辺り一面霧で覆われている。ここにきて急激に視界が悪くなったように感じた。

「風来京(ふうらいきょう)へようこそ。とはいえ貴方には見えていないのでしょうけれど……」
「風来京……!? あるのか、ここに!?」
「ふふ、ありますよ。貴方の立っているところもすでに我が村の中です」
「っ……はあぁぁっ!?」

笑顔を絶やさない女鬼は、わざわざ敵である人間に情報の提供をしている。それだけでも驚くべきことなのだが、次いでとんでもない発言が耳を揺らした。

「見学していかれます?」
「は、え……は!? ちょ、何それ、あまりにも無防備すぎないか!?」
「ふふ、人間の貴方には少し肌寒いかもしれませんけれど」

か、噛み合わねぇ……。

どうしても顔が笑ってしまう。相手は鬼なのだから厳しい表情が必須なのだろうが、この突拍子のない発言の数々にはついていけない。

ついには固まる光稀(みつき)を放置して歩き始めた。まるでついて来いと言われているようだ。

「お、おい!」
「何でしょう?」

不思議そうに顔を傾ける女鬼。こんな無防備かつ朗らかな鬼に会ったことがあっただろうか。恐らく人類で初だろうと勝手に納得している自分がいる。

「おま、お前鬼なんだよな!?」
「ええ、そうです。もう気付いていらっしゃると思いますが対角(ついかく)ですよ。そういう貴方は殺鬼(さっき)の隊員さん」
「う……分かってるなら尚更案内なんかしないだろ!」

案内は有り難いが、鬼にとっては自殺行為のはず。殺鬼の人間だと分かっているなら遠ざけようとするのが普通だ。そう捲くし立てたところ、女鬼はおかしそうに息を噴き出した。

「お、なっ……なっ!?」
「ふふ、ごめんなさい。貴方があまりにも必死に仰るものだから」

その指摘を受けて顔に熱が集中するのを感じた。

確かに、今のは必死すぎだ。風来京を発見できて困るはずもない、むしろ利潤となる。それでも否定したのは何故か……自分でもピンとこない。こんな形で知ることは卑怯だと思ったからか、鬼とはいえ相手は女性だ、女性に助けられるなど自分のプライドが許さないのか。恐らくどちらも当てはまっているのだろう。

「私が案内してもいいと思ったのは貴方がそういう人だからです」
「そう、いう……?」
「私が鬼だと、対角だと分かって尚、貴方は私に刃を向けなかった」
「それは……」

女性だから、まだ若いから、などという言い訳が通用しない世界にいるのは分かっている。だからそういう甘い考えではない。単に鬼が嫌いではないからだ。人間と鬼、種族こそ違えど同じ世界に存在している。どちらも同じ生命、軽視していい命などない。勝手な判断で有無を決めていい命などないのだ。

これこそ甘い考えだと、一部の人間は……特に頭の堅い副隊長なんかは言いそうなものだが、光稀はそれでいいと思っている。考えは常にそこにあって、無数に枝分かれしている。食い違いは当たり前で、納得できなくてもいいものなのだ。大切なのは結果ではなく意思を持つこと。もちろんその意思を貫きすぎても問題なのだが、行きすぎなければ意思はやがて結果に繋がる。

鬼を憎む者がいる一方で鬼との共存を望む者もいる。それは鬼にとっても同じはずだ。光稀はその両者の間を行っている。中途半端なところにいるようで、一番難しい位置でもある。互いを理解し互いの意見に共感する、それは偽善ともとられやすく実に危うい立場なのだ。

「そうですね……私は大丈夫だと思うのですが、貴方がそこまで言われるなら考えなければならないかもしれません」

本気で頭を悩ませている様子の女鬼は渋い顔をしている。ここは悩むまでもなく追い返すところだろう。

「最近の一角(いっかく)の動向が気になるところです。貴方を危険な目に遭わすわけにもまいりませんし……」
「気になるってことは、あんたら対角が命じてるわけじゃねぇのか?」
「はい。琥珀も……里長も民の身を案じていましたから里より外へ出すはずがありません」

里長。この単語に心臓が大きく音を立てた。里長である対角を呼び捨てにしていたということは、この女鬼も鬼の世界では相当の身分なのだろう。彼女についていけば唯依(いより)の会った鬼についても何か分かるかもしれない。

「琥珀に……会いたいのですか?」
「っえ!?」
「顔に書いてありますよ」

正直ですね、そう続けくすくすと笑う女鬼を前に、どうもいたたまれなくなってくる。一つ咳払いをし、敬意を払うように一礼した。

「俺を風来京へ入れてください。大切な人が怪我をして帰ってきたんだ……何があったのか確かめたい。だからお願いします……!」

できる限り言葉を選んだつもりだ。言葉の通じる対角、穏やかな女性とはいえ相手は鬼。一つ間違えば死に繋がる。慎重になるに越したことはない。

「……分かりました。案内すると言っておきながら私の方が警戒するなんて失礼な話ですよね」
「いや、それが普通だろ。それにあんたが警戒してたのは俺じゃなくて一角の方だろ?」
「ええ……けれどそれだけではありません。少なからず貴方のことも警戒していました。一角が貴方を襲えばそれは罪となり、斬首となります。そうなればまたあの人は一人で心を痛める……」

あの人、それが誰なのかは聞かずとも理解できた。そしてその鬼が里と民をどれだけ愛しているのかも。彼女の想いも、全て。

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