君は優しい魔法使い
アスフォデルにコガネムシの目玉、それから、刻んだ角ナメクジを大鍋に入れる。ぐつぐつ煮立った中の液体が桃色に変わったら、ベラドンナエキスを一滴。
「よし、上手く行ってる」
正しく黄色に変化したそれに、安堵の息がこぼれた。一日がかりの調合の成果は上々。次の行程は、しばらく冷ましてからだ。
「……ちょっと片付けるべきね、これは」
大鍋から離れてみれば、部屋中に散らばった羊皮紙と空き瓶と本がやたら目についた。研究に夢中になると部屋が散らかる悪い癖は、今だに治らないらしい。…一人部屋をもらっておいて良かった。
取り敢えず、羊皮紙を踏まないように気をつけながら、空き瓶を一つ一つ棚に戻す。どうせまた散らかすけれど、転ばない程度には片付けておかないと。
「っ!」
不意に船が大きく揺れた。堪えきれずにその場に尻餅をつく。背後でガシャン、と嫌な音が響いた。
ーーーーー
敵襲! と甲板から声が響く。箒片手に船室のドアをくぐれば、武器を手に楽しそうな悪い顔をした家族達がいた。島が遠くて娯楽がないところだったから、ちょうどいいんだろう。私にとっては最悪なタイミングだったけれど。
「マルコ、撃ってきたのはどの船?」
「左から二隻目だねい。…ソフィア、何する気だよい」
「ちょっと、お礼をね? お陰様で大鍋が倒れて、一週間がかりの調合がダメになったから」
止めないでね? と笑えばマルコは引きつった顔で行ってこいと言ってくれた。せっかくの楽しみを奪って申し訳ないけれど、そうでもしないとおさまらない。大鍋に固定の呪文をかけておかなかった私が悪いんだけれど、腹いせくらいはしてやらないと。
既に臨戦態勢の相棒に跨ってふわりと宙に浮き上がる。そのまま向かう先は憎らしい左から二隻目の船だ。
どれだけ怒っていても、我を忘れてはいけない。狡猾であれ。それは重々承知している。それでも、こみ上げる怒りは抑えられそうになかった。まったく、腹が立って仕方が無い。
スカートをたくし上げて太もものベルトから杖を抜く。それを甲板に向けるのに躊躇いはなかった。
「『ステューピファイ』!」
杖から飛んだ赤い光線は見事に敵を撃ち抜いた。そのまま、上空から呪文を放つ。近距離戦が苦手なのに近づく馬鹿はいない。攻撃系の呪文を続けて放てば、混乱しながらも敵は銃口をこちらに向けた。
「本当、いい度胸してるわね。『ドレンソリピオ』!」
飛来する銃弾を残らず弾き返して、再びの失神呪文をお見舞いしてやる。ばたり、と倒れた敵に口角があがった。
どうやら少しは海賊らしくなれているらしい。前よりも戦うのが楽しく感じた。
ーーーーー
「『インカーセラス』」
他の船を片付けてソフィアのところに行ってみれば、呪文と共に動いた縄が敵を拘束しているところだった。どいつもこいつも、泡を吹いて気絶している。本当に魔法という奴は恐ろしい。
「ソフィア、腹いせは済んだかよい」
「…まあ、それなりに」
肩をすくめて答えたソフィアは少し落ち着いたらしい。あの恐ろしいまでの笑みは消えていた。
拘束した海賊たちに興味を失ったのか、ソフィアはあっさりとそいつらに背を向ける。そのまま、するりとスカートをたくし上げて、覗いた白い太ももに巻きつけたホルダーに杖を戻した。
…スカートでやられると目のやり場に困るよい。
「宝物庫でも探しましょうか。材料駄目にされた分くらいは貰っとかないと」
「そうだねい。船の修理代も貰っとかねぇと」
そうね、と笑ったソフィアの背中を追いかけながら、ちらり、と後ろを振り返れば他の船の酷い有様が見えた。火の手があがるのはエースの仕業だろうし、甲板が血まみれなのは他の誰かだろう。俺がやった分もある。
対して、ソフィアが一人で相手をしたこの船は、甲板に多少怪我をして気絶した男たちが拘束されているだけだ。
「……甘いねい」
直接命を奪うような魔法がないのか、ソフィアが使わないだけなのか、それは分からない。けれど、ソフィアはあれだけ怒っていたにもかかわらず、自分の手で誰かを殺すような事はしなかった。命のやり取りを日常とする海賊にとって、それは甘さ以外の何物でもない。
まあ、それでもソフィアはエースに勝てるくらいには強いから、問題はないだろう。だから、無意識の行動を指摘するのは止めておく。
「マルコ? どうかしたの?」
「何でもねぇよい。いま行く」
取り敢えず、優しいソフィアに免じて、トドメは刺さないでやろう。物資を奪ったらそのまま放置だ。
ま、運が良ければ生き残るんじゃねぇか。
君は優しい魔法使い
その優しさが少しだけ愛おしく感じた。だから、どうかそのままで。
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