いや、今が一番大事
この時期は本当に嫌だと、承太郎はつくづく感じていた。
所狭しと並んだ参考書や、カリカリとペンの走る音。本のページをめくる紙のざわめきや、人間のため息。
そして。


「承太郎ー助けてーもう限界だーっ!」

激しく机にシャープペンをたたきつけた花京院は髪をぐしゃぐしゃとかき乱しながら叫んだ。
そう、学生が追いに追われるこの試験やら入試やらが、承太郎は激しく不快だった。
ここぞとばかりに宣伝を繰り返す塾に、まさにすがる思いの親も子も、自らの行いを正そうとせずにただくだらない知識を脳に刻み続ける儚さも酷く馬鹿馬鹿しいのである。
花京院はくしゃくしゃに乱れた髪にシャープペンを突っ込んでかき乱したり、瞳に嫌悪感から来る涙を浮かべたりしていた。

「…そんなもん覚えたって何にもなりゃしねぇだろ。」
「君の口からそんな言葉聞きたくないね。僕だって、覚えたくて覚えてるわけじゃないんだからな!」

花京院はもう一度テーブルの上に開いた参考書や教科書から、公式をひっぱりだして、数式をといた。
果たして去年の自分はこんなものだっただろうかと、承太郎は頭をひねって考えたが、こんなに手を焼いた記憶は無いと、花京院がにらめっこを繰り返していた参考書を奪い取った。

「あのな、花京院。こんなのは公式を当てはめりゃいいだけなんだ。それができたら苦労してないって言いたそうな顔するな。いいか、これを使え。やってみろ。」
「君の頭脳と一緒にしないでくれ。なんだよ、転校したばかりの頃は知らなかったけど、君って結構成績良かったんだろう?」

花京院は恨めしそうに言って、承太郎の教えた公式を当てはめていく。勿論、承太郎の言うほど簡単にはできないものの、ゆっくりと問題を消化し始めた。
承太郎は煙草に火をつけて短く吐き出しながら思い返してみた。
不良という謂れも無い――と承太郎は思っている――レッテルを貼られていたからか、それともただ友人との外出という概念が無かった為かはわからないが、自分はさほど勉学に梃子摺った覚えは無いのである。
勿論、見た目で口を尖らせる教師達を一蹴するためにそれなりの勉学はしてきたが、今の花京院程なにかに追われる生活はしていなかった。
目の前で唸りながらペンを走らす彼の姿が、一年前の自分の姿とは想像もできずに、承太郎は困惑してしまった。
その間に花京院は小さく「できた。」と声を上げて次のページをめくり始めている。

「簡単だろう。」
「簡単、では無いけど。まあ、できたよとりあえず。」

花京院は導き出した答えを提示することはせずにもくもくと問題を倒しに掛かる。
こうすると承太郎の入る余地はなく、まさに彼の世界は数式とペンの走る音だけで構成されてしまう。

「おい、花京院。」

三日後に迫った試験のせいで、ここ二週間余りまともな会話をしていない。
手の付けられていない冷めた珈琲だけが机の上にぽつんと寂しげに取り残されていたのを見て、承太郎は微かな親近感を滾らせたが、花京院はさらりとそれを口元に運んでいった。
珈琲の表面が、まるで自分を嘲笑うが様にゆらゆらと揺らいでいる。

「ッチ」

小さく舌打ちをしてソファーに寝そべりながら雑誌を手にする。
最近良く目にする、初回三百九十円の雑誌である。簡素ながらになかなか詰まった雑誌で、承太郎はしばしばその雑誌を買ってきてはソファーの上で珈琲を飲みながらそれを味わっていた。

大学入試を控えた花京院の気持ちは痛いほど解っているつもりだった。自分の狙う大学があるならなおさら、彼はそれに懸命になったし、かくいう承太郎も、志望校に入るために面接の根回しに足が棒になるほど走り回ったこともあったのだ。

真剣に問題を解いている花京院の顔は少し前髪に隠れてしまっていたが、それでもキラキラと輝いている。
承太郎は彼のその表情が何よりも好きだった。

「ねぇ、承太郎。」

走らせていたペンをぴたりと止めて、花京院は顔を上げた。
どこか清々しく明るい表情は難問をクリアして喜びに満ちた微笑で、彼はそのまま三日月を描く唇を開いて言った。

「この問題がおわったらさ、海を見に行かないか?」

花京院の提案に、承太郎は少しだけ驚いて目を開いた。
花京院はちょっと困ったように、一休みなんだけど。と呟いて、首をかしげた。

「だめかい?」

承太郎は一瞬ためらったが、首を縦に振った。だめなわけがあるかと、思い、今度は口に出して「かまわない」と呟いた。

「ああ、良かった、気分転換してから、今度は英作文に取り掛からなければいけないんだ。」

花京院は晴れ晴れとした表情で言った。
花京院の英語の評価は、残念ながら五段階評価のニである。アヒルの数字である。
つまりそれは承太郎に手伝ってくれと暗に言っているわけであり、承太郎は落胆した。
海まで車で行けば十分だろうか。三十分くらい散歩に使ったって、承太郎は明日丸一日オフで自宅に篭っている。
花京院はそれを知っていて、多分朝まで承太郎をこの酷く退屈な試験勉強につき合わせるのだろう。

「おい、お前、そんなにテストが好きか?」

「いや、大ッ嫌いだ。でも、今が一番大事な時期だろう?」

承太郎はやれやれと、お決まりの台詞とため息を吐き出した。



end




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