46.《紙一重の幸せ》


付き合い始めても、彼とは暫く身体の関係が無かった。
彼のことを"お兄ちゃん"と呼び慕っていた時期が長かったし、兵団にいた頃はごくたまにしか会えていなかった。ただ一緒に居るだけで良かった。
だけどより深く愛されるようになると、今までと比べようがないくらいに彼を大事な存在だと思うようになった。
それから数ヶ月後、再び私はお腹に子を宿した。
オリヴィエの子を。


『順番……逆になってしまったね。店の繁忙期が終わればすぐ式をと予定を調整していたのに』

封印を解き、再開させていたニットのベビーソックスの最後の段を編み終えて顔を上げた。

『赤ちゃんは授かりものだし、私は気にしてないわ。それに、お腹が大きくなる前なら結婚式できるんじゃない?』
『そうだね。でも正直僕は妊娠中の君に式の準備で負担かけたくないんだ。そう思う一方で、一日でも早く君と夫婦になりたいと思う自分もいる。だからアサギ、安定期に入ったら入籍しないか?式は子供が産まれて落ち着いたら、子供も一緒に家族皆でしよう。子供の友達も呼んだりして、うんと盛大な式にしよう!』

返事の代わりに頷いて流した嬉し涙が、彼の胸元のシャツにじわりと染み込む。
こんなに幸せな未来を予感して胸踊らせたことはなかった―――



『じゃあ、診察が終わったら街の広場で待ってて。僕も仕事終わらせてから向かうから』
『分かったわ。じゃ、また後で。行ってきます』

妊娠4ヶ月を過ぎた頃だった。
産婆さんに診てもらって、安定した状態だと言ってもらえたら、入籍しに二人で役場へ行こうと広場で落ち合う約束をした。
それでも、産婆さんに診てもらってる間は前の流産のこともあるし、心配で心配で……

『ママの不安はお腹の赤ちゃんにも伝わるものよ。リラックス、肩の力を抜いて。赤ちゃんは健やかに育ってるみたい、だからママも心配し過ぎないこと』
『はい……。じゃあ、もう安定期ってことですか?』
『妊娠に"安定期"なんてないよ。比較的安定してて初期流産の可能性が低くなった時期のことね。もう少ししたら胎動が始まると思うから、また赤ちゃんが動くのがわかり始めた頃にまたいらっしゃい。……あ、そうそう、食欲に任せて暴飲暴食しちゃあ駄目よ?あまり太ると産道が狭くなって難産になるから。あと、貧血気味みたいだから鉄分を…………――』

有り難い"お説教"を散々聞かされた後、ようやく解放されて待ち合わせ場所に向かう。今回産婆さんから渡された、妊娠の診察状況を記録した手帳をカバンから出して眺めながら歩いた。前の妊娠では、この手帳をもらう前に流産してしまったので、手帳をもらったことが嬉しくて堪らなかった。
やっと、ママになれる。やっと、赤ちゃんに会える!
"ママになるアナタに"と書かれた表紙に、なんだかこそばゆい感覚を覚えた。早く、彼にもこの手帳を見せてあげなきゃと、近道をしようと路地に入ったとき、角で若い男と肩がぶつかった。

『っ、すみません』
『いってぇな……すみませんだと?そんなんで許されると思ってんのか?あ゙?!』

ほとんど肩が触れたくらいだったのに、こんなに激昂するなんて、明らかにおかしい。
歳は二十歳前後、やせ形で一見普通の若者。服装は不潔でなく、路上生活者には見えない。
ところが、いちゃもん付けてくるその男とは別に、いつの間にか背後に他の男二人が私の逃げ道を塞ぐように立っていた。
私としたことが、完全に不覚……
一人の図体がいい男に口を塞がれると、私は男三人にそのまま路地の空き家へ、まんまと引きずり込まれた。


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