act 32

「では、時間は今から一時間ですので……。大丈夫です。山道などではありませんし、ちゃんと矢印も置いてありますし、子供でもない限り間違えたりしませんよ。え? もし道を間違ったらどうするのかですって? さぁ……、大体ここを利用する方達は、あなた達の様な恋人同士の方か、記念日などに訪れるご夫婦の方などで……。間違える心配はないかと思われますが……。まぁ、もし道を間違えますと、危険と言うか、このホテルの敷地ではなくなってしまうので、そう言う意味で危険なんでしょうか……。まァ、でも大丈夫ですよ。あなたの様なしっかりとした方ならば、そんなにも心配する事もないでしょう。では、いってらっしゃいませ」

40代の腰のひくい男性が微笑んだのを手をあげて礼をし、
しばらく額を覆っていた沖田が、数歩歩いてため息をついた。そして又、歩きだした…。

「俺は大丈夫なんですがねェ……」

自分の左側に専用の居場所を作っている場所に、その影はない。
沖田は、ほんの30分程前の事を、今更だが、少々後悔していた……。

.............


「じゃァ、私はゆっくり温泉に浸かりに行ってくるアル」
満面の笑みで、部屋を出て行こうとする神楽の背を見ながら沖田はため息をついた。
それもそのはず、軽く冗談で流していた混浴だったが、入れないと分かると、どんどんと恋しくなってくる。
大体、何が楽しくて恋人と温泉に来ているのに、一人で楽しまなければならないんだと、こう言うものは、一緒に入ってこそだろうと……。考えているうちの沖田のテンションはどんどんと下がっていった。確かに初めは神楽に喜んで欲しいと思う一心での事だったが、どうせなら自分も楽しみたい。そして下心丸出しなわけではない、が、それには神楽がどうしても必要だった。少し早めの紅葉も、冷えてきた体に浸す熱めの温度だって、二人だからこそ喜びは倍になるんだろうがと……。

「はァ……。やってらんね」
とうとう沖田にこんな台詞まで吐かせてしまった。ある意味神楽と言う存在は、改めてみても凄いと確信できた。
畳の上にゴロンと寝転がり、天井ばかりを見ている。神楽は今頃、目を爛々と輝かせているのだろうと思えば、悲しくさえなってくるじゃないか。確かにいつもは仕事にかまけていて、神楽に散々寂しい思いをさせてきた。その度が過ぎた所為で子供まで出来てしまった。しかしどうだろう。仕事と言う枠を取っ払ってしまえば、自分が思ってたよりずっと、神楽と言う人間を、こんなにも欲している。
それは確かに下心もあるけれど、きっとそれだけじゃない気がした。

「ね〜。温泉に行かないアルカ?」
声がした方をぼんやりとした気持ちで見てみると、とっくに行ってしまったと思っていた神楽の姿があったので、沖田は驚き、体を起した。
「なんでェ。まだ行ってなかったのか?」
「だって、お前何か落ち込んでるって言うか、温泉に入りそうな雰囲気じゃないって言うか……」
なんてこった。見てない様で、やっぱりコイツには分かっちまう……。
沖田は自重じみた笑みを見せると、神楽は側に寄ってきた。
「――じ、じゃぁ、一緒に入ろうって言ったら、ちゃんとお前入るアルカ?」
勢いよく沖田は目を見開いた。
「マジかよ」
「そ、その代わり、絶対Hな事は禁止アル」
そんな口約束など、後で何とでもなると沖田は真顔で頷いた。
神楽はしょうがない奴と言いつつも、嬉しそうに笑った。

部屋を出て行った二人の後、テーブルの上に小さなホテル内のチラシの様なものが見えた。そこには時間単位で混浴を堪能できると言う新システムが新しく導入されたとの事で、沖田がずっと見ていたものだった……。



時間厳守。そして歩いて行かなければならない……。
そう説明を聞いている沖田と神楽だったが、まもなく説明が終わると同時、また子からの着信が入った。
道は分かっているし、すぐに追いつくから先に行っててと神楽は沖田から離れた。が、本当に大丈夫だろうかと沖田は心配で仕方ない。あの神楽と書いて馬鹿とも阿呆とも呼べる人間だ。何かしでかしそうで不安でしょうがない。しかし確かに途中分かれ道があるだけで距離も5分程で着く場所ゆえ、矢印を守っていれば間違えようのない場所だと。もし間違っても引き返す程の知能は持っているだろう。

そう沖田は、神楽の言葉どうりに先に行くことにした。
携帯を持ちながら話す神楽の様子は、遠目で見ても嬉しそうで、それでいて幸せそうで……。

ただ、限られた時間ゆえ、頼むから長電話だけはしてくれるな、そう沖田は背を見せた。



……To Be Continued…

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