長編 | ナノ


  それからの日々


『それから、それから』の続き



 とんとん、と食材を刻む音と鍋が煮えるくつくつ、という静かな音がする。心地よい微睡みから抜け出しきれないぼうっとした頭で、なんとなくそれを聞いていた。
 いつのまにか眠ってしまっていたらしい。机に伏せていたせいで体が少し痛む。
 読みかけだったはずの本には栞が挟まれていて、背中には薄手のタオルケットが掛けられていた。ソフィアが世話を焼いてくれたらしい。
時計はもう夕方を指していた。少し寝すぎたかもしれない。
 あくびをこぼしながらタオルケットを畳んで、料理の音のするキッチンに顔を出せば、ソフィアが夕食を作っている最中だった。

「あ、起きたのマルコ」

「ああ、世話焼いてくれてありがとよい。なんか手伝うことあるか?」

「大丈夫、もうすぐ出来上がるから」

 もう少し待ってて、とソフィアは杖を振りながらそう答えた。ゆらゆらと揺れる杖に合わせてまな板と包丁が宙を待って流しに飛び込んだ。
 最近ではもう慣れたが、魔法使いの家事は色々なものが勝手に動いて見えてとても不思議だ。
 こうして、2人で暮らすようになってから、ソフィアは生活に魔法を多用するようになった。だって1人でやるならこっちの方が効率がいいから、と本人は言うが、未だに治りきらない傷のせいで体が痛むのも原因の1つではあるのだろう。

「マルコ、ちょっとこれ味見して。濃くない?」

「ん…、いいんじゃねぇか。おれは好きだよい」

「そう。じゃあこれでいいか」

 あまり家事は得意ではない、なんて言っていたくせに、ソフィアはよく働いてくれている。その姿はまるで家を守る妻のようで。けれど、その薬指に指輪はない。
 ソフィアのしなやかな指に似合うだろうシンプルな銀の指輪。あの日、炎の中に消えてしまったその代わりはまだ用意できていない。

「…なぁ、ソフィア」

「なに? あ、手持ち無沙汰ならお皿の用意しといて」

 結婚しよう、と喉まで出かかったその言葉は、今日もこぼれ落ちることはなかった。

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