見えない鎖
森の中はやけに肌寒かった。どうしてこんなところにエルフの青年がいるのか疑問に思ったけれど、自分がここにいる理由も分からないのだ。人の心配をしている場合ではない。
「今は訓練中なのでどこから敵が現れるか分からない状況です」 「て、敵……? 訓練……?」 「俺はこの森を抜けた先にあるアビリタという学院の生徒です。アビリタは軍直属の機関なので実戦訓練も行います。敵というのは学院の生徒、敵チームのことです」
月に一度の実戦訓練は、軍に名を売るいい機会となる。早朝から開始し深夜まで休みなく行う。そこで実力の認められた一名のみが戦場へと趣くことになるのだ。そうは言っても毎回同じ人物なのだが。
そう語る青年の瞳は今までと違い輝いて見えた。特にその天才的だという人物に関しては声に色が灯っているように聞こえる。カリンが頬を緩めると、気まずそうに目を逸らして咳払いをした。
「そういうわけですから、現在この場は大変危険です。皆高揚していて敵味方の判別もできない状態。迂闊に突っ込めば死にます。寝覚めが悪いので俺の前で死ぬのだけはやめてください」 「う、うん。分かった」 「それと……彼は一体何なんですか」 「うえ?」
振り返ればひたすら飴を舐め続ける彼の姿がある。彼についてはよく知らないが、これだけ似ているのだから兄か弟だろう。
「他人というには似すぎです」 「でもでもでもでも知らないもん」 「ん、僕はクラウド」 「あ、えと、私はカリン。よろしくね、クラウド」 「そんなこと誰が聞きましたか。呑気に自己紹介などしないでください」
話が噛み合っていないことに苛立ちながら、青年は早足で前を行く。追いかけるのに精一杯で今後のことなどまるで考えられない。少しは待ってくれてもいいのに、と内心毒づいてはみるが相手に伝わるはずもない。
頬を膨らませたカリンに気付き、青年は盛大な溜息をついた。そして、手を伸ばす。
「……失礼します」 「え、何!?」
手が触れた。近くなった距離に心拍数が上がる。その行動の意図が掴めず目を瞬いていると、彼の眉間の皺がさらに濃さを増した。
「ただ貴女が早く歩けばいいだけの話でしょう。譲歩しかねますね」 「うえぇぇ!? 何で分かったの!?」 「騒がしいです、黙ってください」
この場がどういうところなのか思い出し、口を噤む。口に出していないのに分かったということは、表情だろうか。首を傾げながらべたべたと顔中を触ってみる。前から大きな溜息が聞こえた。
(そ、そんなに分かりやすいかなぁ……?)
未だ理解できない彼の行動に疑惑は募る。しばらく無言で歩き続けてもそれは消えることがなかった。むしろ、それは大きくなっていた。その学院とやらに近付けば近付くほど、カリンの顔は険しくなる。後方から有り難くない視線がぎすぎすと刺さるものだから、青年は鬱陶しそうな顔をしてカリンを睨んだ。
「これは誰もが知っている情報です、与えても何ら問題はないでしょう」 「え、教えてくれるの!? さっきの何!? 手品っ!?」 「だから騒がしいんですよ黙ってください」
一喝入れられ押し黙る。
アビリタはただの学院ではない。能力開発を目的とした軍直属の機関だと青年は語る。能力と一口に言っても種類や精度、与える効果など様々。定期健診と適性検査で能力のシンクロ率を割り出し、そこから階級を割り振る。シンクロ率の高い者はそれだけ階級も高くなるのだ。入寮段階で軍入隊を認められる階級間近までいった者までいる。逆に、十年、二十年と続けても成果が見られず階級が上がらないという者もいる。
「そういった所謂『落ちこぼれ』の部類は月一度の実践訓練で篩いにかけます」 「ふる、い?」 「……生徒を使ってこの世から抹消するんですよ。そしてなかったものとされます」 「そんな……! だって今まで学院の生徒で、皆とは勉強も一緒にしてて……仲の良かった人だっているはずだよね!? それなのに……!」 「それが学院のやり方です。西王(さいのう)の命ですから当然でしょうけど」
今まで仲の良かった者が突然消される。皆外面では笑っていても、内側では憎しみ合っているのかもしれない。油断すれば殺される、蹴落とさなければ……。そうやって常に他人の顔色を窺っていなければならない。
急に死が恐ろしくなった。きっと彼は学院の決断に従う。もし殺せと言われたら、迷わず剣を振り下ろすか引き金を引くだろう。侵入者は繋がれる、つまり囚われる。彼が名など必要ないと言ったのは、つまりそういうことだ。どうせ存在しない者の名を聞く必要などない、と。
震え始めたカリンに構うことなく、青年は先へ進んでいく。ついていかなければ今すぐにでも殺されてしまうかもしれない。それなのに、足が動かなかった。
「大丈夫、落ち着いて」 「あ……」
またこの笑顔。この笑顔を目にする度妙に落ち着いて、同時にしっかりしなければと思わされる。
(私がこの子のお姉ちゃんだからなのかな……?)
記憶を失っていても、本能の部分がそう思わせるのかもしれない。差し出された手を握り返し、青年の後ろをついて歩く。クラウドは何も言わなかったけれど、その手の温もりが『大丈夫だ』と励ましてくれているように感じた。
第一章 1 2
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