act 40

神楽の小さな喉が、ひくりとなった。今しがた、口から出てきた言葉を、彼女は、まだ信じられずにいる。
でも、その瞳の中には、しっかりと映っていた。
「おき……」
言い終える前、彼女の声は、かき消された。
沖田がその腕に、神楽を抱きしめた。

間違いない、このぬくもり、この匂い、この感触……。

見る見る間に、神楽の顔が、くしゃりとゆがんだ。

「おきた……っ・・・・・」

そして、途切れそうな儚い声が、沖田を呼んだ。
神楽の言葉に、沖田からの声は、帰ってこなかったけれど、よりいっそう、その抱きしめる力を強くさせた。
静かに瞼を閉じて、彼もまた、今ここにいるであろう、腕の中の温もりを、実感し、かみしめている。

沖田の胸のなか、こらえきれなくなったように、神楽は嗚咽を吐き出した。一気に流れ落ちる涙は、あっという間に、沖田の服を濡らしていく。あの時みたく、服はボロボロにされていて、あの時みたく、神楽の体は誇りまみれ。でも、今度こそ、沖田は、神楽を助ける事が出来たのだった。





ひんやりと、冷たい感触がまた子のおでこに触れた。
それは、いったん離れ、今度は頬へ。
その感触は、とても優しくて、気持ちが良い。
彼女は、この手を知っていた。
気まぐれに、でも愛おしく、自分だけにふれる、この温度……。

また子の瞼が、ゆっくりと、あいた。


「しんす……」

大きな瞳が開くと同時、彼女は飛び起きようとする。
でも、それを、大きな掌がとめた。ゆっくりまた子の体は、その腕の中へと戻された。
急に、動いたせいだろうか、また子の思考はゆらゆらと揺れる。だからゆっくりと、視線だけ動かしてみた。
薄暗くて、ここは、まださっきまで、居たあの場所に、間違いない。でも……。

あの汚い幾つもの手じゃない。
このぶっきらぼうで、でも、温かいこの手は……。



いっきに、緩んだ視界、そして気持ち。間違いなく、彼は、今ここに、居た。また子の視界に、高杉がいた。

泣き声にまみれながらも手を出そうとしたまた子よりも早く、高杉は、ぎゅっと、彼女を抱きしめた。
彼の服のなか、また子の嗚咽が、ひっきりなしにと、あふれてくる。
彼女の体は冷たくて、震えている。

「すまねえ」

なぜ、もっと、この腕の中の女の事を気にかけなかったのだろう。
沖田と言う人間が、神楽と言う一人の女を守るように、誰よりも、この女の事を、まもらなければならなかったはず。

こうなる事が予想できなかった。けれど、それは理由にはならない。沖田の様に後悔する事ないように、自分こそが、守ってやらなければならかったはずだった。
高杉は、そっと、また子の頬へとふれた。
その頬は、反対とはくらべものにならないほどに、腫れあがってしまっている。


それは、また子が、神楽を助けようとしたあの時、あの瞬間、神楽を救った瞬間の証。




聞こえるか、聞こえないか、そんな微かな高杉の言葉に、また子は、ゆっくりと首をふる。
腫れ上がった頬を、ひくひくとさせ、平気……そう笑った。
高杉の指先が、優しくその頬をなでる。また子は、気持ちよさそうに掌にすりつけた。

「よく、頑張ったな」

高杉の一言に、また子の気持ちが、一瞬で、崩れた。
くしゃりと、させたかと思うと、高杉の首に、めいっぱい、抱きついた。
また子の長い金髪の髪は、ほこりまみれで、ボロボロで、からんで、指も通らない。
でも、高杉は、また子の髪を、ゆっくりと、とかしてく。



愛おしい……。彼が、そう思った、瞬間だった。






…………



「悪かった」

ずっと、神楽に、言いたかった言葉。
腕の中の神楽が、沖田を見上げた。

一言じゃ、おさまらない気持ち。でも、どうやって、伝えればいいのかが、沖田には、分からない。
あまりにも、神楽に対して、酷い事をしてきたと思っていた。

守ってやれなかった。それも二度も。
助けたかった。助けてやりたかった。今度こそ。
あの時、あの瞬間、もう二度と、こんな事をさせない。
そう自分に誓って、だから懸命になって、探し出した。

でも、間にあわなかった。

二度も……こんな目に……。

「俺は……」

一体、何のために……。
全部、目の前に居る、女のためだったはず。
でも、現実に、映る神楽の姿は、ボロボロで……。


神楽の小さな掌が、沖田の顔を包み込む、コツン。おでこをくっつけた。


「ありがとう。守ってくれて、来てくれて……ありがとう……アル」



鼻先を、くりくりと沖田にすりつける。


「お前は、ちゃんと守ってくれたアル。助けてくれたアル」

そう言うと、僅か数センチの間を、神楽は自分からうめた。
雨水と、ほんの少しの泥臭さが、二人の口内に交わった。
でも、それでも良かった。この冷たい雨の中、やっと、感じる事のできた温度に触れられる。


「私の声……届いたアルか?」

ずっと、ずっと、心の中で、叫んだ声。
届いてほしい。そう願っていた、音のない声。




あぁ、そうか、あれはやっぱり……。
沖田の心臓へと、いくつもの聞こえてきたあの声。
あれは、まぎれもなく、神楽からのメッセージ。

擦り傷だらけの、冷たくなった唇に、沖田はもう一度、熱を加える。
じんわりと、その温度が伝わっていくのが二人に分かった。






……To Be Continued…

 act 39

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