狐の祟り



『サイサリス』。

そう呼ばれる度に切なくて、苦しくて、壊れてしまいそうになった。今でも時々、ひどい頭痛に悩まされる。そんな自分が嫌で、どうしようもなくて。だからあの日も……過剰反応してしまったのだろう。

「っ萌花……!」

散歩でもするかと森を歩いていると、熊ではなく狐に出会った。街中ではなくあえて森を選んだのは、気分的に誰とも会いたくなかったから。それなのに何故、狐耳をつけた半変態に腕を掴まれているのだろうか。

目の前の彼を不審な目で見ていると、腕を掴んでいた手が申し訳なさそうに離れていった。

本当に変な男だ。スーツを着て散歩する女性というのも珍しいものだが、狐のコスプレをした強面の男というのは異常だ。耳だけではなく、ご丁寧に尻尾までついている。どこから突っ込めばいいのだろう、サイサリスはジッと彼を観察した。自分の周りには個性的な人間が多いけれど、今すぐ回れ右したいと思ったのは初めてだ。

「……すまない」
「何のことです?」
「いや、間違えた……から」

なかなかに律儀な男だ。印象というのは所詮その程度のもの。結局は価値観の問題だ。第一声で全てが決まるとは言わないが、自分の中で評価として残るのは確かで。危うく『この男は危ない』というレッテルを貼り付けてしまうところだった。

「誰かを探してるんですか?」
「主を……」

その主というのが誰なのかはもちろん分からないが、彼がその人物を大事にしていることは見てとれた。今すぐにここを立ち去りたいと思っているに違いない。今すぐに主を探しに行きたいと思っているに違いない。けれど、彼は動かなかった。今にも泣き出しそうな表情で、サイサリスを見ている。

「人間ではないな」
「は……?」
「お前」

すっと指差され、自分のことだと理解した。妖怪の類の何かだと思われているのか……確かに人ではないが、人とさして変わらぬ外見をしているというのに、失礼な話だ。そっちの方がずっと『人間らしくない』。

「……妖怪では、ない」
「だったら何だってんです?」
「神に近い」
「神……確かにそうですね」

ただし、魂を狩る方の神、だが。

「俺は主を探している」
「それはさっき聞きました」
「お前は、何を探している……?」

何、を。

……誰を。

冷たく優しい瞳にぞくりとした。見透かされている、そう思った。狐に射抜かれる度、自分の名を呼ぶ彼の瞳を思い出す。サイサリス、サイサリスと。嬉しそうに、悲しそうに……呼ぶ。年齢に反して純粋で、時に狂気へと走る。

分からなくなるのだ。彼が愛しているのは死神である自分なのか、『サイサリス』である自分なのかが。今も彼は『サイサリス』と呼ぶが、自分の中に別の誰かを見ているのではないか、そう思うと気が狂いそうだ。

そんなサイサリスの心情を知ってか知らずか、名も知らない彼はサイサリスの頭に手を乗せた。ぽんぽん、と幼子をあやすように撫でる。何故か、無性に腹が立った。

青年の手を振り払い、胸に手を当てる。駄目だ、また痛くなってしまう。やっと収まったと思ったのに、この男のせいで全て台無しだ。サイサリスは何も言わずに歩き出す。青年もまた、何も言わずについてきた。

「……何が目的ですか」
「何の話だ」
「何でついてきやがんですかって聞いてる」
「この方向に用がある」

気を遣わせるのは嫌だ。彼にその気がなくとも、サイサリスにはそう取れてしまう。どこまでも否定的に考えてしまう、今日の自分はどこかおかしい。

「何を悩んでいるかは知らないが」

青年が立ち止まったため、前にいたサイサリスもつい足を止めてしまった。別に、待っていてやる義理などないし、聞いてやる必要もないのに。それだけ自分が弱っているということだろうか。もう、自嘲しかできない。

さすがに振り向くことはできず黙ったまま次を待っていると、彼は息を吐いた。

「そいつが見ているのはお前だけだ、サイサリス」
「っ……!」

振り向けばそこには誰もいない。夢でも見ていたのだろうか……緩い風に当たりながら、サイサリスは目を瞬かせた。

「狐……」

あの男も、人間ではなかったのだろう。きっと、狐に化かされたのだ……そうに違いない。そうでなければ、今日の自分はあり得ない。いつまでも過去に囚われて前に進めない自分がいるなんて、認めたくない。

けれど、あの青年の一言で少しだけ拓けた気がする。あの人も『サイサリス』だが、私も『サイサリス』。彼が求めたのは『サイサリス』ではなく『私』だった。あまりにも独り善がりな考えだ。だが、そう考えるだけで救われた気がする。

本当に、今日の私はどうかしている……。

森の奥へと歩を進める時、頭の大半を占めていたのはやはりカルマの顔だった。

狐の祟り……たまにはそれもいいだろう。







一周年企画でかのさんがリクエストしてくれたもの……の一部です。
お渡ししたのはこちらですが、他にも何パターンか書いていたので掲載します。
こちらもサイサリスさんをお借りして、狐紅六とコラボさせてもらいました。
かのさんから掲載許可はいただいています。







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