長編 | ナノ


  レパロ


 あ、と思った時には遅かった。荷物の上から滑り落ちたインク瓶が大きな音を立てて砕け散る。抱えきれないほど書類と小包を持つのはやめるべきだった。失敗した。

「派手に散らかしたなソフィア」

「見てないで手伝ってくれてよかったんじゃない?」

 インク瓶が落ちる前に、と嫌味を言ってもけらけら笑われるだけ。まあ、みんなそれぞれやる事があるから仕方ないし海賊に紳士の対応を期待するだけ間違いだ。気のいい人たちなんだけど、時々、気遣いが足りていない。
 片付けを手伝おうとしてくれるだけまだ良いか。

「床、掃除しなきゃならねぇなこれ」

「破片もだいぶ散ってるしなぁ」

「大丈夫よ、すぐ直すから」

 手伝おうとしてくれてありがとう、と礼を述べて抱え込んだ荷物を押し付ける。手があかないと杖も持てないから。少しだけスカートを持ち上げてその下から杖を抜き取る。なんてとこにしまってんだ、と前にマルコに言われたけれど、ここが一番邪魔じゃないし、取られたりしなくて安全なんだから仕方ない。ローブの内側は薬瓶でいっぱいだし。

「『レパロ』」

 小さく振った杖に合わせてインク瓶の破片が寄り集まって元の形にまとまる。もう一度杖を振って、継ぎ目もなく元通りになった瓶に、溢れて床に染み込んだインクを集めて注ぎ込む。これで元通り。

「…また落としそうだから、抱えていくのやめよ」

 流石に何度も瓶を割ったりはしたくないから、いくつか呪文を唱えて持っていてもらった荷物を浮かせて、自分の後ろをついてくるように操作する。最初からこうすれば良かったかもしれない。

「持っていてくれてありがとう。助かったわ」

「……お、おう」

 なぜか腰が引けた返事をもらって、ああ、少し配慮が足りなかったかもしれない、と自省する。
 この船には本当に色々な出身のクルーがいる。信心深いものも、そうでないものも。中には、魔女を恐れるような、そういう伝承のある島で生まれ育った人もいる。だから、魔法を目の前にすると、戸惑ったような、怖がるような、そういう反応が出てくることがあるのだ。だから、必要な時以外は無闇に魔法を多用しないように気をつけていたのに。

「ごめんなさいね、それじゃあ」

 それでも、面と向かって『魔女』を非難してこないから、家族としては大切にしてもらえているのだろう。そう、思うことにしている。

ーーーーー

「なぁ、ソフィア。お前が怖い、って愚痴言われた」

「…あー、それ、わたしが魔女だから?」

 たぶんな、とマルコは手元の書類に視線を向けたまま頷いた。いくら気をつけたって、戦いや薬品作りに魔法を使わないわけにはいかない。だって、魔法がなければ私はただの弱い女にすぎないのだから。

「揉め事にはならねぇとは思うが、できるなら自重しろよい」

「自分が能力使うな、って言われてるのと同じだって分かってる?」

 無茶言わないで、と嫌味のような言葉と刺々しい声が出てしまって口を噤む。マルコに怒ったって仕方ないのに。
 代々魔法使いの家系だから、生まれた時から魔法と一緒に過ごしてきた私に、今更やめろなんて無茶だ。これでも、日常生活に魔法を多用しないように気を使ってきたつもりなのに、まだ足りていないらしい。

「…言いすぎたよい、悪い。別にソフィアに非があるわけじゃねぇもんな」

「わたしも、嫌味を言ってごめんなさい。…この話は終わりにしましょう」

 それより、紅茶でも挿れて休憩にしましょう、と少し強引に話題を逸らす。おれは、コーヒーがいい、とマルコがわがままを言うから、それなら自分でやって、と軽く舌を出してからかってやる。
 結局、それぞれ飲みたいものが合わないので、2人揃って食堂での息抜きに落ち着いた。まあ、それでもいいけど。


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