「では──推して参る」

 蟷螂は勢いよく石畳を蹴り、カフカの首を狩ろうと飛びかかった。大抵の人間は次の瞬間、首と身体とを斬りはなされて絶命する。それが蟷螂が「首狩りの蟷螂」と呼ばれる由縁だ。
 しかし、生憎今回の標的はただの人間ではない。人の常識を凌駕する力をその身に宿すニードレスなのだ。

「──カンダタストリング!」
「なっ、」

 首を狩るために鋭利にとがった蟷螂の爪は、肉を裂くことも骨を断つこともなく虚しく空を斬った。蟷螂はとっさに石畳の終わりにそびえる鳥居を見上げる。
 満月を背にして、鳥居の笠木の上にカフカが佇んでいた。両手の指先からは細い糸が伸びており、彼が立つ笠木とその下の島木に糸が巻き付いている。

 カフカのフラグメント、それが「カンダタストリング」だ。これは『蜘蛛の糸』にて、地獄に堕ちた罪人カンダタに向けて釈迦が垂らしたといわれる糸であり、カフカはこれを指先から自在に放つことが出来る。
 たかが糸と侮るなかれ。このカンダタストリングはとんでもない強度の斬糸であり、時に岩を砕き、時にビルを真っ二つにする代物なのだ。

 カフカは蟷螂が飛びかかる寸前に鳥居の笠木と島木にカンダタストリングを繰り出し巻き付け、その糸を縮めて鳥居に飛び乗り、蟷螂の爪を回避したのである。

「貴様のその爪は刀のように鋭いのだろうが、このカンダタストリングの前ではそれも意味を成さない」

 すう、とカフカは片手を上げて指先を己を見上げる蟷螂へと向ける。今度は蟷螂がじり、と後退する番だった。その様子に、にたりとカフカの口元が弧を描く。

「何故ならこの鋼鉄の斬糸を断つことが出来るのは、術者である私か、或いは神だけだからだ!」

 無慈悲にも蟷螂へ向けて鋭く糸が放たれた。蟷螂は糸を避けようと後ろに跳ぶ。

「ははははは!無駄だ!」

 カフカは地から足を離した状態の蟷螂に向けて、もう片手の指先からカンダタストリングを放った。跳躍の動作の途中である蟷螂にそれを避ける術はない。

──殺られる!

 糸が標的である蟷螂の心の臓を貫かんとしたまさにその時である。

「蟷螂殿!」

 境内を取り囲むように生い茂る樹々の間から、小さな陰が飛び出した。そのスピードは目で追うのが困難な程で、小さな陰はあっという間に蟷螂を担ぎ、すんでのところでその場を離れてカンダタストリングをかわす。
 標的を貫くことが叶わなかったカンダタストリングは代わりに石畳を貫き粉々に破壊した。辺り一帯に砂埃が漂う。

「……あ、あっぶねえ」
「済まん、助かった。蝶々」
「いやいや、蟷螂殿が無事で何よりだぜ」

 蟷螂は己を担ぎ上げている仲間へ素直に礼を述べた。安堵したような表情には命が助かったからというだけでなく、相手が余程気心が知れた仲だという事実が含まれているようだった。

 鳥居の上のカフカは蟷螂を助けた存在に目をやる。
 あまりにも小さい。それが第一の感想だった。まだ十にも満たない幼子のような体つきのその男は端に蝶々の飾りがついた鎖を身体の一部に纏い、袖のない露草色の服装をしていた。背には蝶々の羽を模した飾りが施され揺れている。
 小柄な体格と蝶の飾りが男を可愛く見せているが、だからと言って警戒を怠るカフカではない。

 平然とカフカを殺しにかかった蟷螂の仲間ということは、その小さな男もそういう類の人間ということなのだから。
 そもそも子供のような身体のその男が、平均的な成人男性の体格の蟷螂を事もなげに担いでいるのだから、警戒するなという方が無理な話だろう。
 爪を凶器へと転じて見せた蟷螂と同様に、彼もまた何かしらの能力を持っていると見ていいはずだ。

「貴様も真庭忍軍とやらか」
「おうよ」

 蟷螂を下ろした小柄な男は、怯むことなくカフカを見上げる。そこには無鉄砲さは感じられない。確かな自信、カフカの力を見ても怯んでいない様子が窺える。

「真庭忍軍十二頭領が一人、真庭蝶々だ。あんたも忍か?」
「忍ではない。アークライト様に仕えるニードレス、カフカだ」
「にーどれす? なんだそりゃ?」

 先程の蟷螂と似たりよったりの反応だ。そこからカフカはこの地が日本ではない異国なのではと考えたが、しかしそれなら言葉が通じるのはおかしな話だ。
 ブラックスポットの外の世界であるシティはブラックスポットより文化・文明が発展しており、ここのような古めかしい寺社や豊かな樹々が残っていることなどごく稀である。
 ならば立てられる仮説はおのずと限られてくる。

「殺す前に聞いておく。ここは日本か?」
「あ? 当たり前だろ」
「そうか。じゃあ今日は何年何月何日だ?」

 いきなり日付を確認しだしたカフカに蝶々は呆れた顔をしたが、元々人がいいのだろう、彼は親切にも質問に答えた。

 カフカにとっての今日の日付より400年ばかり前の日付を。

「やはりそうか……私は過去へ来てしまったのだな」

 信じがたい話ではあるが、カフカはあっさりそれを飲み込んだ。彼はブラックスポットの住人ということもあってか、高い適応力をもっているらしい。

「なんか分かんねえけど、もう再開してもいいのか?」
「ああ」

 己が欲する情報を難なく手に入れることが出来たカフカは、話を打ち切るように指先を小さな標的へとかざした。

「カンダタストリング」

 五指から放たれた鋼鉄の糸は敵を葬らんと、矢を射るような速さで飛び出す。間を置かずして地を破る轟音が静寂を裂き、辺り一帯に咳き込まんばかりの砂塵を生み出した。
 砂埃に阻まれ、カフカが蝶々の生死を確認出来ずにいた時である。彼は自分の繰り出している糸に僅かな揺れを感じとった。それに気をとられていると、砂埃の中からひとつ飛び出すものがあった。真庭蝶々である。

