25.【疑念】


窓際のカーテンの隙間から階下の通りを黒い大きな瞳が見張る―――

暗くて分からなかったが、部屋に備え付けられていたランプの灯りで見るアサギは、いつもの朗らかな彼女とは全くの別人のようだった。
ゆったりと下ろした緩やかなウェーブがかった長い髪、熟れた果実のような深紅の唇、胸元の大きく開いたAラインの艶かしいドレス……
それはまるで触れると危険な、美しくも鋭い刃物のよう。

しかし演技とはいえ、"この"アサギと熱く触れ合っていたのかと思うと、不可抗力にも男心からドキリとしてしまうエルヴィンだったが、いまだ手と唇に残る彼女の感触が、古い記憶を呼び覚まし―――

―――ふと、一抹の疑念が頭をよぎった―――






追い掛けて来ていた娼婦達は急に姿の見えなくなったアサギ達を探すことを諦め、どこにいるとも知れないアサギに向かって、次会ったら承知しないよ!と捨て台詞を吐いて、散り散りに去っていった。



「…………次会うこともないでしょうけどね…」



そう小さく独りごちると、ベッドに無言で腰掛けているエルヴィンに向き直った。



「今度こそ、もう大丈夫です」

「忝ない。それにしても見事だな。一般兵にしとくのは惜しいくらいだ」

「あ……エルヴィン団長、そのままじっとしていてください」



アサギはコートのポケットからハンカチを出すと、エルヴィンの口回りに付着していた自らの口紅を拭き取り始めた。



「……少し、やり過ぎましたね。申し訳ありません」

「いや、構わない」



口を拭き取り終わると、何ともぎこちない、息の詰まるような静寂が二人を襲う。

今直ぐに出て行ってしまいたいが、また先程の娼婦に見付かると面倒だし、少し時間を置いて出なくては……でも演技でやったとはいえ、あんな激しい口付けを交わした後で安いラブホテルに二人いるこの状況は、非常に気不味い……

手持ちぶさたに、アサギがゆっくりした動作でハンカチを畳み、それを片付けていると……



…………、…ぁ、…ぁん、……ぁあん……



隣の部屋から男女が睦み合う声が漏れてきた。

アサギは、せめて聞こえないフリをしようと普通を装っているが、自然と耳が赤くなるのを自ら悟ったのだろう、隠すためにストールを頭から被った。
だが、大きさを増していく喘ぎ声に、とうとう耐えきれなくなったのか遂には立ち上り、コートを羽織り始めた。



「先に宿舎に帰ります。次は、お気をつけください」



万が一、他の兵士にアサギと一緒に帰るところでも見られでもすれば、それはまた厄介事になる。
彼女もただ羞恥心からだけでなく、そういうことなど全てを見越して帰ると言っているのだと理解をしてエルヴィンは頷いた。

が……着慣れてないのかドレスのスカートの裾を踏み、アサギが躓き体が浮いた。
思わず、おっと!と瞬時にベッドから立ち上り受け止めると、無意識にも彼女を抱き留めるような形になってしまった。



「ご、ごめんなさい。私、ドレスとか慣れてなくって…………ッ?!」



アサギが咄嗟に身体を離そうとするも、エルヴィンがしっかと腕を背中に回しており、動けない。



「エルヴィン団長、ちょっ、離してくださっ…………、」

「アサギ、君の…………艶やかな声や、その柔肌の味を―――、知っていると思うのは私の気のせいだろうか」

「……!!」



腕を突っ張り、エルヴィンから身体を引き剥がすと、アサギはコートの裏ポケットから紙幣を何枚か取り出して宿代にとベッドに置き、出入り口へ足を進めた。





「………これだから勘のいい方は好きじゃありません」





何処かで聞いたような物言いをして、そのまま外へと出て行ってしまった。

ただの思い違いであって欲しいと鎌を掛けたが、……これは……






―――全く、なんてことだ―――


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