砂糖まみれのコーヒー
人の形をした子狐妖怪を保護したことがあります。
そう告げた時のあの人の言葉が忘れられない。冗談きついぜ! ……そう言って大笑いされた。こういう反応が返ってくる事は想定済みだったが、その後の台詞がどうにも耳に残ってしまって離れない。
もしそれが本当だとして、大人になったらただの変態じゃねぇか。
確かにそうだ、そう思ってしまった。万が一再会することがあったとして、一緒にはいたくないな、と。注目されること間違いなしだ。
だから、できればその耳と尻尾をしまってほしい。まさに今、人目につくカフェの窓際の、自分の目の前でコーヒーに砂糖を入れストローでかき混ぜている青年に目で訴えてみる。
「何だ」 「耳と尻尾は引っ込めた方がいいと思います」 「別に」
話が噛み合わない。子供の頃から無口で目付きの悪い狐だったが、大人になって増したように思う。あの白蛇なら一発で彼が何を言おうとしているか分かるのだろうが、残念ながら自分にそんな力はない。首を傾げると、眉間に皺を寄せて溜息をついた。いや、それはこちらの溜息だ。
「迷惑」 「別に迷惑かけてない、ですか? ……もう少し分かりやすく言えんもんですかね」
コーヒーにだぼだぼと砂糖を投下するサイサリス。付属のストローで軽く混ぜ、口に含む。あまりの甘さにむせてしまった。狐紅六が大量に入れているから平気だろうと思ったが、これはさすがに甘すぎる。コーヒーをほとんど飲んだことがないサイサリスにとって、砂糖の加減は難しい。そもそも、アイスコーヒーに砂糖を入れたら溶けずに沈殿するだろう。狐紅六を当てにしたのが間違いだったと数分前の自分の恨んだ。
砂糖コーヒーのグラスを横にずらし、もう一度彼の姿を捉えた。見事だ。見事なまでに変質者だ。彼が妖怪であることを知っている自分はいいが、他の客からしたら『強面の青年が狐のコスプレをして砂糖まみれのコーヒーを飲んでいる図』にしか見えない。
「私はいいんですけど」 「なら言うな」
ぴしゃりと言い放ち、再びストローに口を付ける。どうでもいいが、よくそんなものを飲めるなと感心してしまう。
いつのことだったか、森の中で彼に出会った。その時はまだ幼くて、何を言われても可愛げがあった。ただ、今より少しわんぱくで、口から兎の足が飛び出していたのを見た時には思わず無言で回れ右していた。
「あれから何年経ったんでしたっけ」 「知らん」 「本当にろくでもない大人に育っちまいましたね。昔は可愛げあったのに」 「そっちこそ死神」 「……意味分からんです」
死神であることなんて自分自身が一番よく分かっている。そこを指摘されたところで何のダメージもないのだが。相変わらず意味不明だ。
「相変わらずみたいですね。例の少女、見つかったんですか?」
サイサリスの言葉に珍しく大きな反応を見せた。ストローを噛みながら、上目遣いでこちらを睨んでくる。
「見つかった」 「良かったですね」 「避けられているがな」 「どうして? 傍にいることを許されたんでしょ」 「存在そのものを否定されている」
妖怪が苦手らしい。
「それはそれは……ご愁傷様」
狐紅六はじとりとした目でサイサリスを凝視する。ただでさえ悪い目付きがさらに鋭さを増して、その手の人間にも見える。二人の周りの席に一人として寄り付かないのは、間違いなく狐紅六の狐耳と尻尾、この鋭い目付きのせいだ。
溜息をつき、メニューを開いた。何を頼むわけでもなく、ただ眺めるのみ。ぱらぱらと適当にめくっていると、狐紅六の耳がぴくりと反応した。もちろんサイサリスの行動にではなく、別の何かに、だろうが。
「ああ、彼女のピンチですか」 「……すまない」 「構わんですよ、私はもう少しゆっくりしてくんで」
妖怪に狙われている彼女を守ることが狐紅六の使命。昔話に花を咲かせることなんて、性格上できないから丁度いいのかもしれない。
「あいつが……大切、なんだ。その……お前とはもう少し話し」 「そんな気持ち悪いことは言わんでいいんですよ。さっさと行ってください」
狐紅六は立ち上がると、もう一度すまないと言った。変なところで律儀だ。
彼にとって彼女は唯一の存在で、何より大切で。その気持ちは自分にも、少しは……分かる気がするから。
避けておいた砂糖コーヒーを口に含む。その甘ったるさに酔いそうになりながら、さっさと行けとばかりに手で払う。
「お前も、大切にしろ」 「何をです?」 「唯一だと想った者を何より、大切にしろ」
真剣な表情で、けれどどこか優しい彼の瞳。感情の表現が苦手な者同士、笑うことこそしないが、それでも……それでも、気持ちは伝わる。心の中でありがとう、そう呟いた。
「言われなくても」 「……そうか」
満足そうに頷いた後、狐紅六は金をテーブルの上に置いた。二人分、しっかりと。彼の背にかけたいのは礼なのか、それとも別の言葉なのか。サイサリスは口を開く。
今度会った時、お茶でもしませんか。
喉にかかった言葉を飲み込んだ。今度っていつだろう。会った時って、偶然を待つつもりなのか。自分は一体どこまで受身でいるつもりなのだろう。
根拠のない『今度』や『時』なんていらない。それなら、
(必ず会いに行きます。だから)
だからそれまで、どうかお元気で――。
甘い、甘い、砂糖まみれのコーヒー。ストローを取ってグラスに口を付け、そのまま一気に飲み干す。
やっぱり、死ぬほど甘かった。
一周年企画でかのさんがリクエストしてくれました、ありがとうございます! サイサリスさんと六花キャラのコラボということでしたので、 狐紅六と絡んでもらっちゃいました。 パラレル要素がかなり強くてすみません……! どちらも『唯一の人』がいるんだよねって考えた時、この話が浮かびました。 実は狐紅六の甘党設定はここからできたので、かのさんに感謝です!
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