「な……!?」

 彼は鳥居の上に立つ一直線状にカフカへと突進してきていた──カフカが繰り出したままのカンダタストリングの上を走って。
 あと数メートルでカフカへ到達するというところで、蝶々は足場にしている糸を蹴って一跳躍し、その勢いのままカフカを殴り飛ばした。
 鈍い音と共に、カフカの身体は宙へと投げ出される。重力によって身体が落ち行く先に待ち構えるのは、硬い石造りの階段である。そんなところに身体を叩き付けられようものなら、全身の骨が砕けてしまうだろう。

「……くっ!」

 しかし予期した末路は辿ることなく覆される。カフカは石段の両脇に生い茂る樹々を利用し、柔軟性をおびた糸を蜘蛛の巣状に四方へ広げ、そこへ着地してみせたのだ。
 口角から流れる血を拭うこともせず、彼は自身がついさっきまで佇んでいた鳥居の上に立つ真庭蝶々を睨み上げた。

「貴様、何故糸の上を駆けることが出来る?」

 いくら小柄とは言っても、いくらカンダタストリングが強度を備えていると言っても、人が細い糸の上を走るなど出来うるはずがない。

「忍法足軽。俺の忍法は重さを消すことが出来るんだよ。あんたのその細い線でも、俺には充分な足場になるわけだ」

 どんなに重いものも持つことが出来、どんなに不安定な場所──水の上ですらも立つことができる。それが真庭蝶々こと『無重の蝶々』の忍法である。

「あんたの忍法もなかなかだな。その蜘蛛の糸、敵じゃなければ俺ら虫組の傘下に招きたいところだ」
「忍法ではない、フラグメントだ。……その虫組とやらは貴様と蟷螂の二人のみか?」

 蝶々は子供のような体格にはよく似合う、悪戯が成功した童子のような表情を浮かべた。カフカはそれから嫌な予感を感じとる。しかし、もう遅い。
 虫組による仕込みは既に終わっており、今この時にも狙いは彼に向けられていたのである。

「──忍法、撒菱指弾」

 カフカは突如右の肩口に衝撃と、自分の肉が貫かれたのを感じとった。とっさにそこを押さえながら右方向へ視線を巡らせる。
 石段の脇に植えられた樹々の間から、カフカと変わらないくらいの長身の男がゆっくりと姿を現した。

「虫組は蟷螂さんと蝶々さん、それから僕の三人なんですよ」

 項で結われた長い黒髪。蜜蜂の頭を模した被り物。袖のない黒と黄色の縞模様の服、身体の一部に巻かれた鎖。腰にはその長身に見合った太刀がさされている。

「蟷螂、蝶々に続いて今度は蜂か……」
「真庭忍軍十二頭領が一人、真庭蜜蜂です。貴方の力、なかなか厄介そうだったので、蝶々さんに気を取られているうちに撒菱を撃ち込ませていただきました」
「撒菱?」

 そこでカフカは指の間から、服を貫き己の右肩に食い込むものを見やった。鋭利な刺が外側へ伸びている小さな鉄の塊を。それが蜜蜂の武器の一つ、撒菱である。
 『刺々の蜜蜂』のこの撒菱の刺には返しがついており、一度刺されば容易に抜けぬ代物なのだ。

 撃ち込まれれば確かに痛みは伴うが、しかしそれだけでは殺傷能力など無いに等しい。こんなもの、脅威でもなんでもないとカフカは思った矢先、彼の全身に鋭い痛みが走った。

「な……」

 なんだこれは、と口にするのもままならない。成す術もなく、彼はがくりと膝をつく。

「……ぐっ……毒、か……」
「ええ、そうです」

 蜜蜂はゆっくりと、膝をついたカフカとの距離をつめていく。

「僕達真庭忍軍は暗殺が専門。殺すに至らない武器など、持つわけがありませんよ。とは言っても今回は任務の関係上、致死性のものではなく身体を動かせなくなる程度の毒を使っているんですがね」

 すらり、と刀と鞘が擦れあう音が響く。太刀が抜かれたのだと、顔を伏せているカフカにもそれが分かった。

「蟷螂さん、蝶々さん。止めは僕が刺しても?」

 どうやら三人の中で一番長身な蜜蜂が最年少らしい。彼は律儀にも先輩の忍達へ伺いたてる。石段の最上段から後輩を見守っていた蟷螂と蝶々は、それぞれ頷いた。

「私は構わん」
「つかお前、殺る気満々じゃねえか」
「念の為に聞いたんですよ」

 これから人を殺めようとしているというのに、なんとも軽口な会話が流れる。
 カフカはうなだれた姿勢のまま、身じろぎ一つしない。漆黒の髪がまるでベールのように彼の顔を覆っていて、表情は窺いしれなかった。

「さて、と。全身に毒が回ってさぞかし苦しいでしょう? 今その苦しみから解放してあげますよ」

 首を落として、ね。と蜜蜂は両手で握った太刀を空へかざす。天を向いたその刃は、それから間もなく、容赦なく、躊躇いなく振り下ろされた。

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