最果てのあなたへ・リローゼ


 彼は僕にとって、兄のような存在だった。泣き虫だった僕に、彼が告げた言葉。“好きなだけ泣いていいよ。悲しい気持ちがどっかに行っちゃうまで、そばにいるから――”




 頭が割れるくらいに痛い。悲しみに包まれた食堂で、僕は上手く事態を理解できずに困惑する。

 魔獣が活発化している、という情報は知っていた。

 でも、それは珍しいことではなく、今回もまた王国の騎士団が対応するだろうと他人事のように考えていた。

 私兵を抱える貴族らに応援の要請があっても、それは兵や資金の提供くらいだろう、とも。

 しかし、それは知らされていなかっただけで、事態は思った以上に緊迫していたらしい。いや……知ろうと思えば簡単にできたことだ。

 たとえば、街に出入りする商人。目敏い彼らが魔獣の大量出現を知らないわけがない。たとえば、食物の物価の上昇。大量の兵糧が必要になることから、街に出回る食物の価格も不自然だと気付く程度に値上がりしているはずである。

 平生なら気付けた。僕は幼い頃から、そういう教育を施されていたから。でも、はじめての恋に夢中になっていた僕は、絶対に見逃してはいけないサインに気付けなかった。

「な、なんだよ、それ。貴族だからって、平民を身代わりにするなんて、おかしいだろ!」

 混乱する食堂で声をあげたのは、編入生のリノ・キーファンだった。僕が……いや、生徒会をはじめとするそれなりに名を知られた生徒たちが夢中になっている相手。

 いつも無邪気な笑みを浮かべている彼は、目を吊り上げるようにして怒鳴った。

 おかしい。確かに、その言葉は正しい。僕ら貴族は領地で暮らす民の暮らしを守る義務がある。裕福な暮らしができるのも、領民たちが汗水垂らして働いてくれるから。

 それを当然のことのように考える貴族もいるけど、領主である僕の父親は違った。領民がいなければ、僕らは貴族であることすらできない。

 また、彼らも自分たちを守ってくれる領主がいなければ、困ることになる。持ちつ持たれつの関係なのだ、と父は言っていた。

 リノの言葉に反論したのは、クリス・セレンだった。セイリオ・ホロ・レリクレルの親衛隊長だったと記憶している。

 小柄で可愛らしい顔立ちをしている彼は、怒りを滲ませた表情を浮かべリノを睨みつけていた。

「おかしい?ふざけるのも大概にしろ。彼らは、もっとも大切な人たちのために己を犠牲にすることを選んだんだ。その決断を、否定することだけは絶対に許さない」

“――もっとも大切な人”

 その一言が胸を抉る。ああ、あの人は。マティは。

 視界が涙で滲んだ。彼の思いが手に取るようにわかる。世話焼きで過保護な義兄。僕が泣いていると、いつも一番に飛んできて慰めてくれた。

 頭を撫でてくれる手が好きだった。甘やかされるのが嬉しくて、わがままを言って困らせたこともあった。

 彼は迷いなく戦場に赴いたのだろう。逃げることもできたのに。僕を戦場に立たせるくらいなら、と。僕の義兄は、腹が立つくらい優しい人だから。

「それとも、会長様たちが戦場に向かえばよかったと?」

「それは、だって、俺たちは、まだ、子供で」

「子供でも貴族は貴族だ。王命である以上、なにがあっても従わなければならない。それが僕ら貴族としての矜持だ」

「でも、戦場に行った生徒は、平民だろ!」

 僕はリノの肩を掴んでいた。驚いた彼が僕を見上げる。愛しいと思っていた。でも、今は感情が凍りついてしまったかのように、なにも感じることができない。

 震えそうになる声で、僕はそれでもきっぱりと否定した。

「違う。マティ――マティ・ホロ・サウガは僕の兄だ」

 サウガ家に遠慮して、旧姓を名乗っていた彼。僕は口にこそ出さなかったが、ずっとそれが不満だった。血は繋がってないけど、僕の中で彼ははじめて会った時から、大好きな兄のままだ。

 僕は嗚咽を零すまいと、奥歯を噛み締めた。

 泣いたって、マティが慰めてくれるわけじゃない。

 きっと、彼は僕が泣くんじゃないかと心配して、なにも告げずに行ってしまったんだろう。あの、穏やかな笑みを浮かべて。





 今も最果ての地で戦っているあなたへ。僕は、祈ることしかできない無力な自分を憎む。

 どうか。どうか、生きていてください。もうあなたを困らせたりしないと誓うから。

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