19.《既視感と背徳感》 ―――あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ偲ばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も――― アサギの心地よい歌声に耳を傾けながら、先ほどマーケットで買ってきたばかりのペンをエルヴィンから手渡されていた企画書に走らせる。 “女型巨人の生捕り案” こんなことが本当にできるのだろうか、というのが正直なところだが調査兵団幹部として人類が生き残る術を画策するのに消極的ではいけない。 いくつか疑問点があるのは否めないがエルヴィン直々の起案だ、これらについても何か思惑があるのだろうとさらりと承認欄に署名した。 ペンをそっと置くと、小さな溜め息一つ零して、ゆっくり瞳を閉じる。 アサギが歌っているこの歌、初めて聞く歌なのに、どこかで聞いたことがあるような…懐かしいような、不思議な気持ちがする。 "はまべ"とか"なみ"とか、いくつか聞いたことのない単語もあるが、それが何かは考えても分からないものの、なぜか郷愁の念を抱かずにはいられない。 ―――不思議なこともあることだな…… リヴァイが感慨に耽っているとアサギが音を立てないように忍び足でリヴァイの元にやってきた。椅子の背凭れに深く腰掛けたままその気配に片目を開け小声で言った。 「寝たのか?」 「はい。」 「「……?!」」 …………『寝たか?』 『ええ。』 二人同時にデジャヴの様な感覚に襲われ双方言葉を失う…… 真っ白なシーツが眩しいリヴァイのベッドではエルが昼寝をしており、広くて清掃の行き届いた兵士長の部屋は彼の寝息が聞こえるほど静かで穏やかな空気で満たされている。 「……おい」 「……はい。」 「……どう表現したら良いか分からんが……こういう会話をお前としたことがあるような気がする。」 「奇遇ですね。私も……です。」 「だが間違いなく、こんなシチュエーションはお前とが初めてだ。このベッドに自分以外が寝転んだのも、このガキが初めてだしな。」 それを聞いてリヴァイが潔癖だということを思い出したアサギは、彼からベッドの使用許可をちゃんともらわないうちにエルをそこで寝かせてしまったことを詫びなくてはと慌てふためいた。 「そういえば!あ、あの…リヴァイ兵長、ベッドなんですけど、ちゃんと使ってもいいか確認せずにエル寝かせちゃって……すみませんでした。お部屋にまでお邪魔しちゃってますし……」 「あ?あぁ、別に構わねぇよ。この部屋に帰ってきた時こいつ寝てやがったから、あまり声出して喋れなかったしな。本当なら、ガキに自分のベッド使わせるなんて虫唾が走るところだが……こいつには、不思議とそういう気分にならない。それに、お前の部屋は急で都合が悪いんだろ?」 「すみません……洗濯物とか部屋干ししてるし散らかっているので……。そ、そうだ、今日買った紅茶でも淹れて来ますね。」 「あぁ、頼む。」 ばつが悪そうにリヴァイの隣の椅子から立ち上がると、紙袋の中から紅茶の缶を取り出して食堂に向かった。 リヴァイはアサギが逃げるように退室するのを見送った後、彼女の様子からしてまだ何か隠してやがるなという思いを深い溜め息として吐き出した。 ……近くなったと思った途端、距離を感じる。 お前は……一体何者なんだ、アサギ………… エルを起こさないように、ノックをせずソッと兵士長の部屋のドアを開ける。 トレーに乗せた陶器のティーセットが音を立てないよう細心の注意を払いドアを閉めて目に飛び込んできた光景は―― 相変わらずベッドで熟睡している幼児と、……机に突っ伏して眠っているこの部屋の主で…… その卓上の隅に、静かにトレーを置いて彼を見遣る。 “人類最強”とか言われる彼もやはり人間なのだなぁ――いつも隙のない彼の無防備なところを見られて優越感が沸く。 午前中はエレンと掃除、午後はエルをずっと抱っこしたり肩車してくれてたりと慣れていない事をして余程疲れたのだろう……書き物をしている最中だったのかペンを握り締めたまま眠っている。 下敷きになっている書類には、眠気に抵抗していた時のものらしきペンが無秩序に動いた跡や液溜まりが見受けられたので、ペンを彼の手から慎重に取り除いてやった。 目の前の可愛らしい兵士長と部下に檄を飛ばしている時の雄雄しい彼とのギャップについクスりと微笑みながら、綺麗な顔の睫毛にかかった一束の前髪を払おうとして手を伸ばしたその時……… リヴァイがその手を掴んだ。 不意のことで驚き、彼を起こしてしまったのだろうかと思ったが、目は閉じたままスーと寝息を立てているままだ。 寝付いたばかりのせいか、温かい彼の熱が繋がれた場所からじわりと移ってくる。 まるで心まで侵食されているような、……温かくて……変な感じ…… 名残惜しいが、離れなくてはいけないと理性が煩いので手を引こうとすると、より強く握られて…… 「……アサギ、行くな……アサギ……」 今度こそ起こしたのかと思いきやピクリとも動かないので、どうやら寝言のようだ。 離れることを一旦諦めて、握られた手はそのままに隣の椅子に腰を下ろし、眠ったまま悲痛そうな表情をした彼の顔を覗きこむ。 一体どんな夢を見ているのだろう。 自分が彼の夢に出ているのかしら――― 「…どこにも行きませんよ……」 小さな声で優しく答えると、それを聞いて安心したかのように穏やかな顔に戻るリヴァイに愛しさが込み上げる。 そして、その後を追うようにして姿を表す背徳感。 複雑な感情で、胸が詰まって……逃げ道がない所に閉じ込められた気分――― |