14.《瓦解の始まり》 訓練場から少し離れた所にある木のベンチに横たわり、空高くまで昇った太陽に左手をかざして光を遮る。 ふと目に入った薬指、 指輪の日焼け跡も周りの色に近づいてもう殆ど分からなくなってきた…――― …―――『あのねオリヴィエ……、別れて欲しいの……』 やっと言えた。 彼に愛想尽きたという訳ではない。 寧ろ愛しているからこそ、この一言を言うためにどのくらい悩んだことか。 でも、もう別れる以外……私には選択肢がなかった。 雲一つない綺麗な青空に晒された洗い立ての彼の白衣がはためく中、私達二人の時間だけが止まったように凍り付いている。 別れの原因が全て自分にある後ろめたさから明後日の方向を向いている私の後ろで、隣で一緒に洗濯物を干していた彼が溜め息ともとれるような大きな深呼吸をするのが聞こえた。 『それは……僕のお願いを一つ聞いてもらってからでいいかな。』 『……、何?』 『僕と――結婚して下さい――』 彼の言葉に驚き思わず振り向くと、空みたいに澄んだ青い瞳に捕まった…… 『無理よ……、オリヴィエ……私……、』 『アサギが別れ話を切り出そうとしているのは知っていた。何故そういう選択をしたのかも……。昔からそうやって何にもかも一人で背負おうとするのは、君の悪い癖だ。生憎、僕は薬師で人の心身を診ることを生業としている……結構前から全部分かっていたよ、多分アサギが気付くよりも前から。』 『………ごめんなさい…、本当にごめんなさい……』 『アサギが悪いんじゃない、謝らなくていい。アサギが僕のことをもう好きでは無くなったのなら別だけど……そうでないなら、もしまだ変らず好きでいてくれているのなら……僕に守らせてくれ。アサギと、そしてお腹の…―――』 ……指輪は、この時オリヴィエからもらった婚約の証――…… じわりと目に溜まる涙で、空の青が滲む。 すると、その潤んだ大きな瞳を覗き込む人物が……… 「……ハンジさん………」 「垂れ下がってる髪の毛、地面に付いてるよ?って……あれ、もしかして泣いてた…?」 「いえ、ちょうど……欠伸してました。それよりハンジさん、そこの可愛い男の子は……?」 ハンジさんと手を繋いでいる、この七三分けの綺麗なブロンドヘアー、クリッとした青い目は…… 「エルヴィン団長……?!」 「そ…、そうなんだ!新しい薬の臨床試験がうまくいってね。」 「ハンジさん、ついに人間を小人化する薬作っちゃったんですね……、しかし団長で人体実験しなくても……でもでも可愛過ぎです……!!」 「こら………私を無視して茶番劇をするんじゃない二人共……」 軽く咳払いをして女子二人を叱するのは――ハンジさんの後ろにいる“本物”のエルヴィン団長。 ふざけたやり取りをハンジさんとしてたものの、状況が飲み込めなかったのでキチンと説明してもらう。 成る程、ナイルさんが来てて、部下の子供を預かって連れて来てるのね………… …………それにしても、何しに調査兵団に来たのかしら………… 「ナイルか?あいつは憲兵団の装備委託先業者の視察とか言って、先程ここの近くにある業者へ向かうと言い出て行った。」 「それでナイルが帰って来るまでの少しの間、エルを私達が預かったんだけど……『おそと、おさんぽしたい』って言うもんだから。テキトーにウロウロしてたら、ベンチで寝そべってるアサギをエルが見つけて教えてくれたんだよ、ね〜ッ、エル!」 エルと呼ばれている男の子は、『うん!』と得意気に相槌を打つと、繋いでいた手を離して私の方へとゆっくり歩いてきた。 手に持っているシロツメクサの花を私に渡そうとしているのか、握っている方の手をこちらに伸ばした瞬間、躓いて転びそうになった。 ハッとして助けようとすると、私よりも早くエルヴィン団長がエルを抱え上げた。 「危ないところだった、大丈夫かエル?」 「良かった!転ばなくて……もう大丈夫よ」 ビックリして泣きそうなエルを抱いて優しく話しかけるエルヴィン団長と、傍でエルの頭を撫でている私を見て、ハンジさんが何かまた何か思いついたようで…… 「あぁ!!!なんだろう、この画は!!まるで家族のようだ!エルヴィン……良かったね家族ができて!アサギみたいに美人な嫁さん、壁内探しても居ないよ!?二世もこんなに可愛いしさ……。もう私、思い残すこと何もないよ……」 「………。何から突っ込んだら良いんだ……とりあえず泣き止め」 「ハンジさん……。」 感極まって号泣するハンジさんを落ち着かせようと苦戦していると、遠くに救世主モブリットが現れた。 「あ、ハンジさん、モブリットが……。遠くから何か呼ばれてますよ?」 「ぅう……モブリット?今はモブリットどころではない、一体何の用…――」 ―――「分隊長ぉーーーーー!!ソニーの様子が………ッ!」 「何ィ!?ソニーが!?ソニぃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」 ハンジさんは捕獲している巨人のことを聞くや否や、流れる涙もそのままに、一目散にモブリットの方へ物凄い速さで走り去っていった。 「ソニーがどうしたんでしょうね?『ソニーの様子が』ってところしか聞こえませんでした。」 「私もだ。何という聴力なんだ。巨人の情報に関してだけ反応するようだが…。」 私とエルヴィン団長がハンジさんに呆気にとられていると、エルヴィン団長に抱っこされたままのエルが降ろして欲しいともがき始めた。 降ろしてもらったエルは、片手にエルヴィン団長、もう片方に私の手を取って散歩の続きをしたそうに飛び跳ねている。 エルヴィン団長は私と目が合うと、仕方ないなというように困った顔で微笑んだ。 「よし、行くかエル。どこに行きたい?好きなように歩いていいぞ。」 「うん!えとね、えっとねー、こっち!」 こんな可愛い天使のようなエルに、心掻き乱されることになるなんて…… ―――結局、今の私は……“張りぼて”に過ぎない――― |