
それを聞いたとき私は、火と氷がイチャイチャしていたからってただの逆恨みで嫌がらせみたいな呪いをかけてなんてはた迷惑な奴なんだと思っていただけで、それが根本的というか、氷の血を根絶やしにするようなものだとは思っていなかった。
それならじゃあ、私たちが気がついていないだけで他にも呪いでできないことがあるのかもしれない。
治癒の能力が弱いのは氷の自己再生を防ぐためで……あれ、もしかして、私の制服に魔法が効かないようになっているのってそのせいだったりするのでは。
無茶するからとか所長は言っていたけれど、あの生成水、これを見抜いていたかもしれないのでは?
ありがとう、ハーレ・モーレンさん。
私は生成水へ向けて両手を合わせた。
「そのぶん、オレたちを祓うのには強い。他の魔法使いができなくとも、オマエたち氷の力を持つものであればアノ男の状態をよくすることができるだろう」
「なんで私に話してくれたの?」
「……」
最初みたいに黙ってしまった。
聞きたいことは聞けたから別にいいとして、気になった。私はこの魔物をここへ追いやった張本人である。私が氷の血を持つからといっても騎士の中にも氷型はいるわけで、なんで自分を独房へぶち込んだに等しい人間をわざわざ呼んだのだろう。
この黒い鞭を使うことにならなければいいが、何か企んでいるんじゃないかという疑いは消えない。
「いい恋とは何だ」
理由を考えていた私だったが、魔物がこともなげに発した言葉に目をぱちくりとさせる。
いい恋?
「オマエがオレに言ったんだ」
言ったけども。
よりによってそこに疑問を持つとは思っていなかった私は少々、いやかなりビックリしている。
そこが気になって私を呼んだのか。
というか魔物が疑問に思うっていうのも変な話ではあるのだけれども。
『あんたもさ。次はもっといい恋しなよ』
そんなことを知りたかったのかと思うと同時に、シュテーダル、この知恵をつけた魔物にとっては大事なことだったのかもしれないとも思いなおす。
きっと、そんなこと、なんかじゃなく。
この魔物になんでそんなことを言ったのか、自分が一番わかっていたはずなのに、失礼なことを考えてしまった。
過去で魔物に取りつかれたロックマン少年を抱きしめた時。
あの時私は、次にシュテーダルがするなら、こんな恋ができればいいなと思ったんだ。
「相手が自分の思うとおりにならなくても、心から好きになって良かったって、思えるような……かんじ?」
途中から言っていて恥ずかしくなった私は、頬をかきながら魔物と向き合う。
こういうのもっとベンジャミン先生に教わっておくんだった。彼女ならもっとうまく話せるだろうに。
「シュテーダルがしていたのは「恋」なのか?」
「たぶん」
「そうか」
この魔物はいろんな人間に憑依していたせいなのか、人間の感情というものをそこいらの魔物よりずっと深く理解しているようだった。
恋、と魔物に語りかけたところで「そうね恋ね」と返してくれる魔物なんてこの夢見の魔物くらいだろう。
恋がわかるのかと聞けば、取りついた多くの人間がそれについてうだうだ悩んでいたのを見てきたのでそういうのは粗方理解できるのらしい。
「滅ぼしたいほど憎んでるのに、求めるって不思議だなぁ。他の型を呪おうとは思わなかったのかな。もちろんダメだけども」
「馬鹿か貴様。アノ女がオマエではなく男のほうを呪ったのと同じだろうが」
「?」
いい恋とは何かを教えて優位になった気でいたのもつかの間、とてつもなく重要な感情について魔物より理解が劣っている気がしてならなくなった。
好きな人を呪うって、なんでなんだろう。
その理由を聞いたら、私もその感情を理解できるのだろうか。
なんだかそれも怖いような気がした。
モヤモヤを抱えながらも、とりあえずピーニャッツさんと騎士団長へ魔物に話されたことを報告したのち、私は城を出た。