・救済要素あり
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ガリっ、と響いた音に我にかえれば、また爪を噛み切っていた。悪い癖は未だに直らないらしい。指先はもうボロボロだった。そろそろ包帯でも巻かないといけないだろうか。
「お前、またストレス抱えてんのかよ」
「……ああ。ちょっと仕事が立て込んでいてな」
ざらついた船乗りの手が指を絡めてくるのを受け入れれば、酷い状態がよく見えたのだろう、隣に横たわる男が顔をしかめる。けれどそれから、お世辞にも綺麗とは言えない指先にキスをしてくれた。
「俺といるんだから、ちょっとはマシにならねぇの?」
「綱渡りの関係にストレスを感じない方がおかしいだろ」
それもそうか、と笑う男は海賊で、私は海兵だ。この危うい逢瀬はもう何度目になるだろう。仕事と私情とで板挟みの現状に、引き裂かれてしまいそうだった。
いっそ、このままこの手を離さずにいられたらいいのに。そしたら、ずっと一緒にいられるかもしれない。
「…エース」
「なんだよ、フィン」
「もう少し、このままでいいだろうか」
裸の胸に額を押しつければ、繋いでいない片手が強く体を抱いてくれた。
せめて今だけは、立場も何もかも忘れて温もりに埋れていたかった。
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「フィン少将、先日捕縛されたポートガス・D・エースの件についての報告書です」
「…………公開処刑、か」
手渡された報告書には、愛しい男の手配書が添えられていた。今、彼は牢獄にいるのだろう。その逞しい体に多くの傷を抱えながら。
ガリッ、と口元で音がした。
「少将、血が!」
「っ……、大丈夫だ」
気づけば、血が出るほどに爪に噛み付いていたらしい。心配する部下を制して、血の滴る指先を握りこむ。けれど、極端に短い爪は肌に食い込むこともなく、痛みを与えてはくれなかった。せめて、小さな痛みでもあればもう少し頭が冴えるだろうに。
「疲れていらっしゃるのでしょう、医務室に行くことをお勧めします」
「…ああ、ありがとう」
それでは失礼します、と敬礼を残して部屋を出る部下を見送って息をつく。
…私は、どうすればいい。
「なぁ、エース…」
こぼれ落ちた涙が、手配書の凛々しい顔にシミをつくる。
問いかけに答える声はない。けれど、エースが捕縛されてから、目に見えて荒れた指先が答えだった。
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監視の厳しいインペルダウン、そこに潜り込むのがこうも簡単だとは思わなかった。『ゴースト』という異名は伊達ではないらしい、とどこか他人事のように思いながら鉄格子の前を進む。
一度気配を消せば、誰も私を見つけられない。だから、ゴースト。幽霊だ。まさか、インペルダウンにまで通用するとは思わなかったが。
ようやく目的の牢獄にたどり着いて、その前で止まる。鉄格子の向こうには、傷だらけの恋人が繋がれていた。
「エース」
「……フィン?」
答える声はとても小さかった。震える手を押さえて、拝借した鍵で牢をあける。そのまま駆け寄って海楼石の錠も外せば、エースは自由になった両手で、包帯を巻きつけた私の手を捕まえた。
「お前、これどうしたんだよ。ってか、なんで」
「…エースがいないと、ダメ、みたいなんだ。だから」
いっしょに逃げよう、と掴まれた手を握り返せば、エースは少しだけ驚いた顔をした後、何時かのように強く抱きしめてくれた。
羽織っていた正義のコートが、ばさりと音を立てて床に落ちた。
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「お前、また一人で飲んでんのかよ」
「さっきまでは皆と飲んでたさ。でも潰してしまった」
ほら、と甲板に寝転がる船員を指差せば、エースはそういう時は呼べよ、と少し拗ねたように言って隣に座った。
エースと二人でインペルダウンを抜け出した私は、今では白ひげの一員としてモビーデイック号に乗っている。元海兵という身分を気にもせずに、エースとの関係を受け入れてくれた彼等は本当に懐が広かった。
からかわれるとどうしても恥ずかしくなるけれど、エースの方は照れもせずに肩を抱いたりしてくるから良くない。一緒にいる時間が長くなって知ったが、エースは存外スキンシップが激しい。人前だろうが何だろうが、抱きついてくるしキスもしたがる。どうしようもなく恥ずかしけれど、それが嬉しくもあった。
「お前はいいのか、隊の奴等と一緒じゃなくて」
「いーんだよ、フィンと飲んでたいんだから」
お前のが大事、と笑ってエースが指を絡めてくる。相変わらず荒れた船乗りらしいそれを受け入れれば、包帯も傷もない指先にキスをしてくれた。
「…爪、伸びたな」
「ああ、そうだな」
繋いだ手はとても暖かくて、なんだか幸せな気持ちになった。
指先
いまなら、この手を離さずにいられるだろう
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