32.『二つの影』


「毎度、ありがとうごぜえやす」


支払いを済ませ、紙袋を店主から受け取ると、真鍮のドアベルを軽やかにカランと鳴らし店から出た。
道路脇に少し残る程度にまで雪を溶かした太陽は、街をオレンジに染めて今、壁の向こうへ沈もうとしている。
この雪融けで濡れた路面が翌朝には凍結するのだろうと、白い息をつきながら、冷たい北風に身を縮こませてはコートの袷を手繰り寄せ、帰途についた。
日が暮れ、寒さが増す前に兵団宿舎へ帰りたかったリヴァイは、速歩(はやあし)で馬を急がせる。
ところが、ちょうど街を抜けたところで、馬が勝手に減速して停止した。



「オイ、何してやがる。夜になっちまうだろうが」



馬の腹を足で軽く刺激し発進を促すも、動かない。
怪訝そうに見遣れば、馬は一点を凝視しており、それは森の入り口―――暗い小道に一頭の馬が立ってこちらを見ていた。

あの馬、どこかで見覚えが……

よく見ると鞍(くら)にコートが引っ掛かっている。



「―――……アサギっ!」



何故この時アサギが思い浮かんだのか分からない。
彼女の馬をハッキリと見た記憶もあまりなければ、コートだって馬からかなり離れているから誰の物なのか分かるはずもない。
ただ――考えるより先に直感が働いた。

その馬はこちらを見ると再びに森へ入っていき、リヴァイも無意識で馬を走らせて暗い森の中へと導かれていった。


何があったのだろう……
怪我をしたか、
倒れたか、
それとも獣にでも襲われたとか


それがアサギだという確証もないまま、寒さなどすっかり忘れて、嫌な汗を手にかきながら必死で手綱を握り、奥地へと誘われていった。
そうこうしているうちに、頭をかすめて飛ぶコウモリと、狼の遠吠えが夜の始まりを告げる。
相当な距離を進んで来たが、何の手掛かりもなくて―――このままでは森を抜けてしまう。


ただの取り越し苦労だったか……


諦めて引き返そうかと手綱を握り直した時、細い小道の向こうに人影を見つけた。



「アサギ?……アサギ、なのか?!」



少しずつ近づいてくるそのシルエットに違和感を感じ、一瞬、人違いであったかと首をかしげる。
髪型が著しく異なっていたから。
でも、それは紛れもなくアサギで―――



「アサギか?お前その髪……」

「……っリヴァイ、兵長……これはッ、えっと、」

「まぁいい、狼の声が近くなってきた。ずらかるぞ。餌になりたくなかったらこっちへ来い」

「え?あっ……」



走っていて、完全に息のあがっているアサギが話し終わらないうちに、リヴァイは軽々と片手で引き上げ、自分の前に横乗りに座らせた。
すると、鞍があるせいで安定が悪いのか、それとも体が触れているのが嫌なのか分からないが、アサギは座るなり前を向こうともがき始めた。
だがこの危機迫ってる時に、そんなことしている猶予などあるはずもなく――



「あのっ、 座り直します、わっ!」

「後にしろ。降り落とされたくなかったら、黙って捕まってろ!」



やにわに鐙を蹴って発進させると、反動でバランスを崩したアサギが、顔面からリヴァイの胸に倒れこむ。
森の舗装されていない道を、かなりのスピードで走らせたために揺れが酷く、体がリヴァイに押し付けられたまま、為す術もない
アサギは大人しく彼にしがみ付くしかなかった。

そんな彼女は、薄手のブラウスだけの寒そうな格好で、走っていて体が温まっていた分、余計に体が冷えて風邪ひいちゃいけないと思ったリヴァイは、自分のコートを片手で開けてアサギをその中にすっぽりと迎え入れた。



「リヴァイ兵長……、」

「黙ってろと言ったはずだ、舌噛むぞ」



ぶっきらぼうに言い、アサギを黙らせる。
しかし、彼女はというと、リヴァイから厳しい口調で言われながらも、彼の強引さの中に不器用な優しさを感じて、逆に気持ちが和んだ。



「ここまで来りゃあ大丈夫だろ」



狼は去った。そしてアサギの馬も、いつの間にか居なくなっていた。
リヴァイは速度を落としてゆっくりと歩かせ始めると、大人二人乗せて悪路を走ってくれたことを労い、馬の体を擦ってやる。



「馬にもお優しいんですね」

「……あ゙?」



『優しい』とか言われると、気恥ずかしくて、つい反抗期の子供のような態度をとってしまう。
そんな自分にほとほと呆れながら、話題を変えてアサギの方に向き直った。



「それよりお前、アサギよ。何だその頭は」

「昨晩切りました。以前、リヴァイ兵長が切れとおっしゃったので」

「……」



……言った。確かに、俺は切れと言った。

だが、本気で言ったワケではないし、ここまで短く切れとも言っていない。
どう弁解したらよいのか言葉を探していると、アサギがからりと笑って沈黙を破った。



「冗談です、どのみち切るって決めてましたから。リヴァイ兵長が言ったからではないので安心してください」

「……てめぇ、上官をからかうとは良い度胸だな」

「それより、リヴァイ兵長は森で何してたんですか?」

「それはこっちのセリフだろうが!俺はお前の馬みてぇなのを森の入り口で偶然見かけて、妙な胸騒ぎに背中を押されるがまま追い掛けてきたんだ。そしたらお前を見つけて……今に至るといったとこだ。肝心のお前の馬はもうどっかに行っちまったみてぇだがな」

「そうだったんですね。あの子、凄く賢い子なのに、先に帰っちゃうとか、どうしてかしら」

「さぁな。ただ俺は、街に立体起動装置の油買いに来ただけのはずなのに、誰かさんのお陰で、こんな時間に森をお散歩する羽目になったわけだ」



胸元にしがみ付いたままのアサギを、わざとらしくジロリと見る。



「……すみません」

「で?ここで何をしていたんだ、お前は」

「墓参りです」



正直、それが誰の墓だとか色々気になったが、『そうか』と、ひと言だけ返すと口をつぐんだ。
落ち着いた彼女の態度が、逆にリヴァイの不安を煽る。
エルとの別れの時に声をあげて泣いたり、アサギの部屋で待伏せして詰め寄った時には"殺してくれ"と言ったり……
このあっさりした態度の裏に、熱い感情があるのを目の当たりにしているだけに、計り知れない彼女の闇の存在がリヴァイを悩ませると同時にまた、惹き付けてやまなかった。

そんなリヴァイを、アサギは知ってか知らずか明るい声で話しかけてくる。



「というか、リヴァイ兵長。さすが人類最強というだけあって、いい体してますね。胸筋も腹筋も全部すごい、硬い」

「お前こそ、着痩せしてはいるが、なかなかの…………いや、何でもない。こういうのをセクハラと言うんだろうな。くそ、何言ってんだ俺は」



一瞬、先日のアサギの豊満で美しい身体が脳裏を過り、全力でかき消す。



「リヴァイ兵長の百面相、可愛い」

「うるせぇ。まぁ、何だ、……この間は俺としたことが、お前に悪いことをした、と思っている……」

「―――え?あ……、良いですよ。もう済んだことですし」



もう馬は走るのを止めているから、いつでも前を向いて距離を取ろうと思えばできるのに、アサギは離れるどころか安心したようにピッタリとリヴァイに寄り掛かったままでいる。
胸元に顔を埋めているので、アサギの表情こそ見えないが、リヴァイはアサギと気持ちが通い合っているような、そんな気がした。
あの夜、強姦未遂を犯した後で、こんなことを思うのは普通じゃないかもしれない。
だが、妙な自信がリヴァイにはあった。



「なぁ。今、この瞬間…………、お前は俺と居て、どんな気持ちだ」


アサギは、リヴァイの胸に寄り添い顔を隠したまま、大きな深呼吸を一つすると、引き締まった硬いウエストへ、細い腕を控え目に回した。



「探してた物が、見つかったような……温かくて、懐かしい気持ち」



それを聞いて、"今頃気づきやがって"と、リヴァイには胸に込み上げる謎の感情があった。
そのせいで、思わず泣きそうになる衝動をグッと堪えて、目を閉じ、返事をする代わりに片手でアサギを強く、強く抱き締めた―――



「髪……短いのも、悪くない。……綺麗だ」




―――にび色の月に照らされた二人の儚い影は、

戯れはするものの、いまだ交わりそうで、交わらない




「この髪型にして、初めて言われました。綺麗だなんて。……ありがとうございます。リヴァイ兵長も、良い香り。お洗濯の石鹸の匂い」




―――ただし、互いの侵蝕は既に始まっていて……




「そうか、ありがとよ」




"千丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の穴を以って潰ゆ"



―――火を吹くのは時間の問題―――


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